この星の格闘技を追いかける

【on this day in】10月10日──2003年

10 10 03【写真】あの時の原稿で書いた、五味に柔術があれば鬼に金棒という一節、これは今も思っている。鬼に金棒だったと(C)MMAPLANET

Rumble on the Rock 04
@ハワイ州ホノルル、ブレイズデールアリーナ
「この試合は個人的に、一個人の事情があって決して忘れることはない。2003年10月11日は家内の妹の結婚式だった。僕は僅か2年半のサラリーマン生活の最後の1年半、土日の朝・昼・晩と食事を彼女の家で摂らせてもらっていた。一人暮らしで栄養が偏るといけないから、と。今も昔も、こんな人間を良く受け入れてくれたと家内、そして家内の家族には感謝の気持ちしかない。最初から素──というか、より悪い印象を見せてスタートしたこともあり、本当に当初の受けは良くなかった。もう、冷戦どころか熱さバチバチの感情のシコリがあった。それでも自分という存在を許してくれた。それから12年が過ぎた。義妹の結婚式は、当然のことながら何カ月も前から決まっている。義妹夫婦は式に、僕の両親まで招いてくれた。それなのに僕は、五味隆典×BJ・ペン戦を取材するために結婚式の2週間前に欠席を伝えた。もめた、家内も泣いた。結納ってことじゃないけど、自分の両親を結婚前に家内の親に初めて引き合わせた場も、僕はブラジルに取材へ行きドタキャンした。その時は『男には男の仕事がある』と送り出してくれた義父も、さすがにこのときは怒った。怒りまくった。『僕が行かないと、この試合を日本で報じる人間がいない』なんて義務感を彼らに押し付け、自分の見たいという好奇心でハワイへ行った。そんな背景もあったから、格闘技通信のレポートでは言いたいことを書きまくり、五味陣営から取材拒否を食らうハメに陥った。今から12年前の今日──から2カ月前、五味はヨアキム・ハンセンに敗れ修斗のベルトを失っていた。苦い思いを払拭し、より美味な勝利の美酒に酔いたい。そんなBJとの対戦に見えた。それでも結果はともあれ、懸命に戦った選手への配慮に欠けていた。五味の敗北に対し、死者に鞭打つような技術的な【自分のなかでの】正論を書き記した。本音だった。本音だけど、俺は好きに生きるという想いが先走った原稿だったと思う。明日、五味が細川顕君とGIで戦う。知っての通り、五味は2試合連続KO負けというかつて経験したことのない状況にいる。日本を代表する黒帯柔術家との戦いも、何かを取り戻そうとしている意志の表われなのだろうか。取り戻したいモノは自信なのか、技術的な部分なのか。闘志なのか……。とにかく、五味隆典は戦い続けている」

on this day in──記者生活20年を終えた当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。

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