この星の格闘技を追いかける

Column 「戦争と格闘技とHEROと」

2011.03.29

Cikatic
【写真】ヒクソン・グレイシーが400戦無敗を謳っていたころ、「素手の戦いでも、どこかに地雷が埋まっていたり、空爆される恐れがある状況なら、ブランコ・シカティックに勝てない」というのが、僕の持論だった

※本コラムは「格闘技ESPN」で隔週連載中の『10K mile Dreamer』2011年1月掲載分に加筆・修正を加えてお届けしております

文・写真/高島学

「戦争だからね、そりゃあ敵国の兵隊を殺すことは躊躇しなかった。銃で10人以上、ナイフでも5人は始末した。そうしないと、自分の命が無くなってしまう」。

サグレブ郊外、洒落たレストランのテラス。2カ月後に結婚式を控え、若くて美しい婚約者イワナ・ダビダブスキーさんを隣に、ブランコ・シカティクは何ら躊躇することなく、こんな言葉を口にしていた。

ユーゴスラビア――、物心がつき、歴史や地理を学習していた頃まで、常にバルカン半島にある国といえば、この一国を指していた。東西冷戦時代の終焉を大学生時代に経験した僕らの世代にとって、大げさでなく東欧諸国、社会主義国家といえば敵対する側であり、どこか暗いイメージが付きまとっていた。

ただし、個人的には第2次世界大戦でパルチザンを率いたチトー大統領を元首とするユーゴスラビア連邦人民共和国には、親近感を勝手ながら感じていた。社会主義国家でありながらワルシャワ条約機構に属せず、ソ連と対立した国家を、どこか自分たち自由主義社会に近しい存在に思っていたのだろう。


世界地図を開いても、今はどこにも存在しないユーゴスラビア。冷戦時代の終焉とともに、構成共和国が次々と独立を宣言したが、それはユーゴスラビア紛争とよばれる内紛の時代の幕開けを意味していた。なかでもクロアチア独立宣言を機に、セルビア人とクロアチア人が殺戮を繰り返すようにになったクロアチア紛争は血で血を争う状況が長期化し、悲惨を極めた。

1994年、世界を放浪した際、一緒に回った彼女をイタリアに残し、スロベニアからクロアチアへ潜り込もうという浅はかな考えを持っていた僕だが、周囲の猛反対に合い断念せざるをえなかった。それから4年後の1998年、ついにアドリア海を越え……ということはなく、オランダからアルプスを越えて空路、クロアチアの首都ザグレブに降り立った。

Croatia【写真】ザグレブで宿泊したホテルのエレベーターには、空爆されたケースを仮定した注意書きが施されていた……

空港からダウンタウンに向かう車から目にした路面電車は、ウィーンの街を走る非常に古い形式のものと酷似していた。ユーゴスラビア以前、20世紀初頭まで、この地がオーストリア・ハンガリー帝国の領土だったことが思い出された。

一見のどかに感じられたザグレブ市内、3年前に紛争は終結していたとはいえ、バルカン半島でいえばコソボ紛争が続いており、宿泊したホテルもエレベーター使用の際の注意として、ミサイルが投下された場合の説明が、ごく普通に書き記されていた。

『閉める』のボタンを押す指先が、異様に緊張した記憶が残っている。同様に部屋から退避路の説明書きも、火災の原因をミサイルの投下としており、初日などは枕を高くして眠る気持ちにもなれなかった。僕が訪れた6月は、決して長くない夏の幕開けの時期。ザグレブの人々は、カフェテラスで陽気に語らいあっているが、その建物には無数の弾痕の跡が残ったままだった。

「K-1のリングで戦うことに恐怖を感じたことは一度もない。スポーツだからね」と、シカティックは冒頭の言葉に続き、そんなことを言った。現地でティガージムという格闘技道場を持つ彼は、同時に要人警護のボディガード養成&派遣会社を経営しており、ジムではムエタイだけでなく武器術や護身術の指導も行われていた。

Cikatic 02【写真】イワナ・ダビダブスキーさんとブランコをブランコの前で写真を撮った――決して若くなかったけど、若気の至り

当時44歳の初代K-1GP覇者は、現役の最後の1ページで総合格闘技に向き合っている最中だった。真新しい道着の袖を通し、柔術師範に腕十字を極められてなお、「昨日はムエタイ、今日は柔術、明日は総合と練習していると、毎日色々な発見がある」と笑顔を浮かべていたシカティック。内戦という日本では、140年も経験していない過去を持つ彼に、年を重ねることの素晴らしさを教わったような気がした。

「今は10センチ離れたところで効かすパンチを研究している」という練習の成果は結局、実戦で見られなかったが、彼に十字を極めていたドゥブラフコ・コリッチは、今もクロアチア・グラップリング界のリーダーとして活躍している。ブランコ・シカティックは、クロアチア建国のため、その腕を血に染め、その後はキック界の英雄に君臨。総合に挑むことで、組み技界の礎までも、この古くて新しい国クロアチアに築いた、本物の英雄だ。

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