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【Bu et Sports de combat】 武術空手とMMA。マチダ空手、シンゾー・マチダを訪ねる─01─

Chinzo & Tatsuya【写真】空手を広めるのは技術ではなく、哲学というシンゾー・マチダ、何といってもシンゾーとリョートはMMA経験値の最も高い空手家だ。シンゾーと岩﨑氏の考えは共通部分も多い、そして右拳の位置にも顕著に表れているように相違点もある(C)MMAPLANET

MMAと武術は同列ではない。ただし、通じている部分が確実に存在している。そして、如何に武術の叡智をMMAに落とし込むのか。AACCでMMAファイターが習う剛毅會空手──武術空手とは何なのか。さらにいえば、空手とな何なのか──を剛毅會空手・岩﨑達也宗師に尋ねる、この企画。

岩崎が6月初旬にカリフォルニア州ロサンゼルスを訪問し、武術の原理・原則と戦略と戦術の競技──このパズルを埋める作業として、2つの空手道場を現地で訪ねた。現在発売中のFight & Life誌において総論的なレポートが掲載されているがMMAPLANETでは、アビ・ロカー空手、マチダ空手でそれぞれアビ・ロカー、シンゾー・マチダとの対話を紹介し、Fight & Lifeで述べられた総論に辿り着くまでのプロセスを紹介したい。

西山空手の伝承者アビ・ロカー師範に続き、岩﨑氏はMMAに空手を落とし込む経験値にかけては当代一、マチダ空手のシンゾー・マチダにMMAにおける空手を尋ねた。空手は全局面武道、そんな共通思想を持つ伝統派とフルコンの出身者は、哲学という共通項を持っていた。

■シンゾー『フィロソフィーが大切になってくる』

岩﨑 実は先日、リョートさんのいる時にも稽古にお邪魔させていただいたのですが、一般の人の護身や修身のために空手を指導している。それがシンゾーさんたちの空手哲学だそうですね。ただし、リョートさんもシンゾーさんもMMAで戦っていますよね。

シンゾー MMAはマーシャルアーツではあるけど、プロフェッショナルスポーツ。マチダ空手は技術的にMMAに対応している一方で、プロフェッショナル・アスリートがMMAで使うための空手の指導ではなく、誰もが学べて使いこなせる空手の普及を僕らは目指している。そこで普通の人が空手を学ぶ、習う、そして身に着けるにはフィロソフィーを知ることが大切になってくるんだ。

突きや蹴りだけでなく、空手の中にある哲学を普段の生活に生かしてほしい。それが我々の指針なんだ。蹴りや突きだけを指導していると、空手はアクティブな若い人間のスポーツになってしまうからね。

岩﨑 武道、道なのですね。戦わないために戦いを学ぶ。ルールある戦いに勝つということは空手を学ぶ手段であり、その先に哲学がある。その通りで感銘を受けました。その哲学、思想というのはお父様の嘉三さんの指導の影響なのでしょうか。

シンゾー 基本は父の指導から学んだことだけど、僕とリョートは自分たちの経験からよりフィロソフィーの部分を大切にするようになったんだ。そして、我々の空手を指導するうえでもっとも重要だと捉えている。

マチダ空手の哲学を知ってもらってこそ、この空手を広めることができる。マチダ空手には我々が主催する大会が存在しないんだ。もし、トーナメントを開くようになると皆が皆、トーナメントに勝つことに集中し始めるからね。

MMAに出場しているのも、スクールのごくごく一部。一般の道場生は試合で勝つために空手を学ぶわけじゃない。と同時に、僕がMMAで戦うときもこの哲学に則している。無心で戦うこと。そのために瞑想をしている。試合中は当然のようにベストを尽くしているよ。と同時に何も考えず、動くことを心掛けているんだ。それが僕らの空手フィロソフィーから来ている部分だよ。

無心、不動心、残心、この3つがマチダ空手の根底にある。技術、フィジカルを鍛えるだけじゃない。心を育てているんだ。何より、MMAで戦う時に必要なのはアクションとリアクションだけだから。こうしたい──、こうしようという想いは持たないようにしている。そのための日々の稽古があるんだよ。

岩﨑 その考えが今夜見せて頂いた指導の根底にあるということですか。

シンゾー 体を動かす稽古だけでは、なかなか浸透しないのでクラスの終わりに生徒たちと話をするようにしているんだ。今夜はポジティブン・シンキングについて話した。例え、自分にとって居心地の良くない状況にあっても、前向きに考える姿勢が大切だ。全ては気の持ちようだからね。

自分で何かを考えても状況は変わらない。だから、その状況に対する捉え方を変える方がよほど実用的だ。ネガティブだとより悪い方に作用し、ポジティブでいると状況は改善する。それが気の持ちようだと生徒に話したんだ。

岩﨑 つまり敵は相手ではなくて、自分だということですね。

シンゾー 岩﨑さんの言う通りだよ。ネガティブな考えも、ポジティブな姿勢もつまりは自分自身。だから、その結果というのは自分がもたらしたこと。だからこそ、ポジティブである必要があるんだよ。

岩﨑 シンゾーさんのようにフィロソフィーを大切にしている道場というのは残念ながら、それほど見られるモノではないです。私は一つの言葉でシンゾーさんと意見を交わすことはできないのですが、それでも稽古を見ているだけで良い気が感じられました。本来、シンゾーさんのような人格の持ち主が空手や武道を教えるべきだと私は思っています。

シンゾー オー、ドウイタシマシテ。

■岩﨑『ボクシングではないことが分かりました』

岩﨑 リョートさんからもそれが伝わってきました。それはフィロソフィーを大切にして、生徒さんに接しているからですね。マチダ空手のような道場は日本にもなかなかないです。

シンゾー それは僕が空手を指導することで、彼らの人生が豊かになってほしいと考えているからだと思う。空手とは本来、人生を含んでいるもの。稽古にやってきた人達は体を動かし、技術を学び、スピリットを鍛えることができる。それが空手の心技体だから。

岩﨑 本当はもっとMMAにおける空手の距離や、どのように空手をMMAに落とし込んでいるのかを尋ねたかったのですが、大切にしているモノがあまりにも似通っており、そういう質問が後回しになってしまいます(笑)。

シンゾー ハハハハ。ではそっちの話をしようよ、岩﨑さん。

Chinzo Machida karate岩﨑 私達も空手をMMAに落とし込もうとしてやっていますが、まだまだ勉強中です。マチダ兄弟のMMAにおける経験値は、他にないです。今日も稽古を見せてもらいましたが、パンチはボクシングのように感じていたのが、やはり直接目にするとボクシングではないことが分かりました。

シンゾー 松濤館空手で学んだことだけではMMAは戦えない。MMAを戦うようになって、松濤館空手だけでは解決できない壁にぶち当たったんだ。引手が腰にあると、次のパンチが打てない。一つの突きでは、続く突きに繋がらない。連続技はイチ、ニまで。MMAではワンツーを狙っても、まだ距離が遠いことがいくらでもある。そして、相手のパンチをブロックする必要もMMAには出てくるからね。

エルボーもヒザ蹴りも、僕らが戦っていた松濤館空手の試合では使うことが許されなかった。アッパーカットやフックもなかったよ。ただ、古い空手の手引きを読むと全てが記されている。本来、あったものの稽古をなぜしなくなったのか。エルボーを見ると皆がムエタイだという。違う、空手には猿臂がある。ただし、試合では使えない。古い先生は全てを使えたはずだ。

岩﨑 私も極真を20年間練習し、ヴァンダレイ・シウバと戦い負けました。その時にMMAで勝てる空手を創りたいと思ったんです。その時にある古流の先生と出会い、今、シンゾーさんが言ったようにその先生の空手にはMMAで使える全てがありました。以来、稽古に励む一方でずっとリョート、シンゾーさんのMMA、空手を記事を通して目にさせてもらっていたんです。

<この項、続く>

■岩﨑達也
1969年6月20日、東京都出身。極真空手90年、95年全日本重量級チャンピオン、世界大会三度出場。2002年国立競技場Dynamite!!でヴァンダレイ・シウバと対戦。現在、剛毅会空手道主宰、武術空手の指導、MMA選手の育成に励む。

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