【OCTAGONAL EYES】リョート・マチダ 2
・Powered by UFC日本語公式モバイルサイト
※本コラムは「UFC日本語公式モバイルサイト」で隔週連載中『OCTAGONAL EYES 八角形の視線』2009年12月掲載号に加筆・修正を加えてお届けしております
文・写真=高島学
前回に引き続き、もう少しリョート・マチダについて書き記したいと思います。
大苦戦、判定負けでもおかしくない初防衛戦を終えた翌朝、私は彼らが宿泊していたトーランスにあるコンドミニアム形式のホテルを訪れました。
ブラジルからやってきたマチダ四兄弟とお父さんの嘉三さんは、ズッファが指定したホテルでなく、自費でそのホテルに泊っていました。
自身の試合があるときは、リョートはファビオラ夫人を帯同することはありません。
ただし、ベレンのマチダ道場門下生や一家の知人が多く訪れ、隣接したモーテルに宿泊、それでなくてもマチダ一家だけで、大きなリビングとベッドルームが二つもあるコンドミニアムを二つ借りるなど、大所帯です。
ダウンタウンのホテルにはない静寂と緑が、大事な試合を前にしたリョートに必要だったのでしょう。同時にイノキ・ドージョー時代にLAで生活をしていたこともあるリョートにとって、トーランスからサンタモニカ一帯は自分の庭のようなもの。日本食レストランも数多く、嘉三さんなど朝から晩酌という豪快なLA滞在のようでした。
「明日の朝の9時に宿に来てもらえませんか?」という嘉三さんの申し入れに従い、私は空港近くのカルバーシティからレンタカーをドライブし、約束の10分前に彼らの宿に到着しました。
そして、嘉三さんから教えられた部屋を訪れようとすると、複数の怒鳴り合うようなポルトガル語が耳に届きました。
紛れもなく、その一つは、あのいつも冷静なリョートの声です。
ちょっとした緊張感を感じ、車に戻った私は、約束の9時を5分ぐらい経過したところで改めて部屋を訪れました。
まずは誰かしらの反応があるだろうと、日本語で話しかけると、すぐに嘉三さんが姿を現しました。
「折角、来ていただいたんですが、頭が混乱していてリョートは取材を受けたくないと言っています。ちょっと、私の部屋に行って時間を潰しませんか」と、正に昭和世代の日本人、嘉三さんは心の底から申し訳なさそうな表情を浮かべ、リョートが寝泊りしている建物の裏側にある、もう一つのコンドに私を連れて行ってくれました。
昨夜遅く、会場から宿に戻った彼らは、夜を徹して試合の反省会を開き、一度はそれぞれがベッドに入ったものの、リョートは眠ることができず、すぐに嘉三さんと話し合いを続けたそうです。
正直、決して安くない取材費を捻出してもらって、LAにやってきたフリーライターとしては、何としてもリョートのインタビューが必要なのですが、そこは私も大学四回生まで昭和という時代に育った日本人です。
あの嘉三さんの顔、そしてリョートの声を聞いてしまったのですから、無理強いはできません。ただ、ここで「また次回にしましょう」なんて笑顔を見せることができれば、それこそ昭和の日本人としての器を持っているといえるのですが、人生の半分近くを平成で過ごしている影響か、度量が小さく、焦りと落胆を露わにしてしまっていたようです。
そんな記者の心情を気遣い、嘉三さんは一度、二度とリョートにインタビューを受けるよう連絡を取ってくれます。話し相手は、二男のシンゾーさんです。
彼は一番近しいところでリョートのマネージングを請け負っています。
いつも微笑を浮かべ、気軽に世間話をしているシンゾーさんですが、この時ばかりは父であり師である嘉三さんの申し入れを、受け入れてくれることはありませんでした。
ならば――と、気持ちを入れ換え「LAらしく、昭和40年代のような日本の飯を食いませんか」と誘った直後、リョート自身から嘉三さんに連絡が入りしました。
『試合のことについては話したくないけど、10分ほどでいいならインタビューを受ける』ということでした。
ベッドで足を伸ばし、背もたれに寄り掛かったままの状態で、リョートは笑顔を見せていました。
インタビューを固辞したのは、マウリシオ・ショーグンのローキックで足を痛めた自分の姿を、記者に晒したくなかったのでしょう。あるいは、試合後の乱れた気持ちも、ようやく落ち着きつつあるなか、記者と話すことで、また気持ちが脱線することを恐れていたのかもしれません。
インタビューは約束の時間を大幅に超え、30分以上に及びました。そして、時間が経過するとともに、リョート自らショーグン戦の内容について語ってくれたのです。
この間、3度ほどシンゾーさんから『そろそろ終わりにしないと、リョートが心配だ』という連絡が嘉三さんにありました。
MMAの経験もあり、カラテでもリョート以上の素質を持つと言われるシンゾーさんは、競技者の心情をより理解し、弟に安らぎの時間を少しでも早く与えたかったに違いありません。
耳にした者がたじろぐほど、はげしい言葉で激し合う一方で、一歩下がったところからリョートを見守るシンゾーさん。嘉三さんは、誰もが認める完勝の後ですら、リョートを叱責することが多々あるというのに、苦戦の後は優しく良かった点を数多く挙げていました。
『家族が金網の外で声を出してくれなかったら、4R以降は心が折れていた』とリョート。
その言葉を聞き、嘉三さんは涙をこぼしていました。
ミスジャッジと指摘されても仕方のない初防衛戦だったことは事実です。
ただし、最終5Rを戦い抜くことにより、そのミスジャッジと指摘された判定に持ち込めた――。そんな厳しい戦いをリョートとマチダ一家は、家族の絆で乗り越え、左足に氷嚢を当てる日曜日の朝を迎えていたのです。