【GFG04】青森から、全国へ。本州最北のMMA大会から、再確認──J-MMA界における地方独立大会の重要性
【写真】第3試合の勝者・中村友哉とGFGを主催する藤田氏(C)MMAPLANET
3日(日)、青森県五所川原市のプラザマリュウ五所川原でGlobal Fightingsports Gameの第4回大会が開催された。
Text by Manabu Takashima
年に一度の津軽、いや東北MMAの祭典は立ち見客が出るほどの盛況な会場内で、友人たちを応援する声が絶えず響き渡るアットホームなイベントだった。
同市の市議である藤田成保氏の尽力もあり、協賛企業数はパンフに掲載されているだけでも61社!! これぞ町興しMMAといえる協力者と集客といえる。
それでもMMAはMMA、メインで地元の佐々木郁矢が石塚将也に判定負けを喫したようにシビアな現実がある。
特に東北のMMAを支えてきた世代、左東伸哉、石塚丈人の完敗劇は考えさせられるモノがあった。GFGが持つ東北にMMAを根付かせ、盛り上げる基盤を築くというミッションを持つ限り、格闘技にとって第一に守るべき安全面も浸透させる必要がある。
ご当地ファイターとして欠かせないベテラン選手達が、体力のピークやピークに向かうファイターの相手を務めるマッチアップも、昨日の大会を見る限り考える時を迎えようとしていることは間違いない。若い選手も、ベテランも時が過ぎるのは平等だ。と同時に、このGFGならではという部分でベテラン、東北レジェンドや各地域の大ベテラン選手とのマッチアップはMMAでも、グラップリングでも特色となる可能性は十分にある。
そんななか1993年11月に修斗で初マットを踏んだ大石真丈が、平野唯翔を三角絞めで下した直後に、引退を明らかとした。パウンド解禁前、修斗がシューティングと呼ばれた時代を知る最後の1人が現役生活に別れを告げた。
修斗フェザー級(現バンタム級)のベルトを巻いた時点で、33歳。既にいぶし銀の異名を取っていた大石は、それから22年の間に国内ではZST、パンクラス、Cage Force、Grachan、HEAT、Grandslam、DEEP、GLADIATOR、NEXUSで戦い続け、海外もキャリアを通してハワイ、ブラジル、豪州、ロシア、韓国、リトアニアで足跡を残してきた。
そして、2024年11月3日に──K’z Factory時代のジム仲間も駆けつけるなか、3年半振りの勝利=31勝目を手に(※26敗9分)、GFGで現役生活に区切りをつけることとなった。
鉄人・大石が最後の戦いに挑んだGFG04では、多くのデビュー戦も組まれていた。安全面に話を戻すと、技量とそこは表裏一体だ。17歳でデビューを迎えた新岡理貴をはじめ、何人かの出場選手は明らかに寝技という面で技術力不足も見られた。同時に東北のMMAの普及に、若い力の台頭は欠かせない。そんな若い選手たちに試合機会を与えるために、ハードルを下げて試合を組むことは絶対的に否定しない。ばかりか、多いに賛同できる。
そのためにもGFGから他のイベントにステップアップを図る際に、この青森の地での戦績を首都圏や他の地域での戦績と同等としない交渉術も必要だ。事実、他の大会でなかなか勝ち星に恵まれていないファイターも、ここでは勝利を挙げることができている。日本という括りで考えると、彼らを起用する首都圏のプロモーターの理解も欠かせないだろう。
第2試合でデビュー戦の激闘で判定勝ちをした塩屋亮平、兄の優斗はPFCからNEXUSで既にキャリアを踏み始めている。「青森のMMAといえば塩屋兄弟」というマイクには、この日一番の歓声が挙がっていた。
オープニングファイト2試合目で勝利した村田在音、新岡に勝利した中村友哉第6試合で勝利した峰田悠生、メインで勝利した石塚将也という岩手や山形の近隣県の選手は、青森で戦うだけでも東京~名古屋間、それ以上の移動が必要となる。
地方在住の若い選手がキャリアを踏み始める。そして、若い選手以上に首都圏での試合のハードルが厳しくなるベテラン選手がキャリアを全うするためにGFGのような地域大会は欠かせない。加えて石塚のようにNEXUSやパンクラスでキャリアを積む選手にとって、首都圏以外の試合機会は絶対的にポジティブな要素だ。
年に一度だからこその協賛金、集客という側面はあるだろうが、現地でGFGの盛り上がりを見て、このような地方の草の根大会の継続こそが、J-MMAの底上げに欠かせないと改めて感じられた。それゆえに「青森から、世界へ」ではなく「青森から、全国へ」というGFGが本州で二番目に北の街で開催を計画する──来年春ごろの八戸大会の実現と定期化を期待してやまない。
■GFG04試合結果