【Special】柔術と共に──X-TREME EBINA柳澤哲裕─02─「お父さん、お母さん、一緒にやりましょう」
【写真】サラリーマン稼業があることで柔術ジム経営者となった柳澤氏。会社員としては、とてつもなく破天荒!!(C)MMAPLANET
MARTIAL WORLD Presents 日本の道場のマット事情を尋ねて巡る──旅、第三弾=X-TREME EBINA柳澤哲裕代表インタビュー第2弾。
サラリーマンとして柔術道場を開いた柳澤、愛する柔術への想いと世間からの認知度のギャップも、本職を持つことで時間を掛けて解決していった。その結果、さらに柔術への情熱が深まり大きな人生の岐路に立つこととなった。
<柳澤哲裕インタビューPart.01はコチラから>
──完全に柔術のための仕事になっていたと(笑)。
「もうその通りです。『俺は〇時で帰るから、これとこれとやっておいてくれ』っていう感じで。めっちゃくちゃ評判悪かったですよ(笑)。でも、それで良かったんです。仕事第一ではなかったので」
──家庭の方は……?
「ウチの奥さんは自分のやることには一切、口出ししなかったです。道場を創るのにどれだけ資金が掛かったのかも、道場生が集まっているのかも聞かない。ある意味、信用してくれているんだと思います」
──だからこそ、世間では知られていない柔術をKIDS柔術から広めていったと?
「知られていなかったですね。会社の人間には、何人か僕が道場をやっていることを知っている人がいたのですが、『どうなの? テコンドーは?』とか聞かれて」
──アハハハハ。
「それか、なぜかK-1と思われたり。人って、自分が知っている知識からはみ出てこないことを知りました」
──ジャズだろうが、オペラだろうが……それ以上、深みにはまらない。そういうものなんだと思います。格闘技って。
「だからこそ、目に触れないといけないと思いました。一番良いのは近所の人に来てもらって、口コミで広めてもらうこと。そういうなかでコミュニティを持っているのは、ママ友です。お母さん方が発信力を持っている。
キッズに関しては、競技によっては子供さんだけを残して、外にいてもらうということもあります。どうしても、子供は親がいると甘えてしまうので。でも、僕の場合は授業参観形式。いかに安全に楽しんでもらっているのかを見てもらうようにしました。
それと見学しているお父さん、お母さんも弄るんです。子供が上手くできないと、お父さんやお母さんに腕立てを10回やってもらったりとかして。そうすると、お父さんやお母さんも真剣に説明を聞いてくれて、家に帰って反復してくれる。
そういう風に参加型にしていくと、理解が深まっていきました。そしてお父さん・お母さんがスパーリングを見ていて、『先生の言うこと守れ』とか口にするようになる。子供は『自分はやっていないのに、言うなよ』と。
こうなると、『良し』です(笑)。『お父さん、お母さん、一緒にやりましょう』と。そういうことを続けて、親御さんが柔術を始めるケースもありますし、子供が大会に出て勝ち始めると、親御さんもより夢中になってくれます」
──酒を2、3回と飲みに行くより道場の月謝の方が安いですしね。
「そうなんですよ。何回来ても良いですからね」
──その成果もあって、ここ大和支部もオープンさせました。いよいよ仕事の方は?
「ハイ。ちょうど、僕がいた会社も人員削減という状況に陥りました。2人減らさないといけなくなったのですが、既にカツカツで2人もいなくなると、俺、帰れなくなるんですよ(笑)。どれだけローテーションで工夫しても」
──もしや……。
「その時、1人実家に戻りたいという転勤でやってきた人間がいたんです。その彼を実家に帰し、もう1人は……となった時に、『俺、辞めますよ』と」
──やはり(笑)。
「会社の上も『いや、お前じゃないだろう!』とはなりましたけど、『知り合いが会社を起ち上げるので手伝います。それが半年後なんです』と言って、そのまま半年は残り引き継ぎはしました」
──そこで大和支部を起ち上げられたと。
「海老名は黒字にはなっていましたし、もう少し頑張るとこれで生きていけるという風な状況でした。ただ昼間に仕事をしなくなると、時間が空いてしまって。なら、この時間を使ってもう一つ道場を創ることができるなって思ったんです」
──それは大したものです。
「海老名で教えていた会員さんたちも、帯の色が上がって来ていて指導もできるようになっていたので。そうすることで、カラーの違う指導もできて、道場生もさらに力をつけました。そうやって後進を育てつつ、この大和に道場を創ったんです。今は両方を行ったり、来たりしています」
──X-TREME EBINA大和であり、エクストリーム大和ではないわけですね。
「ハイ。2006年に独立し、自分のアカデミーはあくまでもエクストリーム海老名なので、海老名・大和とする必要がありました」
──2つ目の道場ということで、大和を創るときは海老名をオープンさせたときと違いはありましたか。
「海老名の方は知り合いの工務店にお願いして、マットはジョイントマットを買い、自分で敷きました」
──でました。細川顕さんから続くジョイントマット・ネタですね(笑)。
「アハハハ、必ず出てくるジョイントマットですね。上にシートを敷いてやっていました。でも、硬くて。そういうころにAOJが、ロールマットで凄く綺麗な道場を出して」──AOJですか!! 影響力ありますね、メンデス兄弟は!!
「あの格好良さは、皆を引き付けたと思います。その時ですね、ロールマットという存在が気になるようになったのは。そうしたら国内でカルペディエムさんを初め、ロールマットを使う道場がでてきました。
とある道場では中国製を使っていて、それでもかなり値段が張っていましたし、敷きたくても無理だなって思っていたんです。で、ジョイントマットにしようと思ってマーシャルワールドさんに見積もりを出してもらうために連絡をしまいた。
ぶっちゃけ他のメーカーさんにも問い合わせはしていました。その時にちょうどマーシャルワールドさんから、『ちょうどサンプルでロールマットが出来上がってきたのですが』という話があったんです」
──なんと、凄いタイミングですね。
「ハイ、本当に。マーシャルワールドさんも、『使用してもらって、どういう風になるのかを知りたい』ということだったので、少し勉強してもらって(笑)」
──勉強という言葉も使いようですね(笑)。
「ホント、逆に問題が発生してほしいぐらいの感じで言われていました。第一号ですし、不具合があればすぐに対応しますと言われていて。最初はつなぎ目が今のようテープでなく、水を掛けて摩擦の力でつくとかっていう感じだったんです。でも、練習を始めるとすぐに剥がれてしまいました。
もう最初のマーシャルワールドさんの目論見通りというのか、問題があると解決してもらい、トライ&エラーのようなところもありましたね」
──それは勉強してもらわないといけないですね(笑)。他にはどのような問題が起ったのでしょうか。
「たわみ、温度による収縮、伸びですね。夏で気温が暑くなると、マットがたわむんです。伸びてきて。そうなると切ってもらう。それはもう素材だから、そういうものなんです。それがロールマットの特性で。だから、最初に敷くサイズに数センチ余裕を持たす必要があったみたいで。
相模大野の支部では、そういう風に敷いてもらって、暑くてたわみを切ってもらうということはなくなりました」
<この項、続く>