この星の格闘技を追いかける

Column 「女子〝最高″MMAファイターは、僕の長女」

2011.05.30

Marloes Coenen※本コラムは「格闘技ESPN」で隔週連載中の『10K mile Dreamer』2011年3月掲載分に加筆・修正を加えてお届けしております

文・写真/高島学

【写真】当然の話だが、随分と大人になった。ただし、今も出会った頃と変わりなく、写真に撮られるのが大嫌いなマルースだ

ライン川支流のアイセル川、その堤防沿いの道をデーフェンターから北へドライブしていた2002年6月。 川面の反対側の牧場を眺め、『牛たちが一カ所に集まっているから、もうすぐ雨が降るね』と話しかけたとき、彼女はとても驚いた顔をした。

「そんな話、聞いたこともないわ」と、本当に整った顔立ちを一段と際立出せている青い目が点になり、すぐに、とびっきりの笑顔に変わった。

しばらくして、「学校に通うとき、この森を通るのが怖くて怖くて、だから強くなりたいと思ったの」と、彼女は右手に見える深い森を指さした。もう夜の9時になろうかというのに、初夏のオランダは本当に陽が高い。あと2時間もしないと、夜の帳も下りてこない。反対に冬だと、彼女が中学校から帰ってくる時間には、森は漆黒の闇に包まれることになる。

オランダ、オーファアイセル州の小さな街デーフェンターのそのまた郊外の小さな小さな集落。ドライブの目的地が、オルストという名だと知ったのは、随分と経ってからだ。


彼女――マルース・クーネンが、森への恐怖を克服するために、デーフェンターにあったマルタイン・デヨングが指導するスポーツ柔術の道場に通うようになったのは14歳の時だった。

それから5年後、2000年2月に、欧州で初めて開かれたアマチュア修斗(非公式戦)に、19歳になる直前の彼女は2試合に出場し、両方とも勝利を収めている。

アマ修斗の取材後、アブダビコンバットでの仕事を終え、ロッテルダムで開催された2H2H(トゥーホット・トゥーハンドル)を取材するために、オランダにUターン。アマ修斗を主催したマルタインは、一人の格闘家に戻り、ゴールデン・グローリー所属のスペシャリストとして、ジョゼ・ペレ・ランジと戦った。結果は判定負けに終わったが、ブラジルの強豪選手を相手に、懸命に食らいつくことが出来た自分自身にホッとしたような表情を浮かべたマルタインの隣で、初めてマルースに話しかけられた。

「私、日本で戦いたい。練習だってしてみたいの」と。

(またや……)。海外を取材していると、どこへ行っても『日本で試合をしたい。プロモーターを紹介してほしい』と言われる。誰の手から渡ったのか、名刺に記したメルアドに、顔も分からない選手から、メールが届くようになった。反社会人というレッテルを張られようが、名刺を持つことをやめるようになっていた僕は、彼女の言葉を軽く聞き流した。

それから8カ月後、マルースは女子プロレス団体LLPWが開いた「L-1 2000」という総合格闘技の大会に初来日を果たす。当時、オフィシャルな修斗の組織を欧州に発足させようと懸命になっていたマルタインは、愛弟子のプロ大会出場のチャンスにも、主催者がプロレス団体ということもあり、非常にナーバスになっていた。

修斗を司るコミッションに出場希望を申し入れたとき、『命を懸けて戦う教え子のセコンドにつけないなら、指導はやめるべき』という、彼ららしい応援の言葉を背に、マルースは初来日の時を迎えた。

その後、マルースはReMIXでの成功を機に、日本格闘技界のアイドルとなった。それでもボーイフレンドでマルタインの弟子第一世代のウーモア・トロンペットと共に、東京で練習をしたいと、幾度となく我が家のベッドルームを合宿所代わりに使用した。真っ直ぐな彼女の視線を受け止めることが出来なかった初対面の後ろめたさが、ベッドルームの提供に関係したのは否定できない。

Marloes【写真】マルースのお父さんは、マルタインの美術の先生だった。その関係で、彼女はスポーツ柔術を始めるようになった。この写真で、なぜ彼女が枕を持っているのか、今はもう思い出せない

僕の方も02年6月のようにオランダに取材へいくと、毎度、彼女の実家やアムスのアパートに顔を出す。お父さんとお兄さんが芸術家で、繊細さと大胆さを兼ね備えたマルースは、リングからケージに活躍の場を移し、ストライクフォース世界女子ウェルター級王者に君臨している。

記者として失格だが、彼女をボコボコにしたクリス・サイボーグへのインタビュー依頼を躊躇していた自分に、「日本のパパが、私が原因で人生を掛けている仕事を全うできないほど、辛いことはない」と、氷で目を抑えながら背中を押してくれた。

涙をこらえることができなかった。

強がることもなく、女子格闘技のリーダー然と虚勢を張るわけでもない。いつだって自然体。3人の娘の父となった人生のなかで、最高の女子MMAファイターは――童貞だった14歳の時にオランダで生まれた――マルースという青い瞳を持つ、僕の長女だ。

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