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【UFC ESPN71】Fight&Life#108より。中村倫也が手ほどきを受けた八卦掌、羅徳修(ロ・ドォショウ)老子

【写真】 中村倫也は学びに行き、学びになった。武の理念が、如何に競技に生きるか(C)MMAPLANET

8月2日(土・現地時間)、ネヴァダ州エンタープライズのUFC Apexで開催されるUFC on ESPN71「Albazi vs Taira」でネイサン・フレッチャーと対戦する中村倫也。
Text by Manabu Takashima

その中村が3月に武術の叡智をMMAに生かせるのかを確認するために台湾を訪れていた。摔跤に続き、八卦掌の大老師を尋ねた模様が、THE 1 STORY 「UFCファイター中村倫也が行く! 台湾武術&MMA探訪」#02八卦掌編としてTHE1TVで配信中だ。

そして同動画の骨幹となった羅徳修(ロ・ドォショウ)老子のインタビューが、FIGHT&LLIFE#108に掲載されている。ここでは――競技を否定せず、武術の理念を語ったロ老師のインタビューを完全再掲載――武の神髄、その入り口に触れてみてほしい。


スポーツはより効果的、より速くというマインドになります

──羅徳修(ロ・ドォショウ。以下ロ老子)老子、MMAファイターである中村倫也選手の稽古と同行取材をありがとうございます。

「大歓迎ですよ」

──本来は八卦掌の歴史について尋ねたいところなのですが、台湾武術を生半可な気持ちで触れることはできないという想いがあり、今日は武術と競技の交流について話をお聞かせください。1949年、中国大陸から国民党政府とともに多くの武術家が台湾に移り住んだことが、台湾武術の始まりだと伺っています。

「その通りです。それ以前に台湾にも武術もありましたが、それらは力を全面に出したものでした。1947年、日本が台湾から去った後、中国大陸から多くの兵士が台湾に送られてきました。そして1949年には皆が大陸から逃げてきたのです。中国北部で行われていた武術は台湾に。南部で行われていた武術は香港に流れました。少林拳、蟷螂拳、太極拳は台湾に国民党員らとともに、やってきたのです。

ただ私のグランドマスター、張峻峰(チャン・ジュンフォン)先生は大陸の政局の変化を受けて、1948年にビジネスで台湾にやってきていました。しかし、大陸からやってきた彼は上手くビジネスはできませんでした。そして圓山の麓で武術の指導を始めたんです。次第に教え子が増え、指導を生業にするようになり1950年に易宗國術館(イイゾングオシュカン)を創設しました。彼から習ったのが、若き日の私の師匠ホン・イーシャンでした。

──チャン・ジュンフォン先生は、どのような武術の指導を行っていたのですか。

「形意拳、白鶴拳、太極拳を組み合わせたスタイルを創り上げました。易宗(イイゾン)、変化を意味する易という字を用いたのです。私の先生はこのアイデアが凄く気に入ったんです。そして唐手道(ハンショウタオ※韓国のタンスドとは別)をクリエイトしたんです。ホン・イーシャン先生が亡くなられた後、ご子息が唐手道を易宗唐手道(イイゾン・ハンショウタオ)という名称に変更されました。

──易宗はロ老子の流派、易宗八卦門(イイゾン・バオグアメン)に通じているのですね。

「ハイ。先生は大きなおなかをしていて技術はありましたが、それほど動きはなかったです。私は形意拳、八卦掌、太極拳を長年修練・研究したのち、八卦掌により興味をもつようになりました。1990年から指導を始め米国と欧州へ行き、指導する時間も生徒も増えました。ただコロナになってから、半分は隠居生活です。十分に指導はました。もう疲れましたよ(笑)」

──八卦掌は台湾で、どれぐらいの人が学んでいるのでしょうか。

「伝統的な武術が理解されることは、難しいです。人々はパワフルな動きを求めます。気がパワーを創ると思っているのです。体力と手数、倒せば良い。そういうモノだと思われています。リアルな戦いは、そうではないです。力だけではないですし、防御が大切ですが人々は理解できないのです」

──八卦掌も、ですか。

「理解されないです。退屈で、すぐにやめてしまいます」

──……。八卦掌の稽古を初めて見させていただきましたが、動き云々だけでなく原理原則、哲学が重視されていると感じました。

「武術とは、自分自身で稽古するものです。そして自身の能力を上げるものです。それは決して、ファイティングスキルを磨くだけのモノではありません。若い頃は私も戦いました。1年目は怖かったです。2年目には勝つようになった。優勝もしましたが、『だからなんだ』と思うようになりました。そして武術をより深く知るために、稽古に没頭しました。体の内側のパワーが必要だという人も多いです。内側のパワーとは何でしょうか。

技術を知っていても、生かすための動きが必要です。相手との距離があり、持続力が要ります。体の内側の力を使って、何をするのでしょうか。何もできないでしょう。それなのに人々はエネルギー、エネルギーと口にします。日本の人達も同じです。多くの人が、日本の古流武術を知りません」

──ネガティブな点が同じだということは、ポジティブな点でも日本と台湾の武術は共通点があるということですか。

「日本と台湾は似ています。全てが備わっているんです(笑)。構造、骨組み、哲学、忍耐力。西洋のスポーツは、集中力。そして、戦意。力のぶつかり合いです。大昔から我々には套路がありました。套路を知るための修練があります。最初はパワーのぶつかり合いになるでしょうが、それからは変わります」

──それは競技と武術の違いとも捉えることができそうです。

「西洋のスポーツはより効果的、より速くというマインドになります。それが西洋のスポーツ競技です。我々の道とは違います。伝統的な武術は、自分自身を創り上げること。そして、伝えること。完全に対局にあります。一方で武術を指導するといっても、威厳をまき散らす指導者もいます」

──武術側にも問題があると?

「例えば競技に向かうとすると、武術家はどのような稽古をするのでしょうか。エネルギーのぶつかり合いのなかで気の流れを教わって『平穏』を指導されている人は。武術も全てを継承できていない。長い年月の間に、失われていっています」

──ロ老子の言葉を聞いていると、試合に勝つためのスポーツ、自身の能力を上げるための武術といえどもリンクしている部分は多くあるように感じられます。

「武術家は西洋のスタイルに異議を唱えるべきではないです」

──ロ老子は、違いは指摘しても異議を唱えるわけではない?

「西洋風のエクササイズ、栄養学、動きなどは全て武術で生み出されてきたものです。ただし、それらの要素を我々は失って来たのです。それも武術の問題点です」

──競技者は武術を否定し。武術家は競技を否定する。そのようななかで、ロ老子は非常に稀な存在です。そんなロ老師はリアルな武術を如何に、普及させてきたのでしょうか。コンバットスポーツは試合があることで、人々の理解を促せます。そして、武術はアクロバチックな演武を売りにしてビジネスとしていることも多くあります。両方を持たないリアルな武術は、どう広めることができるのでしょうか。

「指導者も変わらないといけないです。若い人々は『僕はマーシャルアーツが好きなんだ』といっても、それはスポーツです。我々のような動きを学びたいわけではありません。ただし中高年の年代層は、この動きを好みます(笑)。逆に若い世代は、我々のやっていることは退屈に感じるでしょう。私はファイターにも指導をしたいと思っています」

技術は技術でしかないです。メンタルとテクニックがしっかりとリンクしないといけません

──おお。ロ老子は実際に過去、MMAファイターのコーナーに就いたことがあります。

「武術の基礎知識をもって、ファイターを指導しました。ファイトはファイトです。スキルは、武術と同じす。ただし、伝統武術を知ることで戦術が変化します」

──もの凄く興味深いです。

「パンチ一つをとっても、私はその腕を叩いてから次の動きのスタンスが取れます。すると、相手はその方向を殴ってくるでしょう。この点において、私たちの選択肢は多いです。ただし、若い人達は最速で勝ちたい。であれば、我々も変化する必要があります。例えば喉を突く、鼻の穴を攻撃する。それを見せても、彼らは『冗談だろう。これで済む』と一発殴りますよ。ただし拳を握るのか、握らないのか。拳の握り方、腕の捻り方に武術は生きます。いくらでも新しい発見はあるはずです」

──ハイ。

「それは体の使い方の全てにいえることです。パワーが十分でなくても、私たちは体全体を使って戦えます。そして、すぐに姿勢を変えることで適切な間合いを取れます。相手の攻めるラインを切っています。ラインを切って、適切な間合いを取る。この動きがサークルとなり、続けられることが八卦掌の戦術の基盤となります。

ただし、戦ううえで基礎となるパンチ、ガード、ステップイン、バックステップというセットアップも欠かせないです。先ほども言いましたが、加えて八卦掌は継続性のある戦術を可能にします」

──まさか八卦掌のマスターから、そのような言葉を聞くとは思ってもいませんでした。

「ファイターを指導するには、指導者が考え方を変える必要があります。ただし、多くの伝統武術の指導者にはそれができないのです。結果、力に頼ることになります。八卦掌は違います。八卦掌の動きが理解できれば、なぜ自分は打たれるのに、打つことができないのか分からないということはなくなります。相手の周囲をそのように動くことが可能だと理解できるようになります。

八卦掌とは、理念を変えることです。一つの考えがあって、それを如何に変化させていくのか。MMAでパンチを使うときも、理念を変えることができると、一つの種類のパンチでもいくらでも変化させて使えます。上下に打ちわけ、左右に体を振ることもできます。自分の体は、どう動くのかが分かるわけです」

──日本でも競技から武術に行きついた指導者の方から同じような話を聞くことはありました。それが武術畑、しかも台湾でそのような話を耳にできたことが本当に驚きです。

「パンチということではなく、動きなのです。ただ殴るだけでは、一方通行です。その次に何が必要か。殴る、そして次の動きに移る。この動きを止めずに、次のパンチを出すことができる人もいます」

──ハイ。それこそ試合で見ることができる動きです。

「その次のパンチを出して防がれプレッシャー受けた時、その姿勢は乱れています。皆、腕は2本、足も2本です。角度を少し変化させるだけで、同じ動きができます。パンチもそうです。いつも、自分のサークルは見えています。そして、カットインするのです」

──その動きの目的、目指すところは何なのでしょうか。

「リスクは低く、チャンスを増やす動きを心がけるのです。相手が何をしてくるのか分かっていれば、対応できます。でも、時にはとても速くて分からない攻撃をしかけられます。その攻撃を切るか、捕まえる。そうやって攻撃を遮断します。例えば、タン・タン・タン・タ・タ・タ・タンというリズムを刻むのです。多くの人はワン・ツー・スリーと同じリズムで動きます。八卦掌が最初に注意しているのは時に速く、時にはゆっくり。ショートで、ロング。これこそが八卦掌の考え方です」

──考え方を理解するのに欠かせないことは何になりますか。

「動きを学ぶことです。八卦掌において、私の動きを創るのは相手の動きです。これは西洋のファイティングとは違った考えだと思います。ファイティングは殴ることを目的としているのですが、私はパワーとスピードで攻撃してくる相手のラインをカットする。それこそが、私たちのタイミングです。このサークルを感じるのです。そのために必要なバランスを掴む。ステップインとステップバック、そしてリズムを変える。この動きを身に着けると、自然に再現できるようになります」

──中村倫也選手の練習でも、まずは歩法を行い、それからは腕の使い方を指導していただけました。

「円を描くように動きます。私が動けば、相手はついてきます。決してやりあわず、円を描いて動いているにすぎない。この動きに、腕の動作を素早く合わせます」

──いやぁ、もっと多くの人に八卦掌の理念を知ってほしいです。もちろんロ老子の考えは、教え子に伝承されているのですよね。

「ハイ。でも全員が全員、良い教え子ではない(笑)。どれだけ稽古をやってきたのか、どれだけ積んできたのか。私の頃は、もっと稽古をする時間があった。でも、今の若者たちは違います。稽古時間が短いです。ずっとスマホばかり見て。ただし、今の人はスピードがあり、パワフルで、良いエネルギーを持っています。そして、不確かな状況に慣れています。武術はソフトだと思われがちですが、そうではないです。ハードにもできます。強弱をつけているのです。ただし、短期間で教えることは難しいです」

──武術は生き方であり、一生続けることができます。中村倫也選手のようにコンバットスポーツの選手は、次の試合に勝たないといけないです。結果ファイターは効率的なトレーニングを必要としますが、その彼は八卦掌のどの部分をMMAに取り入れるべきでしょうか。

「一つは基本。皆が知っていることです。我々も同じようにどうやって近づき、どのように離れるのか。そして手の動かし方。パンチの出し方は内回しと外回しがあります。それとバランスです。これは最も重要なポイントです。身に着ける練習が必要ですが、八卦掌には多くの型は存在しません。

操作性、手のエントリー、ステップの定義を身に着けることです。武術らしい動きの手の振り方をしても、何も体から伝わってくるものではないのです。『2年間、修行しなさい』なんてことも言わないです。すぐに使えば良い。何も気にすることはないです。戦いたいなら、戦う。凄く良くはならなくても、めちゃくちゃダメだということもないのです(笑)。戦わないといけないなら、戦うのです」

──押忍。

「技術は技術でしかないです。メンタルとテクニックがしっかりとリンクしないといけません。短期間だろうが、長い年月を積み重ねようが、どのような指導を受けてきたのか。そこが大切です」

──それこそ短時間でしたが、ロ老子から数々の学びをいただけました。ありがとうございした。

「こちらこそ台湾まで尋ねてきていただき、ありがとうございます」

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