【Column】2003年11月のプロフェッショナル修斗
【写真】上段左からステファン・ボーナー、ジョン・フィッチ、ミゲール・トーレス、ターレス・レイチ。彼らは皆、2003年11月に海外で行われたプロ修斗公式戦に出場しているメンバーだ。
※本コラムは「格闘技ESPN」で隔週連載中の『10K mile Dreamer』2011年9月掲載分に加筆・修正を加えてお届けしております
文/高島学
2日、ラトヴィアの首都リーガ。クラブ・ファラオン。
リトアニア人の組み技系ファイターで、一時ZSTの常連だった〝小さなミーシャ″ことエリカス・ペトライティスが、ラトヴィア#01打撃系ファイターのユーリ・ボレンコに腕十字を極め、ベラルーシのウラジミール・ユシュコはリトアニアのレギマンダス・バカスを判定で下した。
10日、豪州ビクトリア州メルボルン、ザ・パワーハウス・ファンクションセンター。
後のPRIDEファイター、ソア・パラレイが、ドン・リチャードをマウントパンチで下し、五輪ベテラン&ADCC4位のクリス・ブラウンが、アンドレ・ガルシアを相手に判定勝ちしている。
14日、リトアニアの首都ヴィリニュスのレド・スポルト・ルマイでは、K-1MAXに出場することになるダリウス・スクリアウディスと日本の大河内貴之がドロー。ロシアのヴォルク・アターエフが、ミンダウガス・クリカウスキスに腕十字を極め、ウェルター級ではマイク・パイルが、バルダス・ボチュビチュスのギロチンに一本負けを喫した。
後のHERO’Sで桜庭和志とある意味、危ない試合を演じたケスタティス・スミルノヴァスは、ベラルーシのロマン・ショテリンのパンチに大苦戦、地元判定っぽい勝利を手にした。
【写真】ラスベガス大会のリングアナは、ブルース・バッファーが務めていた
リトアニア大会の数時間後、米国ネヴァダ州ラスベガスのオーリンズホテルで、ジョン・フィッチがショニー・カーターにTKO勝ち。ハビエル・バスケスは、後のTUFシーズン5出場のロブ・エマーソンに微妙な判定勝ちを収めている。
22日、米国インディアナ州ハモンド・シビックセンター。
WEC世界バンタム級王者からUFCでも活躍することになるミゲール・トーレスが、ライアン・アッカーマンにキャリア初黒星を喫した大会の第5試合では、ステファン・ボナーがブラッド・ライドをマウントパンチからリアネイキドチョークで一蹴した。バート・パラジェンスキーは、5分×2R戦に出場し、ジェイソン・ベンダーソンを下している。
【写真】トニコ・ジュニオールの左は、現地マスコミでルタリーブリに詳しかったデニス・マルチン君。今はUFCのポルトガル語ホームページで仕事をしている。
23日、ブラジル・リオデジャネイロ州ニテロイのティオ・サム体育館。
ファビオ・メーロが、ルシアーノ・アゼベドに判定勝ち。第2試合に出場したのは、ターレス・レイチ。後にUFCミドル級王座挑戦を果たした彼は、フィリッピ・モンゴをらしくリアネイキドチョークで下した。
長々と書かせてもらった、これら3大陸・5カ国、6都市で開催されたMMA大会。全て2003年11月の1カ月、いや正確にいえば2日から23日、約3週間というスパンに行われたプロ修斗公式戦だ。
ちなみに、この2003年11月には日本国内でも3日に後楽園ホール大会で大沢ケンジ、田村彰敏、高谷裕之、ユノラフ・エイネモが勝利を収め、25日の北沢タウンホール大会には外薗晶敏やドイツのダニエル・ヴェイケルが出場している。
リトアニア&ラトヴィア大会はブシドー帝国を築き続けるドナタス・シマナイティス、ベガスはアマMMAを仕切るTUFFnUFF(タフイナフ)のバリー・メイヤーが主催。二人は今もMMAワールドの住民だ。
インディアナのエリック・ムーンもシカゴで、一昨年あたりまでケージMMAを続けていた。豪州のジョン・ドナヒューは音沙汰がないが、ブラジリアン柔術やグラップリングに関係しているだろう。当時のブラジル大会のプロモーター=トニコ・ジュニオールは、現在はX-GYMでトレーナーになり、南米の修斗はノヴァウニオンのアンドレ・ペデネイラスが引き継いでいる。
だから、何が言いたいんだってことになると思うが、何も書き記す気はない。ここに挙げた過去の海外公式戦が実現するには、文化も歴史も、将来像も生活レベルもバラバラの人間が、互いを尊重し、何かを妥協し、あるには絶対に譲れないものをもって実現させていた事業だ。
こんな修斗月間的な活動が、8年前に存在した。彼らは『自らが騎士と思い込み』、風車に立ち向かったドンキ・ホーテ、追随したサンチョ・パンサだったのだろうか……。
彼らが躍動した2003年11月、そんな時代が修斗にあったことを振り返り、思慮できる人たちの手で、日本の修斗を再考し、日本修斗協会を再興してほしいと願うばかりだ。