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【Special】ブラジルから日本へ。格闘技が変える。ダニロ・ザノリニ<01>「コーヒーも違った……」

Danilo【写真】3本のベルトを持つダニロ。練習、指導をするTSジムで (C)MMAPLANET

2015年11月、フランスのフィリップ・サモンを破りISKA世界スーパーウェルター級王者となったダニロ・ザノリニ。HEATキックルール・ミドル級、そしてRISEウェルター級王者がミ右ストレート一発で世界王者に就いた。

HEAT特有のケージ・キック、周囲には日系ブラジリアンの友人たちが群がり喜びの声を叫ぶ中、ダニロはマイクを握ってまずは日本語で挨拶を行った。18歳、一人で日本にやってきてから16年──ダニロ・ザノリニに日本での格闘家人生を振り返ってもらった。

──ISKA世界スーパーウェルター級王座を獲得しRISEウェルター級とHEATミドル級に三冠王となり、ついに世界王者の肩書も手にしました。日系ブラジリアンの友人たちも大喜びで、でもダニロはいつも日本語から話し始めますね。

「僕は日本にいるんだから、日本語で話さないと。日本人の友達も多いし、スポンサーも日本の人たちだし。まずは日本語でお世話になっている人達にありがとうと伝えて、それからポルトガル語で感謝の言葉を伝えるようにしています。日系ブラジル人のなかには日本語を話さない人もいるけど、僕は日本にいるなら、日本語を話すしかないと思っているので。ブラジルではポルトガル語で話すけど、日本では日本語を覚え、日本のルールを覚えることが大切」

──ダニロが日本に初めてやってきたのはいつ頃ですか。

「1999年だから16年です。車の塗装の会社で愛知県の蟹江で働くためにやってきました。4年ぐらい、1日12時間働いていました」

──1日12時間……。こちらに肉親は?

「ないです。お母さんのお母さんが日本人で、でも出身地も分からない。お母さんはブラジル生まれだけど、お爺ちゃんとお婆ちゃんとは日本語で話していました。僕はでも、日本に来てから覚えました。元々サンパウロの田舎の方のソロカベリという街で生まれ、日系人も多かったです。お母さんは躾が厳しかったし、日本のルールを守っていました」

──もちろんお金を稼ぐために日本にやってきたということですが、そのまま日本に住むつもりだったのですか。

「ブラジルは生きていくのは楽しいけど、食べるのは難しいです(笑)。仕事をして、ご飯を食べるだけはできても、もっと頑張りたかった。だから、日本でお金を貯めてブラジルに戻って自分のビジネスを始めるつもりでした。でもお金が貯めて、自分のジムを日本に作ってしまいました(笑)。そしてファイターになった。もうずっと日本にいると思います」

──格闘技の経験はブラジル時代にあったのですか。

「ハイ。9歳の時に空手を始め、15歳からキックボクシングの練習をしていました。そして高校を卒業して、1人で日本に来ました。時間がある日曜日に公園で1人で練習を始め、日系の友達が1人参加するようになりました。『何やっているの?』、『キックボクシング。一緒にやる?』って感じで。

それからどんどん公園に集まる人が増えて、15人ぐらいになった時に体育館を借りるようになりました。人が増えた時に自分でジムをやろうって思うようになったんです」

──ブラジル人は家族とタイト。それが私のイメージです。18歳で1人で日本にやってくる、相当な覚悟があったのではないですか。

「寂しかったです。1年ぐらい、日本語は分からないし。TVも意味が分からないから見ない。1年は仕事と家だけでした。食べ物も……コーヒーもブラジルと違うし(笑)、白いご飯も食べられない。毎日、帰りたいって泣いていました。でも、1年ぐらい経って友達も増えたし、言葉が通じないから会社も簡単じゃないけど……ダニロが理解しないから、部長さんが怒っていたり。でも、苛められたりはなかったです。だから日本人の友達を作って、日本語も覚えるようになりました」

<この項、続く>

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