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【Grachan45】獅庵とバンタム級王座決定戦、伊藤空也─01─「禅道会で先輩の試合を見てMMAへ」

【写真】キリッとした表情の伊藤 (C)MMAPLANET

20日(日)に東京都大田区の産業プラザPIOで開催されるGrachan45のメインで、伊藤空也が獅庵とGrachanバンタム級王座決定戦を戦う。

Braveの所属となって1年半、ここまでの経験の全てをぶつけるタイトル戦を前にして、長野県で歩み始めたMMAファイター人生を振り返ってもらった。


──伊藤選手は長野県の出身だと伺っています。

「ハイ。長野県諏訪市の出身です。」

──中央自動車道がかなり高いところを走っていて、諏訪湖が見える……諏訪ですか。

「ハイ。そうです(笑)」

──格闘技を始めたのも諏訪で、ですか。

「もともと子供の頃に空手をやっていました」

──長野で空手というと……。

「禅道会です。無理やり、親からやれって言われて保育園に通っている時からやらされていました」

──やらされていた(笑)。

「本当に嫌々やっていて……僕は運動音痴だったら親は習わせたかったのでしょうが、小学校の2年になったぐらいで一度、辞めたんです。でも中学生になるかどうかっていう頃に『このままで良いのかな』ってモヤモヤとして、打ち込めるモノがないかなって考えるようになって……」

──えらく早熟というか、真面目だったのですね。

「心のどこかで禅道会を茶帯で辞めたので……頑張って黒帯を巻きたいという想いがあったんだと思います」

──でも中学生になると部活動がありますよね。それでも再び禅道会でやりたいと思ったのですね。

「ハイ、格闘技もテレビで放送していた時代だったのでHERO’S、DREAM、UFCも見ていていたので宮田先生が戦っているのも当時から知っていました。ただ特定の選手ではなく、格闘技に憧れを持つようになっていましたね」

──先ほどは空手という呼び方をされていましたが、稽古は空手なのでしょうか。

「子供の頃は投げと抑え込みまである空手でした」

──なるほど、最初から打・投・抑という要素のある格闘技の稽古をしていたのですね。

「勝ち負けも分からずやっている感じでしたけど(笑)」

──そして中学になると、何をやるべきか分かってもう一度門を潜り、MMAへの道を進んだと。

「自分の場合は石岡(沙織)さん、石岡さんと結婚された青木(隆明)長野支部長、それにZSTで活躍していた矢島雄一郎選手達、先輩方のMMAの試合の応援に行き、影響を受けたのも大きいです」

──禅道会の所属選手は禅道会のトップを目指す、もしくはMMAファイターを目指す、どちらなのですか。

「2つに分かれていますね。禅道会の全日本を目指す選手、全日本で勝つ負けるにかかわらずプロを目指す道もありますし。僕も最初は全日本を目指していたのですが、さっきも言ったように先輩方のMMAの試合を見て……高校を卒業した時に、名古屋の公武道ファイトでプロの試合に出ました。

ただ首都圏の試合に呼んでもらえることはなくて、まず大阪のWardogに呼んでもらえるようになりました。Wardogでは今はカットマンとしてラウェイなんかでも活動されている永井(明広)さんが、中心になっていた時にチャンスをくれたのですが、永井さんは自分が同郷ということもあってのことだったと思います」

──それからはMMAの練習に専念してきたのですか。

「20歳になってからですね。稽古を続けていて、ある時にMMAに特化した練習が必要だと思うようになって」

──MMAの練習というのは道場のカリキュラムには?

「クラスとしてはなかったです。ただ、場所はありますし、MMAの練習をするときには道場で、そういう練習をしたい人間ととりあってやっていまいした。道場長も凄く理解があり、心の広い方だったので道場を自由に使わせてくださいました」

──地方でもできるという気持ちで戦う選手、首都圏に出て戦う選手。この2つがあり、結果的に伊藤選手は東京に出てきました。

「ハイ。向うでやっている時に、僕が思ったのはもっと揉まれないといけないということだったんです。試合に出ていて、そう思うようになりました。そして都内のジムに出稽古をさせてもらうようになり、宮田先生のBraveにお世話になるようになったんです」

──所属もBraveですし、引っ越して来たということでしょうか。

「ハイ。宮田先生から『内弟子が1人空いているけど』と言っていただき、お給料をもらってBraveの所属にさせていただきました」

──素晴らしい環境ですね。

「ハイ。禅道会の先生たちも快く送り出してくれて、去年からこっちでやっています」

<この項、続く

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