【a DECADE 05】10年ひと昔、2003年5月09日Super Brawl29
【写真】デビューから2年2カ月、キャリア7戦目のKID。当時から、ギラギラとした殺気を身に纏っていた。
MMAPLANET執筆陣の高島学が、デジカメにカメラを変更し取材するようになってから10年が過ぎた。そこでMMAPLANETでは、10年周期ということで高島が実際に足を運んだ大会を振り返るコラムを掲載することとなった。a DECADE、第5 回は、10年前の5月8日。ハワイのホノルルで行われたSuper Brawl29を振り返りたい。
Text & Photo by Manabu Takashima
1996年1月から2008年8月まで、12年8カ月の間に50回に及ぶMMAイベントはTJ・トンプソンの手で行われたスーパーブロウル。名称変更によりIcon Sportを名乗るようになり、最終的にはPro Eliteに売却された同プロモーションは、ハワイの位置的関係に相応しく、米国本土と日本の間で確かな存在を放ち続けたのMMAイベントだった。
前身フューチャー・ブロウル時代はバーで、関節や絞め技禁止、寝技でもパウンドは許されるという喧嘩ファイトだったが、96年6月にスーパーブロウルと大会名を変更するや、マット・ヒュームのパンクレーションと手を結び、スポーツライクなMMA開催を目指した。99年5月には初のプロ修斗海外公式戦を開き、MMA競技化の一端に触れるも、RINGS KOKの米国トーナメントを開催したことで、修斗のプロモーターライセンスを剥奪される。その後、修斗公式戦を再開することになったが、修斗的な競技という名の下、スーパーブロウルにとってはオポジッションとなる、ウォリアーズ・クエストで公式戦が組まれるようになり、再び両者の関係は微妙になっていった。
最終的に、修斗が環太平洋王座などリジョナル王座を設け、プロモーション王座を認可しないという方針を打ち出したことで、TJは10年前の今日、最後の修斗公式戦を開くこととなった。同大会のメインは修斗的には、プロ修斗世界ライトヘビー級選手権試合、チャンピオン須田匡昇に同級1位のイーゲン井上が挑むという形式のもの。他方、スーパーブロウル的にはプロ修斗王者の須田と×スーパーブロウル王者イーゲンのダブルタイトルマッチという風にイベントを大いにPRしていた。同じMMAでも、修斗とTJの歩もうとする道の隔たりは、この時点で大きく開いていた。MMAを純粋に競技という側面で眺めると、現在の最高峰であるUFCにもいくらでも粗が見つかる――そんなMMAの真実が既に10年前の時点で明らかになっていたといえる。
須田とイーゲンの対戦をTJが望んだのは、同大会の1年も前の話で、オファーを受けた須田は翌月に試合を控えていたために「9月以降なら」と返答をした。スーパーブロウル&イーゲン陣営は、「なら来年(2003年)の2月に」と要望するも、須田が12月にDEEPに出場し鼻骨骨折という負傷を負い、両者の試合は3月に行われることとなった。それが2月になって、仕事を持つ須田がどうしてもスケジュールが合わないことで、日程の変更を訴え、ついにこの日を迎えることとなった。
ハワイに到着した須田には、試合直前まで「なぜ、イーゲンとの試合から逃げ続けた」という記者の質問が浴びせられ、空港へのピックアップもなく、練習場も確保されないという完全アウェイの状態で、試合に臨むこととなった。地元の英雄イーゲンが、対戦を逃げ続けてきた(と喧伝された)須田とダブルタイトルを行う。会場となったブレイズデール・アリーナには8400名もの観客が訪れ超満員、そして異様な盛り上がりを見せていた。
【写真】現修斗ウェルター級世界チャンピオンの弘中邦佳もプロ7戦目でハワイ・マットを経験。この後、同じハワイのROTRを経て、UFCへ。
この大会、日本から須田以外に2名の日本人選手が出場している。弘中邦佳はレイ・ブラダ・クーパーの代役=豪腕マーク・モレノの豪腕を封じこめ、袈裟固めからヘッドロックへ移行、そのまま右足も抱えるように抑え込み、タップを奪っている。もう一人、日本から遠征し、北米軽量級のパイオニア=ジェフ・カーランと対戦したのが山本KID徳郁だった。プロデビューから2年2カ月、敗北は同大会にも出場しているステファン・ボーゾー・パーリング戦で、ヒザによるカットでTKO負けを喫したのみ。まさに快進撃を続けていたKIDにとって、2度目のハワイでの試合は、本格的な柔術の使い手で蹴り技も駆使するカーランとの対戦ということもあり、その真価が問われる一戦と目されていた。
カーランは下馬評通りの強さを見せ、KIDの打撃に下がることなく対抗し、抜群のタイミングでテイクダウンを奪った。と、KIDは右ワキを差してスイープの要領でカーランを持ち上げ、すぐに起き上がってシングルレッグダイブでリバーサルに成功する。バレット・ヨシダとのノーギ柔術のトレーニングが、確実にKIDをコンプリートMMAファイターに仕立てあげているという印象を残した見事な動きだった。この試合、KIDは2Rにテイクダウンを仕掛けた際に脇腹を負傷、それでも果敢にハイキックを見せるなど、難敵カーランからフルマークの判定勝ちを収めている。リング上では痛みを顔に表さなかったKIDだったが、勝利の花道を歩き終えバックステージに姿を見せるや、脇腹を抑え苦悶の表情を浮かべていた。にも関わらず、その直後に大会運営陣の抱く赤ん坊に笑顔で話し掛けるなど、後にTV格闘技で絶対的な人気を誇るようになる神の子――を連想される、カリスマ性を既に見せ始めていた。
【写真】昨年11月の敗北で引退を決意したマーク・ホーミニック。プロ4戦目、カットによる初黒星に「16時間もかけてやってきて、16秒で試合が終わってしまった」と無念の表情を浮かべていた。
KID×カーラン戦の前の試合に出場しボーゾーのパンチで、右目尻をカット、TKO負けを喫したマーク・ホーミニック。その傍らには、2年前に鬼籍に入ったショーン・トンプキンスが常に寄り添っていたことが、今も思い出される。セミでエディ・ヤギンをバックスープレックスで豪快に投げるなど、テイクダウン狙いで完封したジョー・ジョーダンは、2006年に立った一度だけUFCで戦っている。そのジョーダンに対し得意の打撃が不発に終わったヤギンは、この大会の8年11カ月後にUFC出場を決め、初陣でホーミニックを破ることになる。ホーミニックにヤギン&ジョーダン、KID&カーラン、そして弘中をオクタゴンに招くこととなったダナ・ホワイトも、この大会をケージサイドで観戦している。
【写真】ヒールだけならいざしらず、卑怯者呼ばわりされての現地入り。色々なモノを跳ね返しての勝利は、非首都圏在住ファイターの先駆けといえる須田の気持ちの強さが伝わってきた。
超満員の観客、好試合の連続、最後は地元のヒーローの王座奪取で大円団――とならないのが、MMA興業の難しさであり、おかしさだ。イーゲンは須田の右を受けて、前方に崩れ落ちそうになり、バックからパウンドを連打され、僅か27秒でTKO負けを喫した。当時11歳だったマックス・ホロウェイ、13歳だったダスティン・キムラなどハワイのファイターたちが、オクタゴンのなかで勝ち名乗りを受ける姿を見るにつけ、ハワイのMMAを支えたスーパーブロウル、そしてTJ・トンプソンがMMAに関わっていない現状が寂しく感じられる。そして――、この大会後の控え室で僕の身に起ったとある出来事、この話を公表するには10年の年月では短すぎる――。もう10年、あるいは20年が必要だ。いや、公にしないまま墓場まで行くことになる確率の方が高いかな。
こんなことがあったなと、いずれ笑って振り返ることができるようになる――MMAの発展を改めて願いたい。
■2003年5月9日Super Brawl 29@ ブレイズデール・アリーナ、ホノルル :米国 試合結果
<修斗世界ライトヘビー級選手権試合/5分3R>
須田匡昇(日本)
Def.1R0分27秒by TKO
イーゲン井上(米国)
<65.8キロ契約/5分2R>
ジョー・ジョーダン(米国)
Def. 3-0
エディ・ヤギン(米国)
<修斗ライト級/5分3R>
山本KID徳郁(日本)
Def.3-0:30-26, 30-27, 30-27
ジェフ・カーラン(米国)
<修斗ライト級/5分3R>
ステファン・パーリング(米国)
Def.1R0分16秒by TKO
マーク・ホーミニック(カナダ)
<修斗ミドル級/5分2R>
コロ・コカ(米国)
Def. 1R4分59秒by TKO
ビリー・ラッシュ(米国)
<修斗ミドル級/5分2R>
弘中邦佳(日本)
Def. 1R2分50秒by ネッククランク
マーク・モレノ(ハワイ)
<5分2R>
ラミ・ボウカイ(米国)
Def.1R2分47秒by 三角絞め
ジャスティン・メルカド(米国)
<5分2R>
ブランドン・キーン(米国)
Def.3-0
ポール・ラガ(米国)
<5分2R>
ティム・タイナン(米国)
Def.2-0
レイ・セレイル(米国)