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お蔵入り厳禁【UFN117】岡見と対戦するOSPが話していたこと─01─「最初に覚えたのはクレオール語」

OSP【写真】こういうと失礼だが、本当にイメージしていたのとは全く違う人だった(C)MMAPLANET

23日(土)にさいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナで開催されるUFN117「Saint Preux vs Okami」のメインで戦うOSPことオヴァンス・サンプレー。

急遽マウリシオ・ショーグンから岡見勇信と戦うことになった彼が、7月にPR来日した際のインタビューを公開したい。大学卒業後に初めてキックを経験し、柔術を習い出したOSPが、短期間でトップファイターの仲間入りを果たしたわけ──そのインテリジェンスが垣間見られる話が聞かれた。


──東京に到着したのはいつですか。

「今朝だよ。朝の5時だった。でも、問題ないよ」

──時差ボケはないですか。

「今、僕が住んでいる街は午前1時だけど、体の調子は悪くない。というよりも、絶好調だよ(笑)」

──今回は初めての日本だと聞いています。

「そうなんだ。まだ、東京について6時間ほどで何も見ていないけど、格闘技の母国にやって来られて嬉しいよ。でも、ずっと昔からマーシャルアーツの映画を見て来たし、新学期に卒業した学校を訪れるホームカミングのような感じだね。

だいたいMMAのビッグショーの歴史も日本で始まったのだし。PRIDEで活躍していたファイターの多くがUFCで戦っているようにね」

──日本のファンはまだまだOSPのことが分からないです。国籍がハイチとされることもありますが、生まれは米国になるのですか。それともハイチですか。

「父と母はハイチで生まれたけど、僕はフロリダで生まれ育った。ただ、父と母は米国に渡ってもハイチの文化に従っていたし、僕が最初に覚えた言語も英語ではなくてクレオール語(※ハイチ語)だったんだ。フランス語に近い言語だよ。

だから、英語が理解できるようになり2カ国語が話せる時点で、普通の米国人の成長過程とは違っていたんだ。そして、今もハイチの伝統を尊重して生きているよ。子供の頃は家の中は80パーセントはハイチっぽかったけど、今は逆で20パーセントほどになっているけどね」

──ハイチの文化や国民性とはどういうものなのですか。カリブの国ということで、やはりレゲエ文化に似ているのでしょうか。

「ノー、そんなことはないよ(笑)。言ってみればカリブの国々はサード・カントリーに属す国が多いけど、ハイチはなかでも最下層にある。ただ、僕は米国で育ったし、両親も厳格な感じでハイチに拘った子育てはしていなかったよ。なんとなく、ハイチ気質なことがあったという感じで。そういう雰囲気のなかで育ったことは良かったと思う。

世界中の多くの人が知らないことだけど、ハイチは世界で最も早く欧州の植民地支配から独立し、黒人国家を樹立した国なんだ」

──それは私も含め、日本の多くの人間が知らない話だと思います。

「僕個人は米国で生まれ育ったハイチ人として、自分のなかのハイチの血というモノを意識し、ハイチの歴史を学ぶようになった。周囲の人々とは違った歩をしてきた。ハイチの血が流れていることに誇りを持っている。

ハイチの血がなければ自分が何者であるのかを意識せずに成長することになったはずだからね。ただ、それはハイチ人の血ということではなく、両親がそういう風に育ててくれたからだと思っている」

──米国は人種の坩堝。それだけ習慣や文化の融合もあり、日本とは環境が本当に違うかと思います。

「その通りだね。僕自身が明らかに他と違う環境で育った。ハイチはフランスの影響を多少なりとも受けているけど、ほぼハイチ流、一つのカルチャーが存在している。ただし、僕はフロリダで育ち、周囲はキューバ人、ドミニカ人、メキシコ人という風に違ったルーツ、カルチャーを持つ人々が多かった。

そこまで極端じゃないけど、僕らは生の魚は食べない。でも、日本の人はソレを好む。僕も日本では刺身を食べようと思う。そういう自分とは違う習慣が、身の回りに溢れていた。自分から見つける必要がないくらいにね。そうやってハイチとは違うカルチャーにも影響を受けて成長したんだ」

──そして、アメリカ合衆国の象徴といえるアメリカン・フットボールの世界でも活躍し、米国で育ったMMAというスポーツに転向を果たしたわけですね。

「子供の頃からマーシャルアーツの映画を見るのが大好きだったけど、米国ではフットボールで活躍すると進学が約束されている。実際、僕もフットボールでカレッジに進んだ。その先にはNFLがある。ただし、NFLまでたどり着くフットボール・プレイヤーは1パーセントにも満たない。

僕はその1パーセントになれなかった。そして、グッドシェイプを保ちたくてMMAのトレーニングを始めたんだ。24歳か、25歳の時だった。フットボールを辞めて1年半ぐらい経った時にキックボクシングをやらないかと誘われてね、ジムへ行ってみると、そこはキックボクシングではなくMMAを練習していたんだ。

ただ、もう運動はフットボールでやり切ったつもりだったから、トレーナーから試合に出ないかと誘われても最初のうちは断っていた。当時はアルコールやドラッグ、非行に走った子供たちを更生させるカウンセラーをしていたんだ」

──しかし、24歳や25歳で始めたMMAで成功を収めるのもレア・ケースです。

「確かにね(笑)。でも、それまでずっとスポーツを続けて、体を鍛えていたからね。見て、習ったことを実行するボディを持っていた。コーチが教えてくれたことを習得するのに時間が掛からなかったんだ。というよりも、凄く早かった。

皆が2週間ドリルを続けて感覚を掴んでいることが、僕はすぐに身に着いた。MMAを始めた時、柔術も打撃も一切知らなかったんだ。ハイスクールでレスリングをやっていただけで、ファイトの経験はなかった。でも、今じゃ誰もが僕のことをストライカーだと思っているだろう? 今も勉強中だけどね。

柔術も同じ。僕はまだまだ成長できる。これからキャリアのキープを迎えるんだ。全てのファイターには特徴があって、僕はまだ学習中で。学んだことが、どんどん身についている状態なんだよ」

<この項、続く>

■UFN117対戦カード

<ライトヘビー級/5分5R>
オヴァンス・サンプレー(米国)
岡見勇信(日本)

<女子ストロー級/5分3R>
クラウジア・ガデーニャ(ブラジル)
ジェシカ・アンドレジ(ブラジル)

<ライト級/5分3R>
キム・ドンヒョン(韓国)
五味隆典(日本)

<ライトヘビー級/5分3R>
グーカン・サキ(オランダ)
エンヒッキ・フランケンシュタイン(ブラジル)

<フェザー級/5分3R>
石原夜叉坊(日本)
ロランド・ディ(フィリピン)

<フェザー級/5分3R>
廣田瑞人(日本)
チャールズ・ロサ(米国)

<ウェルター級/5分3R>
中村K太郎(日本)
アレックス・モロノ(米国)

<フライ級/5分3R>
ジョズエ・フォルミーガ(ブラジル)
佐々木憂流迦(日本)

<女子ストロー級/5分3R>
近藤朱里(日本)
ジョン・チャンミ(韓国)

<ウェルター級/5分3R>
安西信昌(日本)
ルーク・ジュモー(ニュージーランド)

<ウェルター級/5分3R>
阿部大治(日本)
イム・ヒョンギュ(韓国)

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