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【Interview】VTJ 1st カーロ・プラター、ブラジル秘話と日本への想い

2012.12.23

Carlo Prater

【写真】カーロ・プラターは、かつてカーロス・コンディットやメルビン・ギラード、パット・ヒーリーを破ったこともあるファイターで、デビューは2002年11月のベテラン。初来日にも余裕が感じられた (C) MMAPLANET

24日(月)、東京・代々木競技場第2体育館で行われる「VTJ 1st」。修斗世界ウェルター級チャンピオン弘中邦佳と対戦するカーロ・プラターは、プロMMAデビューから10年が過ぎ、キャリア30勝12敗2分を誇るファイターだ。

かつてルタリーブリと柔術を同時に学ぶというブラジル格闘技界のタブーを破った話、日本への思い入れなど弘中戦を前に語ってくれた。

――プロMMAデビューから10年、実はそれ以前に2001年にリオデジャネイロで行われたルタリーブリの大会にカーロが出場していたのを取材したことがあります。以降、時に米国人、時にブラジル人と発表されることがあるカーロですが、国籍的にはどちらの国になるのでしょうか。

「ブラジルで生まれたけど、育ったのは米国。7歳から10年間米国で生活し、18歳のときに再びブラジルに戻った。国籍はどちらも持っている」

――なるほど。英語がブラジル人のソレとは全く発音が違っていたので。ルタリーブリ出身というのも珍しいですね。当時、アレッシャンドリ・ペケーニョやマーシオ・クロマドは修斗で戦っていました。

「そうだね。アレッシャンドリ・ペケーニョとレオナルドの兄弟は個人的にも友人だし、マーシオ・クロマドからルタリーブリの黒帯を巻いてもらった。みんな、エウジェニオ・タデウとウゴ・デュアルチの教え子たちだった。同時に僕は柔術も黒帯で、二つのバックラウンドがあるんだ」

――ルタリーブリと柔術、二つのスタイルを同時に習うのは、当時のブラジルでは問題になりませんでしたか。

「タブーを犯したようなものだったよ(笑)。きっと、それを可能にした最初の一人だと思う。1988年にブラジルに戻り、ルタと柔術、誰も同時になって習っていなかったけど、僕は事情を知らなかったから、どっちのアカデミーにも通っていたんだ(笑)。半年ぐらい経ってから、皆に知れ渡ることになった。

Carlo in Luta【写真】写真中央の青いジャージがルタリーブリ時代、若き日のカーロ・プラター。前列の2人がアレシャンドリ・ペケーニョとマーシオ・クロマド。後列一番左はジョゼ・アルドが唯一敗北を喫した相手ルシアーノ・アゼベド (C) MARCELO ALONSO

柔術の指導を受けていたジュリオ・プジンは、素手のバーリトゥードがベースとなっている指導者だったから、特に何も言わなかったよ。

ただ、ルタリーブリの連中は心のなかでは、僕が道着を着たトレーニングをすることは快く思っていなかったみたいだけど、米国流と思っていたんだろうね、あまり強く言われることはなかった」

――柔術とルタリーブリの軋轢……。もう、本当に昔の話になってしまいましたね(笑)。

「そうだね。僕はそんな時代を肌で知る最後の世代だと思う。2001年の7月だったかな、リオの対岸のニテロイでHEROESというMMAの大会が行われ、柔術×ルタリーブリの対戦が多く組まれた。僕はルタの友人の応援に行っていたんだ。

場内は柔術勢のサポーターで埋まり、柔術コールがこだましていた。会場を離れるとき、もうストリートファイトに発展する覚悟はできていた。僕のコーチや友人達が、Tシャツを脱いで、拳の回りに巻き始めグローブの代わりにしようとした。そればかりか、ビール瓶を割って、武器にしようとしている連中もいたんだ……。

とんでもない雰囲気で、本当に怖くなった。『俺はルタも柔術もどっちもやっているし、そう言って乱闘に加わらないでいよう』なんて考えていた(笑)。でも当時、ブラジルで習ったルタリーブリと柔術をミックスした僕のベースは仕上がったんだ」

――ビール瓶を割って、乱闘に備えるなど凄まじい話です。

「でも、2003年だったかな? ペケーニョとクロマドがBTTの練習に招かれ、そんな時代も終わった。JZ・カバウカンチ、ルイス・ブスカペ、ミウトン・ヴィエイラ、ジュカォン・カルネイロらが、ジョッピ・ルタリーブリやRFT(ヘナヴァソン・ファイトチーム=クロマド主宰)の選手が、BTTでトレーニングするようになり、交流は一気に進んだ。今もライバルであるけどリオデジャネイロでなく、ナタウやフォルタレーザ、レシフェなどノルデスチ(ブラジル北東部)に残っているんだ」

――それは非常に興味深い話です。ところで日本のMMAに関して、10年選手のカーロはどのような印象を持っていますか。

「日本で戦うことは夢だった。PRIDEやDREAMだけでなく、修斗、パンクラス、DEEPと長い間活動しているプロモーションが多く、いつも日本のMMAに興味を持っていた。PRIDEの時代に来日することは叶わなかったけど、日本で戦うチャンスを今回もらって、『NO』なんて絶対に言えなかったよ」

――UFCで戦ったあとで、その肩書があれば米国でもチャンスがあったと思うのですが……。

「今年の初め、ショートノーティスでしかも1階級上だったけどUFCからオファーを受け、最高のキャリアとなる1年を送った。ただし、内容は芳しくなかった。TJ・グランド戦からライト級に戻したのに負傷もあり、マーカス・レヴェッサー戦と結果を残せず、カットされた。当然だ、結果が残せなかったんだから。

そのまま体を休めようと思っていた時に、マネージャーからオファーがあったと連絡が入った。とりあえず『どこから?』と尋ねると、『日本の修斗が行うイベントだ』っていうじゃないか!!」

――そこでNOとは言えなかったと。

「日本で戦うことは夢だった。ブラジルと米国、MMAで45試合戦ってきた。キックやムエタイではオランダ、タイでも試合をしたし、アマチュア・ボクシングなど全てのキャリアを合わせると100戦は越えているだろう。僕のキャリアで実現させていなかったのが、日本での試合だったんだ。

ただ、日本で戦いたい。その想いだけで戦うことを了承していた。そして、UFCではベストの自分を見せることができず、結果も残せなかったので今年4度目の試合は、完璧な体調でしっかりとベストを尽くしたい。ヒロナカ・サンという価値ある相手と、歴史ある修斗のイベントで戦うことができる。断ることなんてできなかった」

――そんな風に日本のMMAシーンのことを思ってくれるのは、こちらこそ感謝の気持ちでいっぱいです。そんな日本で戦う弘中選手について、どのように思っていますか。

「ヒロナカ・サンは柔術の黒帯だし、シュートボクシングでも戦っている。完全なパッケージを持っているファイターだ。とても尊敬している。

ただし、ここ2年ほど勝ち負けでなく、僕の方がハイレベルで、厳しい相手と戦ってきたと思う。そこの経験の差が試合では出てくるだろう。そして、フィジカルにも力を入れるようになって2年、その部分でも自分にアドバンテージがある。ただし、試合はどうなるかは分からない。だからこそ、ファイトに注目してほしい。

リング・ファイティングとケージ・ファイティングは別モノだ。ただし、ケージ中央で戦うことになるから、リングもケージもない。そんな試合になるだろう。MMAは進歩し、劇的に変わった。でも、僕はオールドスクールだ。試合前に握手をし、試合後も握手をする。ただし、試合中の15分は、ヒロナカ・サンを尊敬しているからこそ、前に出てぶっ殺すぐらいの気持ちで戦うよ」

■VTJ 1st対戦カード

<135ポンド契約/5分3R>
佐藤ルミナ(日本)
所英男(日本)

<155ポンド契約/5分3R>
弘中邦佳(日本)
カーロ・プラター(米国)

<125ポンド契約/5分3R>
マモル(日本)
ダレル・モナヒュー(米国)

<135ポンド契約/5分3R>
堀口恭司(日本)
イアン・ラブランド(米国)

<115ポンド契約/5分2R>
藤井 惠(日本)
V.V.Mei(日本)

<136ポンド契約/5分3R>
リオン武(日本)
大沢ケンジ(日本)

<177ポンド契約/5分3R>
中村K太郎(日本)
鈴木信達(日本)

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