【Gladiator013】2年9カ月ぶりの復帰戦。佐々木信治─01─「『死ぬ時ってこんな感じなのか』って……」
【写真】佐々木がこの状況で戦い続け、タップをしなかったという事実が信じられない (C)ROAD FC
2月7日(日)に大阪府豊中市の176boxでGLADIATOR 013が開催され、第1試合=メインイベントで佐々木信治がグラジエイター暫定ライト級王座決定戦で植田豊と対戦する。
佐々木は2018年5月、Road FC47でバオ・インカンと対戦した際に大ケガを追い、度重なる手術を経て40歳にしてもう一度戦うことを決めた。
MMAを続けるという決断に至った背景を尋ねる前に、バオ・インカン戦で何が起こっていたのかを訊いた。そして、MMAを観る上でここまでのことが起こるのかという──事実に触れることができた。心して、佐々木の言葉を聞いてほしい。
──佐々木選手とは地方のMMA大会で昨年も何度か顔を合わせていたのですが、実は復帰を話題にすることはできなかったです。
「あぁ、そうだったんですね。気を使わせてしまってスミマセンでした。もう自分としては去年の初めにはもう1度試合をしようという気持ちになっていましたし、実際に試合に向けての話し合いもさせてもらっていました。
ただ新型コロナウィルス感染が起こって、その機会が流れて今回まで待つことになったということなんです。少しだけ、あのまま終わって良いのかっていう気持ちが、もう戦わなくて良いじゃないかっていう想いを上回りました。少しだけです(笑)」
──いやぁ顔面を4カ所の骨折と大きな手術を繰り返して、それでも戦いたいと。
「骨折は4カ所でなく、大きくいえば眼窩底、頬骨、上顎、鼻骨という部分だったのですが、折れた箇所は10カ所以上で右側が砕けているという状態した。目の下から頬へと一旦、頭蓋骨が分離した形で。病院ではトラックと正面衝突をしたぐらいだと言われて……」
──あのバオ・インカン戦、そこまでの状態だったとはライブ配信では分からず、なぜ佐々木選手はすぐに下になるんだ。どうしたんだ──という風に感じていました。心が折れたのかと。いや、申し訳ない限りです。
「いえ、それはしょうがないです(笑)。ただ、心だけは折れたくないですし。あの時はもう下にならざるを得ないというか、あまり見えていかったですしね」
──そこまでの状態になっていて痛みは?
「戦っている時は痛くはなかったですけど、格闘技の試合だけでなく自分が生きてきて初めて『これは死ぬかもしれない。死ぬ時ってこんな感じなのか』と思ったんです(苦笑)」
──いやぁ……。
「立っていても寝転んでいても、自分がどんな状態でどうなっているのか、どこにいるのかも分かっていない状態で……。『もしかして、これが死ぬ前なのかな』っていう感覚でした」
──逆にいえば、もう感覚もなかったのですね。
「殴られて痛いとかはなかったです。もうボヤッとしている感じで」
──あの時、反則のエルボーもありレフェリーが試合を止める場面もありましたが、結局判定まで戦い続けました。
「反則で試合が一度止められて、通訳がきて『大丈夫か』と尋ねられ『分からないから、一度立ってみる』と伝え立ち上がると、試合が再開されて……。そこからはブレイクはあっても、ドクターストップもレフェリーのチェックもないまま試合終了までいきました」
──その間に「死ぬかもしれない」と思っていたと。壮絶すぎます。こういうとアレなのですが、中国・北京での試合でした。言葉の通じない現地の病院は怖くなかったですか。
「それももう言って良いのか酷い話で(苦笑)。試合後は意識がヤバくて、バックステージで倒れこんでしまって。一応ドクターが来て、僕はアゴが折れていると伝えたんです。そうしたら『話ができているから折れていない』って言われて」
──!!
「でも、折れていると訴え続けているとようやく『じゃあ、病院に行くか』みたいな感じで。その時に次の日には帰国できるし、日本で病院に行こうって思ったんです」
──では、帰国する翌日まで診察も受けていなかったと……。
「帰国して、そのまま夜間の救急で福山の病院へ行きました。そこで目のこととかもあるし、『この病院では対応できないので、大学病院で診察してもらいましょう』ということになりました。
大学病院では先生に『こんな大ケガは1年に1度あるかどうかだ』と言われて(苦笑)」
──相当な手術も必要だったかと。
「手術は1年間で4度、入院期間は合計で2カ月ぐらいだったかと思います。手術は全身麻酔で、1度の手術時間が10時間ぐらいというのが2度ありました」
──もし良ければ、術後の経過具合を話してもらえますか。
「術後は……地獄でした(苦笑)。上アゴと下アゴを針金のようなモノで固定して閉じ、切開してチューブを通して痰が溜まると吸引してもらう……。そして、鼻から流動食という感じで2週間過ごしました。
簡単にいえば濡れタオルでずっと口を閉じられている……24時間、それが続く感じでした」
──……濡れタオル……拷問方法じゃないですか。
「ホント、そうでしたね。あの2週間は地獄でした。痰が絡まると苦しくて、夜もあまり眠れなかったです。ナースコールを繰り返す感じで……。これ以上、辛いことはないと思いました……メチャクチャきつかったです」
──そのような状況で格闘技を続ける、続けないという考えに至ることはあったのでしょうか。
「あの時は感情の発散もできないですし、考え始めるとどうしようもなくなってしまう感じで。結果として人形みたいに感情を押し殺し、時間が過ぎるのを待つようしていたんです。思考を遮断する──そういうテクニックを身につけていました。無になるというような(笑)」
<この項、続く>