【Special】ホイス・グレイシーに訊いた息子クォンリーのMMA挑戦とシャムロック戦─01─「彼が望んだ」
【写真】サングラスをかけて道場に現れたホイスは、エリオに瓜二つに見えた。そして、今も眼光が鋭い(C)MMAPLANET
個人的なことではあるが、1993年11月12日にホイス・グレイシーがUFCで戦い、優勝していなければ自分は今、ここにいない。
グレイシー柔術があり、UFCがあったことでその後の25年の人生が与えられた。この業界の人や名のある柔術家までが、一介の記者に『日本で一番のグレイシー好き』と言ってくれることがある。
そんなことは恐れ多くて口にできないし、そうだと思ってもいない。MMAファイターでも、柔術家でもない自分が言えることは……口を大にして言えることは、「日本で最もグレイシーに感謝している人間の一人」ということだ。
だからこそ、人生を費やし追いかけることができる対象を与えてくれたホイス・グレイシーがBellatorでケン・シャムロックと戦った試合や、彼の息子がケージに入り何もできなかった試合を目にして、何とも言えない気持ちになった。
クォンリーに対して、何も想うことはない。ただし、ホイスに関しては言い方は非常に失礼だが、晩節を汚している。そんな風に思えた。
12月3日から7日までドキュメンタリー作家の柳澤健氏がNunbmer誌で連載中の「2000年の桜庭和志」の取材でホイス・グレイシーとホイラー・グレイシーをカリフォルニアに訪ねる──その旅に同行させてもらう機会に恵まれた。
そして限られた時間ではあるが、個人的に気になっていた上記2点についてホイスに話を訊くことができた。ホイスはクォンリーのMMAチャレンジ、そしてシャムロックとの戦いをどのように思っているのかを尋ねた。
Special Thanks to Mr.Takeshi Yanagisawa
「なぜ、そんなことを尋ねるんだい?」
──ホイスがUFCで優勝をしMMAの歴史が始まってから25年が過ぎました。そんな2018年の1月にあなたの息子のクォンリーがベラトールでデビューし、2試合戦って1勝1敗という戦績を残しています。この時代に息子さんが戦うことを良しとしたのか。その辺りのことを教えてもらえないでしょうか。
「息子が望んだからだよ。それしか理由はない。私が望んだのではない。クォンリーが戦いたいという意志を持っていたんだ」──戦うべきではないと思わなかったですか。
「クォンリーがやりたいというのであれば、私は『やれば良い』と言うだけだよ」
──息子さんのMMAファイターとしての能力をどのように評価していますか。
「彼が私に『MMAで戦いたい。戦っても良いか』と尋ねて来たんだ。私はMMAで戦うための指導をし、練習メニューも与えた。誰とどのようなトレーニングをするのかも、伝えたよ。試合に出るための練習方法を授けた」
──息子さんが試合に出てケガをしたり、ダメージを負うこと、そして敗れることに恐れはなかったですか。
「ノー。なかったよ」
──なぜですか?
「ハハハハハ。なぜ、そんなことを尋ねるんだい? 彼がダメージを受けることを怖くなかったか? そんなことは心配していなかったよ。アハハハハ」
──娘さんがケージで戦いたいと言った時はどうされますか。
「素晴らしいことだ。嬉しいよ。アハハハハハ。彼女もそうすべきさ」
──MMAは進化し続けており、グレイシーの名を傷つける恐れがあります。
「例えばだよ、誰かがエヴェレストの登頂に成功したとしよう。私は座ったままで『簡単だよ。たくさんの人間がエヴェレストには昇っている。誰だってできるよ』なんて言う人間にはなりたくないんだ。
私エヴェレストに登頂したのを見た息子が、座ったままで『父がエヴェレストに昇っている。簡単なことだよ』なんて言う人間になって欲しくない。そんなことを言うのであれば、息子もエヴェレストの山頂を目指さなければならない。
『私が若ければPRIDEのチャンピオンになっていた』なんてことを言う人間だっている。この上なく無礼な言葉だ。私に君に『もし私がファイターでなければ、ジャーナリストになりたかった』と言ったとしよう。こんな無礼な話はない。
ジャーナリストであり続けることは簡単ではない。君がどれだけのことを背負って、その仕事をしているのか。『私がファイターでなければ、君のようになっていた』なんて、失礼なことは決して口にできない。
『もし、僕が記者でなければK-1チャンピオンになっていた』なんて、言わないだろう?」
──正直な話、『お前が記者になれるなら、俺もなれるな』と言った人間はいます(苦笑)。
「無礼極まりない人間だ。『もしファイターでなければ、五輪の水泳で金メダルを取りたかった。イアン・ソープに勝ちたかった』なんて口が裂けて私は言えない。私はファイターで、スイマーではないのだから。
息子が『エヴェレストなんて誰でも登ることができる。僕は誰もやってことがないことをやるよ』なんて言ったら、お笑いだよ」
──ホイスがUFCで戦ったのは個人の希望もあったと思いますが、グレイシー柔術が如何に優秀かを証明するため、一族のために戦うという側面もあったと思います。ただし、クォンリーたちの世代はグレイシー柔術のために何かを証明する必要もありません。
「クォンリーは、彼自身のために証明する必要があった。彼の個人の探求心を満たすために戦わなければならなかったんだ。名声やお金のためではない。自分自身のためだ。クォンリーは自分が戦えることを、自分に示した。戦わなければ、証明はできないんだ」
──では、ホイスにとって2016年2月のケン・シャムロック戦を戦う理由はどこにあったのですか。もう50歳近くにもなっていた時に。
「アハハハハ。体調は良かった。気持ちも問題ない。多くのファイターがキャリアを終えた時に、色々な問題を抱えているのとは違う。心身ともに良好だった。だから戦ったんだ。私がシャムロックと戦いたかったのではない。彼が私と戦いたがっていたんだ」
<この項、続く>