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【Bu et Sports de combat】ベトナムのMMA─01─その驚くべき過去=リンフォンについて……

Vietnam MMA 01【写真】ジョニーがフランス統治下で行われていたベトナム流バーリトゥードの試合だという写真。確かに薄いMMAグローブを着用して、恐ろしく不安定なリングで試合をしている。誰が誰といつ戦ったという資料は全く残されていない(C)Lien Phong

昨年9月にONEチャンピオンシップがベトナム、ホーチミンでイベントを開催したが、本サイトではその模様をお伝えしていない。なぜか、MMAが組まれなかったからだ。

リン・フォンを継ぎ、許可なくMMAを開いてきたジョニー・トゥリ・ウェン。彼が米国で過ごしたウェストミンスターは、ベトナム系米国人MMAファイター=ナム・ファンの出身地だ

リン・フォンを継ぎ、許可なくMMAを開いてきたジョニー・トゥリ・ウェン。彼が米国で過ごしたウェストミンスターは、ベトナム系米国人MMAファイター=ナム・ファンの出身地だ

現状、ベトナムではMMAは認められていない。その原因を突き詰めようにも、なかなか関係者は口を開かない。

その背景にはやはり共産主義であること、そして管轄する部署が政府内に存在していないなどが挙げられる。そんななか、昨年末にMMA大会らしきモノが開かれたという情報が入ってきた。

今、ベトナムのMMAがどうなっているのか──を考察する前に、なぜMMAが認められていないのか、その大きな要因とされる人物のインタビューが、Fight & Life Vol.75にFight & Life格闘紀行:ベトナム・ホーチミン編Part.02として掲載されているが、ここで転載し年末の動きを追ってみたいと思う。


なぜ、ベトナムではMMAが認められないのか。その理由は複数あるだろう。その原因の1人と思われるのが、MMAジム「Lien Phon」を経営するジェリー・トゥリ・ウェン──ベトナムで忘れさられた、何でも有りの戦い、その流派を継ぐ男に知られざるベトナムMMAのルーツと彼が開催してきた政府非公認のMMA大会について尋ねた。

ホーチミン郊外にあるMMAジム=リンフォン。ONEウォリアーで勝利しているトゥラン・ウォンロックが所存している

ホーチミン郊外にあるMMAジム=リンフォン。ONEウォリアーで勝利しているトゥラン・ウォンロックが所存している

──まるで映画のセットのような味のあるジムで、かつ最高の設備が整っている。本当に驚きました。

そもそもジョニーさんが、MMAの大会が許されていないこの国にリン・フォンのような立派なジムを創ったのはなぜなのでしょうか。

「私はベトナム生まれだけど1983年……9歳の時に米国へ移住しテキサス州に少しいて、それからはずっとカリフォルニア州のウェスタミンスターに住んでいた」

──おお、リトルサイゴンですね。

「そうだよ。米国に移り住んでから、マーシャルアーツを父に習うようになったんだ」

──どのような武道をお父さんから指導を受けていたのですか。

「父が祖父から受け継いでいたマーシャルアーツだよ。それがリン・フォンなんだ」

──道場の名前になっている?

「そうだよ。リン・フォンのリンはコンバイン、フォンはスタイルという意味なんだ」

ジェリーの祖父、リン・フォンの創始者ウェン・ギャンムン

ジョニーの祖父、リン・フォンの創始者ウェン・ギャンムン

──スタイルの組み合わせ、まさにMMAではないですか。

「ベトナムではMMA、いやMMAのようなモノが行われていたんだよ。スポーティーなモノじゃないバァア・ヤァ、つまりスタイル・フリーダムと呼ばれていた。スペリングでいえばVOS TUDOとなる戦いがね」

──えっ!!

「バーリトゥードに似ているだろう?(笑)。フランスの統治が始まる以前から、道場同士の間でこの手の戦いは伝統的なものだった。そしてフランスの支配が始まると、彼らはベトナムにコンペティションという理念を持ち込み、リングを用いて客の前で、バァア・ヤァの試合が組まれるようになったんだ」

──それはどのようなルールで行われていたのですか。

「私が聞いた話だと、死んでも文句は言えないということだよ。アハハハハハ」

──……。

「それがルールだったそうだ。テイクダウンが認められたムエタイ、今のMMAに近い薄いグローブが使用されていたんだ」 

──!! 驚かされることばかりです。

「MMAは別にベトナムでは新しいものでもなんでもないんだよ。アハハハハハハハ。MMAグローブですら、新しいものじゃない。そして1930年代、祖父は数々のマーシャルアーツを習得しリン・フォンを創り上げ、そのリングで戦うようになったんだ。

その当時、日本人がトラディショナルの日本の柔術をベトナムに持ち込んでいたという話も残っているんだ。ただしベトナムにはそれ以前から、ベトナム特有のグラップリングも存在していた。そうでないと、何でも有りは戦えないからね」

──いやぁ、とんでもない歴史がベトナムには存在したのですね。

。 道場の受付で見られた若きのウェン・ギャンムの写真。両腕に嵌めた先の尖った金属製の槍のような武器で水運業時代、自らの船を守っていたそうだ


道場の受付で見られた若きのウェン・ギャンムの写真。両腕に嵌めた先の尖った金属製の槍のような武器で水運業時代、自らの船を守っていたそうだ

「ウェスタン・コンバットスポーツを身につけた外国人と祖父は戦い、無敗のままリングを下りることになった。

そして水運業を始め、今度は山賊のような集団が彼の相手になったんだ。それから祖父は自衛のために武器術も発展させた」

──……。

「さらには植民地政策を取るフランスに対するレジスタンスに加わり、祖父の率いた部隊は目覚ましい活躍をしたそうだよ。祖父は殺し合いのなかで接近戦による徒手及び武器術を発展させていったんだ。

フランスの統治が終わり、ベトナム戦争が始まり、南北が統一されるとバァア・ヤァの痕跡をこの国に見つけることは困難になってしまった。でも、私は米国で祖父が父に伝えたマーシャアーツを伝統として受け継いでいたんだよ。それこそ、祖父からのギフトだと思っている」

──ジョニーさんが米国に移り10年が経ったころUFCが始まりました。グレイシー柔術を見た時、どのように思いましたか。

「第1回UFCを見た時、そういうものがあったとは聞かされていても、実際にああいう戦いを見たのは初めてだったから、凄く興味深かったよ。そして、今のMMAと比べると、ずっと道場間のチャンレジファイトに近いと感じた。

ただ、祖父の武術はもっとエゲツナイものだったよ。絞めとか関節技ではなくて鎖骨を抉るような、ね。アハハハ。私は2005年にベトナムに戻り、祖父から伝えられたリン・フォンを時代に合ったモノとして、この国に復活させたかった。そうなるとMMAになるんだ。アハハハハ」

<この項、続く

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