【Interview】ホイラー・グレイシー(01)「僕は大昔のチャンピオン」
【写真】グレイシー柔術サンディエゴのロゴの前で。47歳になったホイラー・グレイシー。リオのセントロのグレイシーアカデミーからカーウソンが独立し、その後にセントロのアカデミーは解散。ホーウスがコパカバーナに自らの道場を創り、同時にホリオンがウマイタに道場を開いたことが、インタビュー中にホイラーの言うグレイシーウマイタのルーツ。いわばエリオ派グレイシーの総本山だ。ちなみにホーウスはの教えは脈々とグレイシーバッハに伝わっている(C)MMAPLANET
グレイシー柔術の開祖エリオ・グレイシーの五男ホイラー・グレイシー。7人兄弟で一番小柄な彼は、兄弟の誰よりも長く競技柔術、グラップリングに挑み続け、MMAでも体重に関係なく戦ってきた。
そんな彼も3年前からリオデジャネイロを離れ、カリフォルニア州サンディエゴに自らの城であるグレイシーウマイタのアカデミーをオープンさせた。温暖な気候とビジネスチャンスに恵まれた街サンディエゴにはMMA、柔術に関係なく格闘技が盛んだ。長く続いた現役を退き、サンディエゴで第2の人生を歩み始めたホイラー・グレイシーのインタビューを前後編に分けてお届けしたい。
※ここで紹介したホイラー・グレイシーを始め、ドミニク・クルーズの所属するアライアンスMMA、サウロ・ヒベイロの柔術ユニバーシティ、バレット・ヨシダが指導するアンディスピューティッドの模様が「Fight&Life 格闘紀行=サンディエゴ編」として掲載されているFight&Life Vol.35は現在、全国の書店で絶賛発売中です。
――サンディエゴにはMMA、そして柔術ともに有名なスクールが集中しています。
「今もリオデジャネイロが柔術のキャピタルだと思うよ。ただ、そのリオから多くのブラジリアンがカリフォルニア、特にサンディエゴに移ってきている。理由はここの気候だろうね。ビーチもあるしね。ニューヨークのように寒くなく、ブラジルのように暑くない。僕がサンディエゴに移ってきたのは2009年、もう3年間サンディエゴに住んでいる」
――ホイラーも気候にひかれて、移住してきたのですか。
「ブラジルでは朝、昼、晩と1日中指導に追われていた。自分を見つめる時間もなかった。そんな生活に対し、米国に来ることで、少し変化をつけたかったんだ。全てのクラスを指導することは、ここではやっていない。そして、自分の時間を手に出来た。その時間を使って、世界中でセミナーを行なっている。
今はセミナーに力を入れているんだ。グレイシーウマイタのインストラクターが、各国にアカデミーを開いているから、そこに出向いてセミナーを開いている。自分のアソシエーションを創り上げ、グレイシーウマイタのブランド力を上げようと思ったのが、米国に移ってきた理由だよ。それが僕にとって、エクストラ・タイムになっている」
――4人の娘さんも皆、サンディエゴに移ってきたのですか。
「ノー。2人は残っている。もう、ブラジルで自立しているからね。グレイシーウマイタはブラジルでも常に成長している。ブラジリア、リオ、エスピリトサント、マナウス、ほとんどの州にアカデミーを持っている。そんなブラジルでの動きを世界の舞台でも実現させようと思ったんだ。
1週間前にクウェートでセミナーを行なった。2週間前は南アフリカのケープタウン、ヨハネスブルクでセミナーを開いたばかりだ。どれだけ柔術が世界で広まっていることか」
――兄のホリオンは1970年代、ヒクソンは1980年代にカリフォルニアにやってきました。ヘウソンやホイスも、米国にベースを置いています。
「僕も1990年から1991年に掛けて、1年間LAに住んでいたことがある。LAでの生活は好きになれなかった。サンディエゴの方がずっと好きだ。LAは大きすぎて、落ち着けなかったんだ。その点、サンディエゴはゆっくりと静かに時が流れている。サンディエゴで第2の人生が始まった。ココ以外にイーストサンディエゴ、デルマーなど4つのジムをサンディエゴ周辺でオープンしている」
――兄弟が競争相手になっていませんか。
「しょうがいないよ。彼らが先にカリフォルニアに来ていたから、僕は来てはいけないっていうのかい(笑)? ヒクソンはブラジルに戻った。何も問題ないし、兄弟の仲も問題ない。ヒクソンがこっちに来たとしても、それはLAだしね。
ホイスとはクウェートで一緒だった。ヒクソンとはブラジルでも、こっちでも時間があえば会っている。ホリオンとは会っていないけど、電話で話している。ホウケルはブラジルのウマイタを任せているから、毎日のように電話で話している。僕ら兄弟は密に連絡を取り合っているよ」
――ところで甥であるハレック・グレイシーが関係しているメタモリス柔術はポイント無しルールで、グレイシー兄弟の得意とする戦いが見られています。あのルールなら……。
(話を遮って)「カムバックは考えていないよ(笑)。ポイントやタイムリットがない戦いは好きだよ。でもIBJJFもしっかりと機能している。カリーニョスも頑張っているし、時にはメタモリスのようなルールの柔術も必要だろう。
ホジャーとブシェシャの試合なんて、本当に凄かった。若い力の台頭を促すことになる。ホイラー・グレイシーはチャンピオンだった、大昔のね(笑)。もう、チャンピオンを目指すのでなく、ジムで私に柔術を習っている者の応援に行くのが僕の役割だ」
――もう柔術やグラップリングでも試合をする気持ちはないということですか。
「試合はしたい。でも、今進めている仕事を中断してまで、その準備に掛かるわけにはいかない。6月なんて、もう全ての週末がセミナーで詰まっている。セミナー以上の実入りがあるなら、また試合に出ることを考えるよ。もう、僕はファイターじゃない。ティーチャーであり、コーチだ。そうやって生活の糧を得ている。5000ドルで試合を引き受けた若い頃とは、違うんだ。
後ろを見てくれ、一生懸命汗を流す生徒たちがいる。今、僕の生活は彼らとともにあるんだよ」
<Bio>
Royler Gracie
1965年12月6日、ブラジル・リオデジャネイロ出身。
1996年~1999年ブラジリアン柔術世界選手権黒帯ペナ級優勝
1999年~2001年ADCC世界サブミッションレスリング選手権66キロ優勝
MMA戦績5勝5敗1分