この星の格闘技を追いかける

【on this day in】9月22日──2010年

22 09 10【写真】MMAでなく、全局面格闘術。そんな戦いを金泰泳ならできると今でも思っている (C)MMAPLANET

Taiei Kin in Seidokaikan
@大阪市北区、正道会館総本部
「この業界に入る前から憧れていた選手っていうのは、当然のように存在した。SNSのSもない時代だ。彼らの言葉は雑誌に掲載されるインタビューでしかない目にすることがなかった。ただし、格闘家としての有り様は、試合を見れば伝わってきた。どれだけ大きな口を叩こうが、試合でビビったり、凄く謙虚でも実際はナルシストで自己顕示欲が強いんだろうな──と思える選手は結構いた。それとは逆に試合内容、試合の臨む威勢から人間としての強さが伝わって選手もいた。その代表格が、吉鷹弘選手と金泰泳選手の2人だった。今じゃ、『昭和』とか『受ける』なんて笑いの対象になるかもしれないが、吉鷹さんはSBを、金選手は正道会館を背負って戦っており、そこが本当に格好良かった。吉鷹さんとは比較的早く取材対象となり、サウスポーと黒人の強さを冗談交じりに話してくれるような間柄になった。一方、金選手は2000年の引退まで個別取材の経験はなく、HERO’Sで現役復帰をしてからインタビューをさせてもらった。吉鷹さんもそうだが、金選手から『さん』づけで呼ばれると返答に窮してしまう。あなた方は僕がこの仕事に就く前からの憧れの存在で、この仕事に就いてから尊敬してやまない格闘家だった。だから、ホント『さん』づけなんておこがましい。奇しくも2人とも関西人、『なんでも正直に聞いて、書くから』と自分のやりを認めてくださっていたので吉鷹さんには引退後も、金選手には復帰後も好きに思っていることを尋ねさせてもらい、書かせてもらってきた。で、今から5年前──金選手は77キロに落としてStrikeforceで戦いたいと言っていた。『40歳までに』──というリミットはとっくに過ぎてしまった。あれから5年、僕は漢・金泰泳が国内だろうがケージで、77キロで戦う日を今も待ち続けている。あの日のMMAトレを見た時の期待値の高さは、何も変わっていない」

on this day in──記者生活20年を終えた当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。

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