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【Road to ONE03】ゆきゆきてMMAファイター人生=手塚と対戦するグンター・カルンダ─01─

【写真】終始、明るい雰囲気を感じさせたカルンダ (C)MMAPLANET

10日(木)に東京都渋谷区のTSUTAYA O-Eastで開催されるROAD TO ONE:3rd TOKYO FIGHT NIGHTで手塚裕之と対戦するグンター・カルンダ。

日本にいると未知な部分が国から日本に移り住んだカルンダをABEMAと共同でインタビュー。アフリカのラージエストMMAプロパティ=南アフリカのEFCワールドワイド元ウェルター級王者が歩んできた道、そして手塚戦に対する意気込みを訊いた。


──手塚選手とのオファーがあった時、どのような気持ちでしたか。

「まずONEとトライHスタジオに感謝の気持ちを伝えたい。最初にこの話を聞いた時からエキサイトしまくりだよ。リングだろうがケージだろうが、日本で自分の仕事ができることは嬉しい。今もワクワクが続いているよ」

──コンゴ民主共和国のことは我々は本当に知らないことが多いのですが、どうのように格闘技と出会いMMAファイターを目指そうと思ったのでしょうか。

「7歳の時から柔道や空手を始めて、柔道をメインに練習していたんだ。成長してMMAに興味を持つようになったけど、コンゴでMMAファイターとして活動することは非常に難しい。アフリカでは南アフリカに行くのが一番の手だったから南アフリカへ行き、ボクシングやMMAの練習をするようになり、今に至っている」

──コンゴではMMAの認知度はどれほどなのですか。

「僕が住んでいた頃は米国人がケージの中で戦っているという風にTVで視ることはできたよ。ただ、それがUFCって名前がついているコトも認識されていなかった。

僕もやりたいと思った時、色々と調べるとさっきも言ったように南アフリカにはEFCワールドワイドという大会もあったし、練習環境も整っていたので移り住むことにしたんだ。あの頃、コンゴではMMA社会はなかった。だから僕はパイオニアというわけじゃないけど、コンゴではかなり早い段階でMMAを始めた人間になっている」

──今は?

「今は凄く人気が出ているよ。他のスポーツからMMAに転向するアスリートも多いし、僕がONEでMMAファイターとして活躍していることは母国では多くの人が知っていて、ビーストへの期待は高まっているのも伝わって来るよ」

──EFCワールドワイドからは、UFCファイターやパンクラスに出場するチャンピオンが輩出されています。ウェルター級王者だったグンターはONEでなく、ONEウォリアーシリーズを選択したのはなぜなのでしょうか。

「EFCとは契約で関係がこじれてしまって。僕はウェルター級で無敗だったけど、EFCでは試合ができなくなってしまった。そこで前から注目していたONEで戦いたいと思ったんだけど、ウォリアーシリーズから戦ったのはファンに僕がONEで戦うのに相応しい選手だと知って欲しかったからなんだ。その後にONEでやっていくためにも」

──それだけの覚悟があったのに、初戦のカルロス・プレイデス戦で敗北を喫したのは計算外ではなかったですか。

「試合のオファーがあったのは、まだEFCとのゴタゴタの最中でストレスだらけで、気持ちも落ちていた。それまで僕は試合前の調整期間を2、3カ月設けていたけど、あの時は2週間だけだったんだ。

相手はプーケット・トップチームに所属しており、準備は整っていた。対して僕は準備不足でスタミナが十分じゃなかった。2Rぐらいで倒せる相手だったんだけど、ガス欠になってしまって試合を続けることは無理だと判断したんだ。アフリカから長時間のフライトを経て、シンガポールで戦うにはあまりにも練習が足りていなかったよ……。

ただ、それでもベストは尽くした。できることは全てやった結果なので、事情を分かっていたリッチ・フランクリンが次の試合を約束してくれたんだ。負けはしたけど、あの試合でファイターとして自分の心が折れることは一切なかったよ」

──ウォリアーシリーズの2戦目、メンディ・バクヘリ戦は2カ月後で勝利を手にしました。それから今回の試合まで試合はしてこなかったです。

「ウォリアシリーズで勝った後、また2カ月後に試合が組まれることになっていて、それが日本になる可能性があると聞かされたんだ。でも対戦相手が見つからなくて、ずっと次の試合は組まれなかった。そんな時、ONEはアジアに基盤を置く大会だから、キャリアアップのためにはアジアに居た方が良いと決断した。それで日本に拠点を移すことにしたんだ」

<この項、続く

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