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【Interview】台湾MMA界のパイオニア、ソン・ミンヤン「MMAとは、パズルを完成させること」

Sung Ming-Yen【写真】1980年1月17日生まれ、34歳のソン・ミンヤン。MMA戦績3勝1敗、英会話にも堪能で、一見優秀なオフィスワーカーのようなイメージもある……と思ったら、Yシャツ姿でケージに向かっていた(C)MMAPLANET

9月12日(金・同)にカンボジアのプノンペンで開催されるOFC20に出場、イヴォルブMMA所属のラディーム・ラーマンと対戦するソン・ミンヤン(宋明諺)。7月11日のOFC18=台北大会でニコラス・リーを1分10秒で破ったソンは、まだまだ歴史の浅い台湾MMA界のパイオニアと呼べる存在だ。

そのソンに台湾MMA界と彼の歩んできたキャリアについて尋ねた。未知の台湾MMA界の現状について、興味深い話が聞かれた。

なお8月23日発売のFight&Life Vol.44では、ここで取り上げたソン・ミンヤンと共に散打、摔跤、そしてブラジリアン柔術各分野を取材、MMAと武術の接点についてレポートした「Fight&Life 格闘紀行=台北編」が掲載されています。

――台湾にはマーシャルアーツはあっても、コンバットスポーツはそれほど普及していないという印象を持っていました。

「その通りだね」

――ソン選手がMMAや格闘技に興味を持つようになったのは、いつ頃からなのでしょうか。

「僕はかなりアグレッシブな子供だったけど、ご覧の通り体も小さかったし、高校では喧嘩でやられることが多かったんだ。そして17歳のときにテコンドーを始めた。テコンドーをやれば、大きな連中にも負けないと思っていたんだ。でも、テコンドーの練習を始めて、仕返しをするなんて意味はないと思うようになった。マーシャルアーツのおかげで、人間性を変えることができたんだ」

――17歳ということは1997年ですから、既にUFCが始まって3年以上経っている頃にテコンドーを始めたのですね。

「当時、UFCのことは全く知らなかった。ただ、テコンドーを始めてからも、何がベスト・マーシャルアーツ、何が一番強いのかという探究心を持っていたんだ。だから、テコンドーを武器にとある空手道場に乗り込み、チャレンジした。そしてやられた(笑)」

――……。

「で、空手がベストだと思うようになった(笑)。そのまま空手を習うようになったんだ。1年後、空手を武器に柔道にチャレンジした。もちろん、またやられてしまったよ(笑)」

――何でも有りではなくて、常に相手のルールに戦いを挑んでいたのですか。

「そうだよ」

――それは勝てないです(苦笑)。

「柔道に負けたとき、何でもやらないと本当の意味で強くならないんだって思うようになった。つまりMMAのことは知らなかったけど、感性としてMMAに近づいていっていたんだ。この頃になると、まだ映像は見たことはないけど、UFCの写真は見たことがあった。チャック・リデルの写真だったよ。そこからMMAの練習をしたいと気持ちが芽生えたんだ」

――ただし、当時は台湾にMMAを習う環境などなかったのではないですか。

「僕は新竹(=シンヂュウ※台北の南西70キロにある都市。台湾のシリコンバレーと呼ばれ、IT企業が集中している)に住んでいたんだけど、将来MMAをやるためにムエタイ、散打のトレーニングを重ねていた。6年前かな、そしてウォーレン・ワン、台湾BJJのオーナーに出会ったんだ。彼がジェイソン・ブッケージを紹介してくれて、初めてMMAを習うことになった。米国人の彼にMMAとブラジリアン柔術を指導してもらったんだ」

――当時、MMAを練習することで、将来的には何を目指していたのですか。

「ゴールはないよ。それは今も変わらない。MMAを指導して、それぞれの生活にあったMMAの付き合い方を皆がする――その助けになれば良いと思っている。日本、韓国のように台湾ではMMAは普及していない。台湾人ファイターが、いつの日か日本人や韓国人と戦えるようになればと思っている」

――ソン選手がMMAを始めた6年前と現在で、MMAの認知度はどれぐらい変化がありましたか。

「あの当時は、全く知名度なんてなかった。テレビでUFCの中継もなかったし、興味のある人間はインターネットでチェックするのが普通だった。ただし、本質的な部分でいえば、今でもMMAの理解度がそれほど上がったとは思えない。『散打をやっていた』、『ボクシングをやっていた』、『○○をやってきたから、MMAも戦える』と思っている人間が多い。『柔道とボクシングをやってきたから、俺はMMAファイターだ』なんて平気で言っている輩がいる。

そんなわけがないのにね。MMAはMMAという確固たる一つのスタイルであり、同時に多くのファイティング・スタイルの技術を掛け合わせたパズルのようなものだ。そして、全てのマーシャルアーツが、MMAの一つのピースだ。複数のスタイルを学んでも、その技のつながりを理解できていないと、MMAでは通用しない。MMAとは、パズルを完成させることだと僕は思っている。そして、パズルを創り上げるには、それぞれの人間が、自分のやり方で完成させなければならない。一人一人、皆が違うパズルを持っているんだ」

22日発売のFight&LifeVol.44にソン・ミンエンも登場するFight&Life格闘紀行・台湾編が掲載されています。

22日発売のFight&LifeVol.44にソン・ミンエンも登場するFight&Life格闘紀行・台湾編が掲載されています。

――なるほど、MMAを土壌がないところで模索してきたソン選手らしい深い言葉ですね。ところで現役として、どのようにして試合機会を見つけてきたのですか。

「ONE FCのビクター・クイが、以前に開いていたマーシャルコンバット時代にコンタクトを取り、試合機会を得た。その後、レジェンドFCから連絡があり、LFCが活動停止後、再びビクターのところで戦うことになったんだ。だから僕はプロFCなど、台湾のローカル・イベントで試合をしたことはないんだ。台湾国内のMMA大会は私の組織、神武がアマチュア大会を主催している。

そしてプロは今言ったプロFCだね。この2つのコンビネーションは、台湾MMA界の成長に役立っていると思う。アマMMAで安全な試合で経験を積み、そこで経験を積んだ人間がプロFCで戦う。さらに結果を残せば、国際的な舞台に進める。あまり詳しくは分かっていないんだけど、日本の修斗のようなシステムを台湾に構築できればと思っているんだ。ビギナーからインターミディエイト、そしてプロと。そういうヒエラルキーを作りたい」

――ところでタフMMAですが、ソン選手が自らのジムを開いたのはいつのことですか。

「7、8年前かな。MMAを始める前に、新竹にジムを開いた。新竹はIT企業が多くて、凄く忙しい街だけど、少しでも人々がマーシャルアーツに触れあうことができないかと思ってジムを開いたんだ。当時は打撃クラスだけで、ジム名も違っていたよ。今はタイペイに2つ、新竹に1つジムを持っている。生徒数は……、あんまり把握していない。ただ、殆どの生徒が趣味の延長で練習している感じだよ。

最初からプロファイターになりたいと自信満々な者ほど、すぐにジムを辞めていく。地道に練習をし、力をつけていった者が、やがてプロMMAファイターになりたいと口にするようになる。そうやって、練習を通して自信をつけた者がプロになっていくものだと思う。今はプロファイターは5人ほどいるけど、MMAだけで食っていけないからね。でも、チャンスを手にするために、必死で練習しているよ」

――以前は打撃だけだったのが、MMAをメインにすることでタフMMAという名前に変えたのですね。

「生徒には本当に申し訳ないけど、僕は週に2度ほどしか指導をしていなくて……。一コマはキッズクラスで、もう一コマはMMAクラス。僕以外に合計12人のインストラクターがいて、レスリング、BJJ、ムエタイ、散打の指導をしている。ただ、これからは僕ももっと指導に加われるようにしたい。台湾ではMMA人気はまだまだ。今はテコンドー、散打、ムエタイの方が人気があるけど、いずれ変わるだろう」

<この項、続く>

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