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【Nexus44】那須塩原クロウフォレスト、赤羽幾也with阿部健太郎代表「自分が勝つ自信しかない」

【写真】良い関係がうかがえる師弟、赤羽と阿部代表(C)SHOJIRO KAMEIKE

27日(土)、東京新宿区のGENスポーツパレスでNexus44が開催される。今年3月から開幕したフライ級王座トーナメントで、2回戦に進出した赤羽幾也は、赤崎清志朗と対戦することとなった。
Text by Shojiro Kameike

赤羽が所属するのは、栃木県那須塩原市で阿部健太郎代表が主宰するジム「CROW FOREST」。阿部代表は2002年の全日本アマ修斗のミドル級(現ウェルター級)を制し、同年11月にプロデビュー。現役当時はK’zファクトリーに所属していた。CROW FORESTの特徴といえば、キッズ&ジュニアの育成という声も多い。赤羽はまさにキッズ時代からCROW FORESTで育ってきたファイターだ。今回は赤羽と阿部代表に、ジムとファイター双方のキャリアについて語ってもらった。


地方では武道系の団体がキッズの試合を行っていて、当時から子供たちも結構MMAの試合に出ることができていたんです(阿部)

――阿部代表は現役時代、K’zファクトリーに所属していたそうですね。

阿部 最後のK’zがなくなるまでは所属しました。無くなる前に妻と知り合いまして、僕は婿入りして名字が阿部になったんです。そこで僕は終わって。その2~3年後には場所を移動したりして、K’zが終わってという感じですね。K’zでいうと僕は孫煌進や朴光哲さんと同期で、年齢は孫煌進と同じです(※1978年生まれ)。

――そんななか那須塩原市でクロウフォレストを立ち上げる、と。

阿部 そうですね。赤羽は最初からいるメンバーで――ジムに入ってきたのは4歳の時ですね。ウチの息子(※阿部天臥=足利大学付属高から国士舘大学に進み、現在はグレコローマン男子125キロ級で戦う)、高橋瑞稀(※柔術紫帯、2024年柔術甲子園優勝など)、それと赤羽赤羽が当時からのメンバーです。

――格闘技を始めたのが4歳の時! 赤羽選手は当時のことを覚えていますか。

赤羽 いやぁ~、あんまり覚えていないですね(苦笑)。最初に試合をしたのが4歳で、その時のことは少し覚えています。聞いているのは、もともと親が格闘技を好きで。新聞でジムの告知を見て入会させたんじゃないかな、みたいな感じです。

――2000年代初頭は日本格闘技の隆盛期であり、その時期に格闘技を見てお子さんにも習わせる親御さんも多かったと思います。

阿部 アハハハ。まさにそういう時代でしたね。

――とはいえキッズ修斗とジュニア修斗が正式に競技化されたのが2016年で、それまでは試合も行われていたとはいえ機会が少なかったのではないかと。

阿部 それが地方では武道系の団体がキッズの試合を行っていて、当時から子供たちも結構MMAの試合に出ることができていたんですよ。

――赤羽選手の場合、武門會のサムライゲートに出ていますよね。当時から武門會は禅道会と連携し、ジュニアの大会も多く開催していた印象があります。その中心が長野県から北関東や中部地方で。

阿部 そうです、そうです。ちょうどタイミングも地域も良かったですね。

――これまでクロウフォレストは赤羽選手をはじめとして、ジュニアから選手を多く育ててきました。それは阿部代表の方針だったのですか。

阿部 僕がK’zにいた頃、鈴木信達さんが所属していた武心塾でボクシングを習っていて、武心塾の代表さんに『道場をやるなら必ず子供を指導しなさい』と言われたんです。それと自分の息子に格闘技をやらせたいという気持ちもあったので、キッズをやることにしました。

――それはキックや空手、柔術、レスリングと個々の競技に特化したものではなく、MMAを?

阿部 はい。僕自身は選手として大成できなかったけど、全ての要素が平均的なタイプの選手だったので、それなりに指導できる自信はありました。であれば何か一つを教えるよりも、多くのものを教えることができたほうがジム入会の幅も広がるかなと思ったんですね。

――赤羽選手としては4歳からMMAを始めた当初、何をやっているかも分からず「やらされている感」はなかったですか。

赤羽 アハハハ、それはなかったです。最初はMMAというか週1回、日曜日にヒザ立ちグラップリングから始めていました。

――そこからジュニア時代は、何試合戦ったか覚えていますか。

赤羽 えっ、何試合だろう……。

阿部 MMA、柔術――中学の時は柔道部にも入っていたしね。

赤羽 たぶん100試合ぐらいはやっていると思います。

阿部 いやいや、100試合どころじゃないだろう(笑)。

赤羽 少なくとも100試合はやっているということで(笑)。柔道は最高が県大会2位でした。あとはもう大会が多すぎて……。そこからアマチュア修斗に初めて出たのが高1の時です。

阿部 最初の年から関東選手権で2位になり、全日本にも出ることができました。

――その頃にはもうプロ選手になるという気持ちは固まっていたのでしょうか。

赤羽 う~ん、最初は高校から専門学校に進んで、同時に格闘技も続けようと思っていました。気持ちが固まったのは高校を卒業する頃ですね。

理由は分からないですけど、アリスター・オーフレイムが好きでした(赤羽)

――ちなみに赤羽選手はジュニア時代の2019年、修斗の後楽園ホール大会に出場して佐々木瞬真選手に判定勝ちしています。

赤羽 はい、そうですね。

――代表が現役の頃と比べると、修斗の中でも変化していったように感じますか。

阿部 いえ、修斗のことというよりジュニアのことを考えると、当時からもうジュニアで1カ月に一度試合をしていたんですよね。修斗王者だった遠藤雄介君の心技舘が主催する大会(心技舘JOF)がありましたし、ネクサスさんもキッズ&ジュニアには力を入れてくれていました。それでたまたま修斗の後楽園ホール大会に出たというだけで。もちろん自分の中でも修斗は特別なものでしたし、『あぁ修斗に選ばれたんだな』という気持ちはあって。ただ、それでも『数ある大会の中で大きな試合に呼ばれた』というぐらいの感じではありましたね。

――それもキッズ&ジュニアの試合が普及してきた証しですね。赤羽選手は代表の現役時代や、当時のMMAは視ていないかと思います。自身の中で最初に好きになったMMAファイターは誰ですか。

赤羽 父はUFCが好きで、自分も一緒に視ていて……理由は分からないですけど、アリスター・オーフレイムが好きでした。

阿部 アリスター!?

――全く予想していないところから矢が飛んできましたね(笑)。赤羽選手の現在のスタイルとは異なりますが、アリスターのようなファイターになりたいとは思わなかったのですか。

赤羽 それはなかったですね。とにかくアリスターが好きっていうことで――本当に理由は分からないんです、アハハハ。

――では幼少期からアマチュア修斗に至るまで、どちらかといえば柔術の動きが中心となるスタイルになったのは?

赤羽 さきほど言ったとおり最初はヒザ立ちグラップリングから始めて、そのあと関節技を練習するようになりました。寝技から始めたので、寝技がベースになったという感じですね。

阿部 万遍なく教えていたつもりでしたが、そのなかでベースになるのは寝技だろうと思っていました。K’zはレスリング重視のグラップリングが多いジムで、レスリングに特化している選手にレスリングの面では追いつかない。そのなかでとにかくグラップリング、MMAに近いグラップリングをやっていくしかない、と。やはり子供の頃に万遍なく体が強くなるのも組みの練習だと思っていて、あとはMMAって自分のものだから自分に合う戦い方を身につけていきなさい、と指導していましたね。そのなかで赤羽は組みを選択したんだろうと思います。

――その流れで下から三角で固めたり極めたりといった展開が得意になったのは、何かキッカケがあったのでしょうか。

赤羽 練習では三角で極めることが一番多かったんですよね。それで三角が多くなったのかな、とは思いますけど……。

阿部 赤羽にも基本的にはトップを取ることを意識させていました。それでも一番強かったのが三角絞めで、三角に頼ってしまっていた時期はあったと思います。最初の頃はまだトップのポジションが安定せず、下になってしまうことが多かったから、という面もあるでしょうし。でもだんだんとMMAでは通用しないから、頼るのは止めなさいと言うようになって。

――アマチュア時代には、トップを取る前にスタンドレスリングやケージレスリングで苦戦する時期もあったかと思います。

阿部 ありましたね。道場内だとレスリングもまぁまぁ強かったですが、やはり全日本アマ修斗のレベルになると四つで負けて試合になることが多くて。そこから直していこうと、フィジカルと四つを鍛えました。あと大きかったのは梅田恒介さんが指導に加入してくれたことですね。あれからMMAのレスリングに関しては飛躍的に伸びたと思います。腰も強くなって、レスラー相手でも倒れなくなりましたから。

赤羽 高校の時は朝、パラエストラ松戸(現THE BLACKBELT JAPAN)に行って、梅田さんがやる練習に参加したりとか。水曜日には朝練で教えもらい、金曜日はマッハ道場で教わったりするようになって、技術的にも上がったなと思います。

――その後、全日本アマ修斗は2022年と2023年の2回戦負けを経て、2024年に優勝しています。特に2023年と2024年の間に何か大きな変化があったのでしょうか。

阿部 全ては積み重ねですよね。スタンドのレスリングも含めて、負けたら修正、負けたら修正を繰り返してきました。そんななかで大人の体になってきてことも噛み合って、積み重ねてきたことが2024年に出たように思います。

次の試合もベテラン選手が相手ですけど、しっかり極め切るかパウンドアウトしたいです(赤羽)

――そこからプロデビューが修斗ではなくネクサスであったのは、どのような経緯だったのですか。

阿部 小さい頃から見ていると、その選手の実力はよく分かるので、まずはネクサスで積み上げていきたいと思いました。

――ネクサスでは全日本アマ修斗を制する前の2024年3月、TKO勝ちを収めました。しかし全日本の後に出場した12月の後楽園ホール大会では、竹内悠選手にTKO負けを喫しています。

赤羽 あぁ、あれは……(阿部代表を見る)。

阿部 あれは事故だったからね。

赤羽 最初に組んだ時、肩が外れてしまったんです。

――そうだったのですか。序盤に突然『ウッ』というような感じで体勢を崩してパウンドを受けたので、何があったのかと……。

赤羽 そうなんです。でも負けは負けで、そこからフライ級トーナメントのお話を頂けるとは思っていませんでした。戦績を考えれば、もっと良い選手もいるじゃないですか。自分の場合は、前の試合で負けていて、そこから試合もしていなかったですし。自分の中では正直、「出られるんだぁ」という感じで(笑)。

――フライ級トーナメント1回戦では、ベテランの島袋チカラ選手を相手にパウンドを中心としてトップをキープしながら判定勝ちを収めました。

赤羽 ジムでも皆は「圧勝していたね」と言ってくれますけど、自分の中では極め切れなかった、パウンドアウトしきれなかったことは悔しいです。

――次にトーナメント2回戦で対戦する赤﨑清志朗選手も、キャリアでは赤羽選手を大きく上回るファイターです。どのような印象を持っていますか。

赤羽 打撃だけ、寝技だけというわけではなく、どちらもできる選手だと思います。どちらかといえば、パンチが多いかな――という印象はありますけど、トータルでできる選手で。ただ、自分が勝つ自信しかないです。

――まずは目の前の試合ですが、フライ級トーナメントで他に気になる選手はいますか。

赤羽 やっぱり北野一声選手は強いと思いますし、あとは中村大信選手ですかね。

阿部 中村選手は怖い存在だよな。

赤羽 それでも自分のほうが勝っている部分はあります。次の試合もベテラン選手が相手ですけど、しっかり極め切るかパウンドアウトしたいです。そこからトーナメントで優勝して、ベルトを獲ります。

■視聴方法(予定)
6月27日(土)
午前11時~ Nexus YouTubeチャンネル メンバーシップ

■Nexus44 メインカード

<フェザー級/5分2R+ExR>
堀江耐志(日本)
伊藤光(日本)

<ミドル級/5分2R+ExR>
桝井秀翔(日本)
グレイブ・ディガー(米国)

<フライ級王座決定T2回戦/5分2R+ExR>
バキ(台湾)
北野一声(日本)

<フライ級王座決定T2回戦/5分2R+ExR>
赤﨑清志朗(日本)
赤羽幾也(日本)

<フライ級王座決定T2回戦/5分2R+ExR>
中村大信(日本)
横山太一(日本)

<フライ級王座決定T2回戦/5分2R+ExR>
萩島answerたくみ(日本)
柿沼和敬(日本)

<バンタム級/5分2R+ExR>
生田大雅(日本)
藤井徹(日本)

<バンタム級/5分2R+ExR>
中家晃史(日本)
曾我英将(日本)

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