【Interview】摔跤の真実。常達偉(チャン・ターウェイ)「摔跤とは、功夫の母のようなものです」
【写真】恐らくは日本のMMAファンの多くが、摔跤についてそれほど知識がないかと思われるが、チャン・ターウェイ氏によって、その歴史と武術性の一端が垣間見られることとなった(C)MMAPLANET
摔跤……シュワイジャオ、日本ではほとんど知られていない英名チャイニーズ・レスリングという組技格闘技。ちょっとした格闘技通の間では木村政彦の師・牛島辰熊が北京で戦ったことがあるという話が伝わっているぐらいだ。
その摔跤、鍛錬方法を紐解くと柔道やレスリングという近代競技とは一線を画した中国拳法の流れをくむ武術という見方もできる。常達偉(チャン・ターウェイ)は、大陸を代表する摔跤の指導者であった祖父・常東昇(チャン・ドンシェン)が台湾に移り住んだ後、その技術を受け継いだ。そんなチャン・ターウェイ氏に摔跤とは何かを語ってもらった。
なお現在発売中のFight&Life Vol.44では、ここで採り上げたチャン・ターウェイと共に散打、MMA、そしてブラジリアン柔術各分野を取材。MMAと武術の接点についてレポートした「Fight&Life 格闘紀行=台北編」が掲載されています。
――英語ではチャイニーズ・レスリングといわれ、日本だと中国式柔道と捉えている人も少なくない摔跤ですが……。
「ハハハ、コスチュームのせいですかね」
――ただ、体を鍛錬するトレーニングの風景を見ると、功夫そのもののようでもあります。いったい、摔跤とはどのような格闘技なのでしょうか。
「摔跤とは、功夫の母のようなものです。その歴史は、中国の武術のなかで最も歴史が長いものです。チンシュフアン(秦始皇=始皇帝)よりも以前の時代に遡ります。長年、各王朝の軍隊に取り入れられてきました」
――功夫からルールある近代スポーツへと、1950年代に大陸の方でまとめられたと聞き及んでいますが、軍事用だとすれば武器術も存在していたのですか。
「摔跤には当然、武器術も含まれています。徒手格闘術、武器術、どちらも持ち合わせているのです。もちろん、打撃もあります。摔跤には3種の段階が存在します。基本は生徒用で組技のみです。上級の生徒は打撃もあり、最終的には関節技も修得しています。そのような形に徐々に体系づけられてきたのです」
――中国武術は本来、人殺しの術で、競技などないものだったのが、打撃の散打、組技の摔跤と競技化されたと聞いていました。
「摔跤はスポーツでもあり、武術的な側面も持ち合わせているのです。ただし、嘉納治五郎が創始者として存在する柔道と、摔跤は違います。嘉納治五郎は日本の柔術、戦闘武術をスポーツに変化させました。安全で平和なスタイルです。摔跤に創始者はいません。自然と発展してきたものなんです。今では大陸でも、とても人気のある競技になっています。そして、世界に広まりつつもあります。私も4月にフランスの国際試合に列席していました。去年は大陸で行われた国際大会には、30カ国から選手が参加しています。ただし、大陸では複数の摔跤が存在しています」
──中国本土と台湾では、摔跤も違ったモノになっているということでしょうか。
「第二次世界大戦後1948年に私の祖父、常東昇(チャン・ドンシェン)が大陸から台湾にやってきました。そして摔跤を台湾中に広めました。私は幼少の頃より、摔跤の稽古をしてきました。摔跤は私の人生です」
――チャンさんの一族は、皆が摔跤をマスターしているのですか。
「私と弟だけです」
――では台湾で摔跤はどれぐらい普及しているのでしょうか。台湾の人々は、太極拳のイメージはあっても、コンバットスポーツとの結びつきは余りないようで、競技として行われている摔跤がどれぐらいこの国で親しまれているのか教えていただけますか。
「レスリング、サンボ、柔術、柔道、摔跤をやっている者は、他の格闘技の経験者も多いのですが、台湾は少し特殊です。台湾人は摔跤の練習しかしていません。摔跤の核は蹴り、パンチと投げ、関節技、そして擒拿のように経穴(※ツボ)を攻撃し、力を奪い取ることも含まれています。このように何でもできることが摔跤の特徴であり、だからこそ台湾の特別警察や特殊警察も摔跤を取り入れているのです」
――つまりスポーツ、競技としての摔跤だけでなく、近接格闘術としての摔跤も台湾には根付いているということですね。
「摔跤の鍛錬を積む人の目的によって、摔跤も性格を変えるのです」
――スポーツとしての摔跤か、格闘術としての摔跤か、どちらの方が人気があるのですか。
「両方です。摔跤は数多くの功夫の最終形です。功夫を突き詰めていけば、摔跤に行き当たります。台湾での競技人口は30万人です」