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【Special】「世界の頂点へ」──BRAVE内弟子プロ養成方法を宮田和幸が語る<01>

Brave Fighters【写真】左から竿本樹生、鈴木隼人、宮田和幸、芦田崇宏、坂巻魁斗(C)MMAPLANET

シドニー五輪フリースタイル・レスリング63キロ級日本代表からMMAへ転向。いきなりの大舞台からキャリアを積むことになり、戦いながらMMAを消化してきた宮田和幸。

その彼が2009年にBRAVEをオープンし、翌年9月にはケージを常設した三郷メガジムも開設した。自ら現役生活を続ける一方で内弟子制度にも似たプロMMAファイター養成を行い、芦田崇宏、鈴木隼人、坂巻魁斗、竿本樹生らが各プロモーションで活躍している。

ただジムに所属しているのではなく指導者として給料が支払われ、選手によってはジムに住み込んでいる者もいるBRAVEプロ集団。宮田に日本のMMA界にほぼ例を見ない独特の内弟子制度について尋ねた。

――まず宮田選手がBRAVEを開いた理由を教えていただけますか。

「2008年に開いた北千住が一号店なのですが、当時は練習が出稽古ばかりでスパーしかしていない状況だったんです。試合に勝つためには技術練習が必要だと感じていました。HERO’SからDREAMで戦うようになり結果がでていないなか、試合間隔も開いてしまっていて。なら、この間にジムを作ろうと思ったんです。

収入とか、将来を考えるということでなく、試合で勝ち星に結びつかない。スパーではそこそこはできても、試合では細かいところの精度を上げるという課題がありました。なら、色々なところで出かけていなくても自分の居場所を作ろうと」

――今の世代はプロ練習ががっつりとあるのがBRAVEの印象ですが、当時はどのようなメンバーで細かい部分の精度を上げるトレーニングを行っていたのですか。

「最初は出稽古で練習していたスパーリング仲間をジムに呼んでいました。そういう練習をしていると会員さんも増えてきて、一般会員さんの指導も自分の練習と同様に力を入れていくようになったんです。ただ、今のようにキッズ・レスリングが毎日あるとっていうのではなく、週に2度ほど。あとは夜に一般クラスを3時間ほど開けていた。まぁ、仕事という仕事ではなく、昼間は完全に自分の練習をしていました」

【写真】三郷メガジム。2階にはレスリングマットと竿本が生活する合宿所がある(C)MMAPLANET

【写真】三郷メガジム。2階にはレスリングマットと竿本が生活する合宿所がある(C)MMAPLANET

――北千住、ここ三郷、そして草加と3つのジムがありますが、三郷はケージ、リング、レスリングマットがあり、宿泊施設も用意されたメガジムです。

「2010年9月に正式オープンした時、まずリングがおきたかったんです。DREAMはリングを使っていましたし、リングは滑るという感覚がありました。レスリングマットと違う、表面にザラザラ感があって滑る。その感覚とロープワークというか距離の詰め方を、リングを使った練習に身につけたかった。あの頃になるとMMAは一気に技術が進化したじゃないですか」

【写真】リングの奥にケージが見える(C)MMAPLANET

【写真】リングの奥にケージが見える(C)MMAPLANET

――ハイ。だからこそ、しっかりとした練習設備、練習環境が必要になってきました。

「そうなんです。その一方で、MMAはケージが中心になる。そんな流れも明らかに存在しました。そこで自分のスポンサーをしてくれているイサミの磯さんと相談して、ケージを入れてもらったんです。ケージは磯さんの協力がなければできなかったです」

――なるほど。いってみれば三郷も宮田選手の自分の練習のために必要な設備を整えたのですね。そういうなかでBRAVE育ちのプロ選手たちも成長してきました。

「芦田は北千住がオープンして、すぐに入会してきて。芦田はボクシング、三郷を開いた直後に入ってきた隼人ならレスリングという風にバックグラウンドを持つ人がジム生になり、出稽古もほぼ行かなくてよくなりました。

そして、北千住の初期のメンバーはプロになる者も増え、三郷ができてBRAVEが二店舗になったので弟子を募集したんです。芦田もあの頃はアルバイトをしていて週に3回ぐらいしか練習に来ていなかった。当たり前ですけど力の差は歴然としてある。

で、食事を一緒にしたときに『週3で毎日やっている俺に一生勝てないと思うよ』という話をしました。でも、バイトがあるからなかなか練習時間が取れないということだったので、ならバイト料金を支払うので、毎日練習に来いよっていう風に話したんです」

――そこで英才教育を?

「いえ、キッズ・レスリングのクラスに出るよう伝えました。僕は大人にはレスリングをがっつりと教えないんです。難しいし辛いし、人気がない。カルペディエムの岩崎(正寛)君とかは特別で、大人にレスリングを教えても商売にならないです(笑)。本当にキツイ練習になってしまいますからね。

でも、子供は勝ちたいっていう子が多いので、しっかりとレスリングの指導をしています。だから芦田にも、そこに出てレスリングを見ておきなさいという感じでした。

そのあとに入ってきた坂巻も、そうですね。中二の時にMMAをやりたいということで入門してきたのですが、僕は『強くなりたいなら子供のレスリングクラスから出なさい』と伝えたんですよ。

アイツも今では結構、レスリングが上手いのですがレスラーじゃないんです。キッズでなく中学からだと、レスラーとしてはスタートが遅い。だからキッズでの練習でやりこんできた小学生に当たり前のようにやられていました」

【写真】バックス―プレックスのイメージが強い宮田だが、通のMMAファンにはがぶりからのチョークがすっかりと認知されている(C)MMMAPLANET

【写真】バックス―プレックスのイメージが強い宮田だが、通のMMAファンにはがぶりからのチョークがすっかりと認知されている(C)MMMAPLANET

――レスリングを覚えるなら、キッズ・レスリングに参加する。なるほど、そういう方法論があるのですね。

「キッズ・レスリングから出て、MMAのトレーニングを続けるようなった坂巻は必然的に弟子になりました。あとは竿本のようなケースもありますね。彼はレスリングをしっかりとやってきた子です。お父さんが格闘技ファンで以前やっていたネットでのグッズ販売のお客さんだったんです」

――えぇ、そんなつながりから竿本選手は三郷ジムの2階で寝泊まりする内弟子ファイターになったのですか。

「お父さんが息子さんに格闘技をやらせたいというのは知っていたのですが、レスリングをあそこまでしっかりとやっているとは知らなかったです。アイツはインターハイ3位で、グレコ選手権で準優勝。高校のトップ・レスラーで、大学も特待生として入学できるだけの結果を残しています。でも22歳までレスリングに専念し、卒業してからMMAっていうのは遅いじゃないですか。5年はかかる、早くて3年だと思っています」

<この項、続く>

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