この星の格闘技を追いかける

【Column】リトアニアのMMA=シマナイティス王朝(前篇)

2011.11.14

Vilinius
【写真】一面の銀世界だった初めてのリトアニア。バルトの小国で格闘技が盛んに行われていることは、露ほども知らなかった。

※本コラムは「格闘技ESPN」で隔週連載中の『10K mile Dreamer』2011年8月掲載分に加筆・修正を加えてお届けしております

文・写真/高島学

リトアニア――、格闘技の試合を記事にする仕事に就いていなければ、まず訪れることがなかった国だろう。

世界を放浪した1994年の10カ月間、欧州には4ヵ月ほど滞在した。その際、旧共産圏ではブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、チェコなどを足早に回ったが、その後、チェコからドイツ経由でデンマークへ北上した。

かつて従兄弟が、ポーランド滞在中に非常に嫌な想いをしたことがあり、そのイメージが増幅し、ドイツから東へ行く鉄道に乗る気にはなれなかった。当然、ポーランドよりロシア側にあるバルト3国へ、足を運ぶという考えなど露ほどもない。

旅の目的は、格闘技と自動車レース、そして土地の食べ物。これら三要素にリトアニアという国が引っかかってくることは一切なかった。

それから9年後の4月、僕は初めてリトアニアの地に降り立った。


この前年、2002年11月に旗揚げ興行を行ったZSTには、RINGSの終盤期にファイターを送り込み、すぐにRINGSリトアニアを名乗るようになったドナタス・シマナイティスが協力していた。

日本で初めて目にしたリトアニア人ファイターたち。レミギウス・モリカビュチスは完全な立ち技系、ミンダウガス・ラウリナイティスは明らかに組み技系のファイターだった。総合格闘家としては穴が多い二人だったが、一人のマネージャーが完全に違うタイプのファイターをブックしたことに、まず興味を持った。

そのとき、格闘技のビデオ販売で有名なクエストのK社長が、ドナタスのことを「RINGSロシアの連中を通して知り合ったんだけど、彼は凄くスマートでね。リトアニアの格闘技界の全てをコントロールしている」と教えてくれた。

K社長の話を聞いて、露ほどの興味も持たなかった国への興味が一気に広まった。どうせなら、トップファイターが揃うビッグショーを取材したい。そんな想いから、たびたびK社長に相談に乗ってもらうと、4月5日に首都ヴィリニスのスポルト・ロミで、年に2回のビッグショー春の部が行われることが分かった。

早速、旅の準備に取り掛かる。と、ヴィリニュスへの直行便がないことを初めて知った。KLMでアムステルダムへ行き、スキポール空港で9時間待ってヴィリニュス行きに乗る。あるいはスカンジナビア航空SASでデンマークに立ち寄り、コペンハーゲンで一泊してから、翌朝の便でリトアニアへ移動する。

リトアニアで初の格闘技取材を終えた後、12日にオランダでプロ修斗の大会を取材する日程を組んでいたが、長時間、空港の硬い椅子に座っていることを避け、かつSASでマイレッジを稼ごうと、コパンハーゲン泊を選択した。

コペンハーゲン国際空港内にヒルトンにチェックインした直後に、空港地下から発着する電車に乗って国境を越え、対岸のスウェーデンはマルメにある柔術アカデミーを訪ねた。海外取材中のプチ海外旅行。思えば格闘技界に身を寄せる者として、当時の僕は、今よりもずっと心や懐に余裕があり、将来も楽天的に考えていたのだろう。

それはさておき、リトアニア行きを決めたあと、3月のZSTに再びドナタスが選手を連れてやってくるということが分かり、K社長の紹介で初めて言葉を交わした。東欧の人間に対し、放浪をしていた当時は暗い、笑わないというイメージを持っていたが、03年ともなると懐に入ればメチャクチャ陽気で、ジョークをつまみにアルコールをやり続けることができる人たちが多いことを、実体験をもとに知っていた。

ドナタスの第一印象は、一見、無表情だが、笑顔が自然で非常にとっつきやすい人物というものだった。その笑顔からは、彼がどれほどリトアニア格闘技界で、絶対的な権力を誇る人間なのか想像もできなかったが、その懐の深さをすぐに思い知らされることになる――。
(この項、続く)

<MMA情報モバイルサイト=格闘技ESPN>
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