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【Road FC57】キム・スーチョルの過去・先週の土曜日、そして……これから

Road FC57【写真】さあ、またK-MMAが動き出す──か…… (C)MMAPLANET

14日(土・現地時間)、韓国はソウルのグランドヒルトン・コンベンションホールでRoad FC57 XXが開催されキム・スーチョルが第1部に組まれたグラップリング日韓戦に出場した。

Soo Chulまずはタクミとドロー。盟友イ・ユンジュンとドローだった清水俊一と決勝ラウンドを戦いギロチンチョークで切って落とした。

タクミをして「凄い圧力と動きで、下からの仕掛けとか考え、練習してきたことが何も出せなかったです」と言わしめたスーチョル。計量の時から、その鍛え上げられたボディを見て、さらにグラップリングながらケージに押し込んでテイクダウンを狙う姿を確認し──なぜ、彼ほどのファイターがMMAを戦っていないのかということだった。


個人的な見解として2012年から2016年にかけて、韓国MMA界の成長と人材の輩出に記者として立ち合うことができて非常に幸運だったと思っている。かつては急遽呼ばれた日本で、前準備もできない状況でキャリアの多少に関係なく戦う韓国人選手は、いってみれば噛ませ犬としての来日が殆どであった。

2003年から本格的に始まったMMAのブームが根付かず、ロードFCが2010年代に入り定期的かつ継続的に大会を開催、テレビを巻き込むことでようやく韓国のMMA選手たちは準備期間のある試合に臨むことと安定してトレーニングを積むことができるようになった。

急激に力をつけた時代をリードしたのが、ロードFCで育ちチャンピオンとなったキム・スーチョル、イ・ユンジュン、そしてチェ・ムギョムの3人だった。殴り合いというイメージが強かった韓国人MMAファイターたち。その理由は試合に向けた対策練習ができず、一発に掛けた試合をするほかなかったからだ。

もちろん韓国のファンも殴り合いが好きだ。その一方で、彼らの世代は防御能力を高め、間合をコントロールする打撃を身に着け、テイクダウン&スクランブル、そして柔術を消化した上で──いざという時に殴り合いができるウェルラウンダーとして輝かしい成果を残した。

しかし、イ・ユンジュンは障害が発覚し引退を余儀なくなされ、チェ・ムギョムは自らのジムを創り後進の指導に専念することで現役生活に別れを告げた。

分からないのが、一昨年12月に急遽引退宣言を行ったキム・スーチョルだ。

彼のMMA初陣は実は日本だった。関西インディーのRISING ON、同大会を取材していたが新幹線の都合でメインの彼のファイトを見ることができず、会場を離れた。ただし、日曜夜の大阪南部の南海線はそれほど電車の本数もなく、難波へ向かう列車を待っていると、スーチョルが早々に勝利したことでメインまで試合を見ていたファン達から結果を聞くハメに陥ってしまった。

アジアの夜明け前、ONE旗揚げ戦を取材した際に──レアンドロ・イッサに敗れたスーチョルの試合を見た。以来、イッサにリベンジを果たしONE世界王座に就き、ビビアーノに敗れベルトを失った時も取材ができた。スーチョルはONE時代に今を時めくラカイ勢のケビン・ベリンゴンにも勝っている。

ROAD FCに戻ってからは手塚基伸、田村一聖、中原太陽、清水俊一という日本人選手を避けつけず、マルロン・サンドロとはドロー、マーカス・ブリメイジやジュマイベク・トゥルシュンにも危なげなく勝利した。

イ・ユンジュンの後を受け、バンタム級王座を新鋭キム・ミンウ(現王者)と戦い危なげなくベルトを巻き、まさに絶頂期にあったさなかスーチョルは引退を発表した。そして前言撤回があるだろうという周囲の楽観的な意見も聞かれるなか、2年に渡り試合をしてこなかった。

Kim Soo Chulそのスーチョルが土曜日の夜、鍛え上げられた体躯と、練習をしていないわけがないという動きをグラップリングながら披露した。もう、彼には今後のことを尋ねるしかない。

引退理由やその間──など30分以上に渡りインタビューしたが、ここでは結論だけを書き記したい。

マーベルのアベンジャー・シリーズ宜しく、『キム・スーチョルは、2020年ケージに帰ってくる』──と。イ・ユンジュンをセコンドに、彼が果たせなかった夢を一緒に掴み取るために。

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