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【Gladiator005】吉村友菊と統一戦に挑む暫定王者・宮城友一─01─「プロになる前に40試合ぐらい」

Yuichi Miyagi【写真】7年以上のブランクというは、なかなかない。それだけにMMA、そしてGladiatorに賭けている宮城だ (C) MMAPLANET

21日(日)に大阪市阿倍野区の阿倍野区民センター大ホールで開催されるGLADIATOR005で、ライトフライ級暫定チャンピオン宮城友一が、正規王者の吉村友菊と王座統一戦を戦う。

本来、昨年8月の和歌山大会で宮城が吉村に挑戦予定だったが、王者の負傷欠場でタイトル戦がなくなり、宮城は暫定王者に認定されることとなった。

あれから5カ月、吉村とベルトを掛けて戦うことになった宮城に、その格闘家人生を尋ねた。沖縄という土地だからこその試練と、沖縄だからこそ生まれた人間関係と結束力。そして、MMAでは7年以上のブランクがあった宮城が、辿り着いたグラジエイター。宮城が歩んできた格闘道を尋ねた。


──日曜日に王座統一戦が控えているのですが、今の体調を教えていただけますか。

「体調も良いし、減量もいつも通りです。計量前夜に大阪に行くので問題ないと思います。以前は計量の日に現地入りするような形にしていたのですが、それが本当に辛くて」

──沖縄からですと、飛行機に乗っている時間も長いですよね。

「そうですね、3時間弱ぐらいで。なので前の日から泊まるようにしています」

──なるほど。水抜きをしながらの移動は、耳にするだけでも辛さが伝わってきます。

「それは……辛いです。なのでライトフライ級で戦うようになってから、計量の前日に移動するようにしています。それだけでも全然違うので」

──地方都市のハンデでいえば、距離的には沖縄はダントツですし、常にそういう現実と向かいあってきたのですね。

「でも、それもやって来ないと分からなかったことなので。この1日が全然違うということが分かっただけでも、自分にとっては大きかったです」

──私もそうですが、MMAPLANETの読者の皆さんも宮城選手のことをまだあまり知らないと思います。資料によると、既に35歳でプロデビューは約13年前の2005年なのですね。そもそもMMAを始めたきっかけは何だったのですか。

「ケーブルTVでパンクラスを見て、それからUFCとか修斗にも興味がわいてやりたくなりました。そこで入門したのが砂辺(光久)さんもいた武限でした。当時は沖縄では武限しか総合ができるジムはなかったです。

曹(竜也)と同じ頃に入門して、その曹と闘心でやっていくことになる熊澤(伸哉)さん、祖根寿麻もいて……寿麻は高校生でした。あの当時は皆が練習仲間でしたね」

──沖縄でMMAの試合をするとすれば、やはり沖縄以外のプロ興行に招聘される必要があったかと思いますが、パンクラスで戦うようになるまでは、どのように実戦経験を積んでいたのですか。

「当時は武限でアマチュアの試合がありました。スタンドはフルコンルールで顔面パンチはなく、投げや寝技のある試合を頻繁にやっていて、回数だけは皆がこなしていたんです。僕もプロになるまえに40試合ぐらいやっていました」

──40試合!! それはどのような試合間隔になるのですか。

「武限がなくなる前ぐらいは月イチで試合に出ていました」

──顔面パンチがないから、それぐらいの頻度で試合ができたのですね。

「そうなんです」

──当時は何を目標にしていたのですか。

「パンクラスですね。武限自体がパンクラスでプロになることを目標にしていたジムなので、僕自身もアマチュア・パンクラスで勝ち上がってプロになることを目指していました」

──プロになるためのアマ・パンに出るには、東京に出て来て試合をする必要があったのですね。

「そうですね、東京か横浜でした。ハンデといえばハンデだと思いますが、当時のパンクラスの60キロのタイトルは3回連続ぐらいで武限が取っていたんです。試合数も数多く経験し、何よりアマ・パンで優勝している人たちと練習していたので、試合に行くのはとても大変でしたけど、アマ・パンで勝つ自信はありました。年に1回、僕や曹竜也もそうだし、そこに賭けていました。東京の人に負けないっていう気持ちと自信がありましたね」

──2005年のプロデビューから、2007年5月までパンクラスで5勝2敗の戦績を残していますが、それから7年2カ月もの間レコードが途絶えています。

「その間はキックボクシングに転向して、プロで20戦ほどやっているんです。これは個人的に当時所属していたジムと色々とあって、ジムを退会するために引退という手段を取りました。でも格闘技は諦めきれなかったので、キックボクシングに転向する形で続けていました」

──その時にMMAを続けるために首都圏に出てこようなどと考えることはなかったですか。

「そこも含めて色々と考えました。ただ、キックを練習するようになった真樹ジムオキナワで凄くお世話になって、キックでチャンピオンを目指そうという空気があったんです。キックは沖縄でも試合がありましたし、MAキックが分裂する前なので東京や福岡でも試合をさせてもらいました。

ただMMAを戦いという気持ちはずっと持ち続けていました。キックをやっていてMMAを続けている人が羨ましかったです。砂辺さんはその間も仲良くさせてもらっていて、パンクラスで活躍しているし、どこかで焦っていたというのはあります」

<この項、続く

■Gladiator005対戦カード

<Gladiatorライト級選手権試合/5分3R>
[王者]濱村健(日本)
[挑戦者]岸本泰昭(日本)

<GLADIATORライトフライ級(※54.4キロ)王座統一戦/5分3R>
[正規王者]吉村友菊(日本)
[暫定王者]宮城友一(日本)

<バンタム級/5分2R>
竹本啓哉(日本)
渡部修斗(日本)

<フライ級/5分2R>
NavE(日本)
イ・ミョンジュ(韓国)

<バンタム級/5分2R>
山口翔(日本)
白川Dark陸斗(日本)

<ストロー級/5分2R>
三谷敏生(日本)
木村旬志(日本)

<フェザー/5分2R>
名田英平(日本)
國頭武(日本)

<ミドル級/5分×2R>
KING(日本)
BLUE3☆鬼瓦(日本)

<フライ級/5分2R>
草信孝謙(日本)
スクランブルユースケ(日本)

<フライ級/5分2R>
井口翔太(日本)
仁科太志(日本)

<ストロー級/5分2R>
若林耕平(日本)
ジェイソン北(日本)

<バンタム級/5分2R>
四至本ジョリー竜馬(日本)
上田祐紀(日本)

<OPウェルター級/5分1R>
山口恵(日本)
寺前祐(日本)

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