【Interview】武田惣角の技を韓国に伝えるハップキユースル、チェ・ミョンクン「技を守ることが大切」
【写真】今年53歳になるチェ・ミョンクン先生、38歳からハップキユースルの稽古を始めた。師キム・ユンサン道主もチェ・ヨンス道主の教えを受け始めたのは43歳の時だったという (C)MMAPLANET
ハップキドー、日本の大東流をルーツにするとされながら、もはやその源流はまるで感じられない武道。そもそも開祖といわれるチェ・ヨンス道主自身が、非常に謎の多い人物で、その生涯を振り返った言葉の真偽のほどが疑われてきた。
そんなハップキドーの伝統を守る流派として、ハップキユースルなる武術が今も韓国に残っていると耳にした。世界でも僅か400名ほどしか習う者がいない武道の真実とは。チェ・ヨンス道主から、キム・ユンサン道主を経て今に伝わる大東中の遺伝子、ハップキユースルについてチェ・ミョンクン先生の話を訊いた。
チェ・ヨンスの伝説、武田惣角との関係など、これからもその真実は明らかになることはないかもしれないが、彼の指導のなかで見られた技には、しかと技は伝承されていると思えた。大東流、ハップキドー、ハップキユースルの口伝をここに紹介したい。
なお現在発売中のFight&Life Vol.47では、ここで取り上げたチェ・ミョンクン氏によるハップキユースル、朝鮮固有の武道=テッキョン、シルムについて取材。「Fight&Life 格闘紀行=韓国武術編」が掲載されています。
──練習を見せていただきありがとうございました。ハップキドーと大東流は、全く技術体系が違うと思っていたのですが、チェ先生の指導されている武術は、日本でよく目にする合気道ともまた違い、円運動よりも崩しと足捌きた中心となった、源流に近いように感じました。
「これはハップキドーではないです。ドクァムリュ・ハップキユースル(徳案流合気柔術=徳庵とはハップキドーの開祖、チェ・ヨンス道主の雅名)です。私の道場はドクァムリュ・ハップキユースル、ヨンスグァン(龍術館)の支部でミョンクンホイ(命根会)を名乗っています」
──今、見せていただいた稽古はチェ・ミョンクン先生の習っていた武術、そのものなのですか。
「若い頃、40年間前にハップキドーと剣道をやっていましたが、今、ここで稽古しているハップキユースルとハップキドーは全く別モノです。ハップキユースルの稽古を始めたのは15年前です。チェ・ヨンス初代道主は、ハップキドーのカシオでありますが、道主自身はハップキドーを名乗ったことはなく、自らの技をヤワラ(柔)と呼んでいました。道主の弟子からキド(気道)、ハップキユクォンスル(合気柔拳術)、ハップキド(合気道)などの名称が作り出されたのです。
初代道主の息子さんでチェ・ボクヨル2代目道主を経て、3代目道主となったキム・ユンサン道主が、初代道主の名前と同じ発音なるヨンスグァンを興し、ハップキドーとは区別するためにハップキユースルを名乗るようになりました。
私が40年前に習ったハップキドーは、チー・ハンチェ先生のスタイルでした。あの時は、今、練習していた技ではなく、もっといろいろな武道を取り入れ、またもっとアクロバチックな動きが主流でした」
──現在、ハップキドーは数々の流派に分かれていますが、アクロバチックな動きを取り入れた大元となったのは、チー・ハンチェ氏の広めた武道とは別モノだと。
「似ている動きもあるかもしれないですが、技の原理などは全く違います」
──そもそも、38歳のときになぜ、キム・ユンサン道主にハップキユースルを習うようになったのでしょうか。
「大昔に習ったハップキドーと違い、本当に技を仕掛けることができたからです。自分でもその手応えを感じるようになったのは、5年ほど稽古を重ねてからですが。オランダ人のような体の大きな外国人にも、技が掛かり『本物だ』と思い、今に至っています」
──キム・ユンサン道主は、チェ・ヨンス道主からこのスタイルのハップキドーを習っていたということでしょうか。
「キム・ユンサン道主が、チェ・ヨンス道主からハップキユースルの全てを受け継ぎました。実は今日もグムサンという都市で、キム・ユンサン先生に稽古をつけてもらってきました。今も週に2度、教えを受けています」
──キム・ユンサン先生はチー・ハンチェ氏が広めたハップキドーをどのように思っているのかご存じですか。
「チー・ハンチェ以外にもハップキドーの流派を作った人は数多くいます。キム・ユンサン先生は、自分の道を往くだけだとおっしゃられていて、他の人間について語ることはないです。私達はチェ・ヨンス道主からキム・ヨンサン道主に伝えられた技を守り、伝えている。それが私達のアイデンティティです」
──今日の稽古を見させていただいて、受け手がケガを防ぐという目的で自ら受け身を取るのではなく、ギリギリまで耐えているという風に見えました。
「本物でないモノはやらないです。自ら飛ぶことはない。合気という言葉でなく、集中力という言葉を使っています。集中力で技を掛けます。すると筋肉も呼吸も止めることができます」
──ハップキドーが広まり、ハップキユースルが普及していない現状をどのように思われますか。
「道主はいつも私たちに奢るなかれと言い続けています。試合に出たり、演武を披露することも禁止はされていませんが、快くは思われていないです」
──本物の技をもっと多くの人に伝えたいとは思われないですか。
「チェ・ヨンス道主が存命だった時、法人を創り、大きな組織にしようとしたことがありました。その時、技術体系に変化が見られるようになったんです。組織が大きくなって、技が変わるよりも、習う人間が少なくても、このままの技を守り通すことが最優先されています。とにかくこの技を守ることが大切なのです」
──なるほど。
「キム・ユンサン道主が亡くなると、ひょっとすると違う選択をする者が教えを受けている者のなかにも出てくるのかもしれないです。でも、私はこのままでいます。今、私は4段になりました。目録にある技は300ほどです。私はこの習ったモノをそのまま伝えていきたいです」
──ハップキユースルの道場は、韓国内でどれぐらい存在しているのですか。
「韓国内で23カ所、ドイツ、英国、豪州にもありますが、全員合わせても400名ほどしか、ハップキユースルを習っている者はいません」
──チェ・ヨンス道主は日本でも、どこまで武田惣角と関係があったのかは、かなり疑問視されています。しかし、ここで稽古を見たことで、目録などでなく、その技は伝わっているのだという気持ちにさせてもらえました。
「例えですが、日本の合気道、養正会でも同じだと思います。上手く技を使える者、そうでない者がいます。ここも同じなのです」