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【OCTAGONAL EYES】ジョージ・ソティロパロス

Sotiropoulos
【写真】顔が全く写っていないが、2003年5月にサンパウロで開催されたADCC世界サブミッションレスリングで、77キロ級に出場したジョージ・ソティロパロスは初戦でヘンゾ・グレイシーのギロチンに敗れた。なお、当大会では今やソティロパロスになくてはならない存在のエディ・ブラボーがホイラー・グレイシーを下し、ブレイクを果たした。

※本コラムは「格闘技ESPN」で隔週連載されていた『OCTAGONAL EYES 八角形の視線』2010年3月掲載号に加筆・修正を加えてお届けしております

文・写真=高島学

2月21日、UFCにとって初のオーストラリア進出となったシドニー大会。メインでアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが、ケイン・ベラスケスにTKO負けを喫し、日本のファンを落胆させましたが、私にとってこの日一番のアップセットはジョー・スティーブンソンの敗北でした。

番狂わせを起こしたのは、ジョージ・ソティロパロス。現在は米国に居を移しているギリシャ系オーストラリア人です。

ソティロパロスの生まれは、ビクトリア州ですが、UFCがイベントを開催したニューサウスウェールズ州シドニーは、マチャド柔術系のジョン・ウィルから、ブラジリアン柔術の手解きを受けた街。この日の勝利は彼にとって、本当に感慨深いものだったでしょう。


私がソティロパロスというファイターを初めて知ったのは、03年のことです。アブダビコンバット主催・世界サブミッションレスリング選手権の77キロ級オセアニア予選の優勝者が、この舌を噛みそうな名前の持ち主でした。

本番の世界大会は、ブラジルのサンパウロで行なわれ、残念ながら初戦の対戦相手がヘンゾ・グレイシーということもあり、目立った動きを見せることなく、彼のアブダビは終わりました。

この時、私はとある編集部から出版予定の選手名鑑の仕事を依頼され、この大会に出場している外国人選手にアンケート用紙を渡し、その返答とバストアップの写真をできるだけ揃えるようにという、15年のキャリアのなかでも、忘れられないハードな本創りの命を受け、サンパウロに赴いていました。

一階級16名、5階級、計80人の参加選手たち。どう転んでも、試合前日に空港から直接計量会場に向かい、宿泊するホテルも違う状況下では、ミッションインポッシブルです。

ならば、この地でなければキャッチできない選手から手当たり次第、アンケート用紙を配ることにして、リオデジャネイロ在住のフリージャーナリスト、マルチン・デニス君にもブラジル人を中心に、手伝いを願い出ていました。

ソティロパロスの担当は、デニス君でした。そのデニス君、歯ぐきを剥きだし、馬鹿笑いしながら私の所にやってきました。
「あんなヤツ、見たこともないよ。自意識過剰すぎる!」と話を切り出したデニス君。何でもソティロパロスは、写真を取る際、名鑑用だから正面から撮影するデニス君に対し、「こっちの角度の方がいい」と左向きに顔をずらしたそうです。しかも、デジカメのスクリーンで写りを確認し、「いや、こっちの方がいいかも」と反対を向き、さらには「この角度の方がハンサムに撮れているから、この写真を使ってくれ」と、念を押して控室に戻っていったというのです。

この話を聞いて、どんな色男かと思ったソティロパロスですが、確かに鼻が高く、ほりが深い、いうなればギリシャ彫刻のような顔立ちをした、イィ男でした。

「アイツ、ファイターじゃなくて、モデルになった方が良いよ」というデニス君の言葉もあり、私はこのアブダビ以降、格闘家としてソティロパロスの足跡を追うことはありませんでした。

それから3年ほど経ち、プロ修斗のオフィシャルジム=ピュアブレッド大宮ジムに、寝技の強いオーストラリア人がいる――という話が伝わってきました。

総合の試合に出たくて来日し、そのまま長期滞在、柔術の試合にも出場する貪欲な姿勢を持っているということです。貪欲な姿勢――という部分で、私のなかでソティロパロスと重なることはなかったのですが、台東リバーサイドセンターの柔道場で行なわれたブラジリアン柔術デラヒーバカップの黒帯メジオ級と無差別級に出場していたのは、紛れもなくあのソティロパロスでした。

両階級で3ヶ月後にUFCファイターとなる弘中邦佳に敗れたものの、バックマウントを奪う際に見せる動きや、勝負を諦めない姿勢は、写真映りを気にするナンパなファイターのイメージとは程遠いものでした。

ようやくMMA普及の機運が盛り上がりつつあった母国オーストラリアのウォリアーズ・レルムで、カイル・ノークとの豪州頂上対決を二度経験。チャンスを求めて赤道を越えたソティロパロスの心意気は、頭を丸め、出場費を払ってアマチュアの大会で戦うという姿勢にもハッキリと表れており、彼自身が放つオーラも、デニス君から伝え聞いたモノとはまるで違うハングリーさが備わっていました。

その後、エンセン井上主催の「心」で岩瀬茂敏を相手に、最後まで一本を狙う拘りを見せたソティロパロス。プロ修斗の青木真也戦に抜擢され、結果はローキックが股間を直撃し反則負けとなってしまいましたが、足関節で攻め込まれても、絶対に諦めない気持ちの強さに、その後の彼への期待値がグンと上がったことが思い出されます。

翌年、ダン・ハーディーや吉田善行、そしてジャレッド・ローリンズという後のUFCファイターを生んだケージフォース・ウェルター級トーナメントに、豪州ウォリアーズ・レルム代表で出場という話もあったのですが、この話は諸事情で消滅。いつの間にやら、日本からも姿を消していました。

ただし、彼の名前はすぐに、より大きな存在として、私の耳に届きました。TUFシーズン6に出演していたソティロパロス、その逞しさには舌を巻いたものです。

TUFこそアクシデント的な試合で、準決勝敗退となったソティロパロスですが、UFCデビュー後は、4試合連続一本勝ちをし、大金星とともに母国凱旋を果たしました。1万7000人以上の同胞の前で受けた勝ち名乗り、右側からだろうが、左側からだろうが、感極まった彼を捉えた写真は、全てがこれ以上ない男前のジョージ・ソティロパロスの表情を写し込んでいたに違いありません。

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