この星の格闘技を追いかける

【on this day in】10月30日──2005年

30 10 05【写真】左からリカルド・フロードフェルト、トニー・バックマン、マーティン・リングヴィスト。紫帯無差別級の表彰台(C)MMAPLANET

Scandinavian Open BJJ 2005
@スウェーデン・マルメ、ハレンホルムス・ハーレン
「自分達の世代──というか、1990年代初頭からの格闘技好きは史上稀に見る、いや類を見ない幸せ者だ。それ以降に格闘技に興味に持った世代や他のスポーツの愛好家が立ち会うことができない時を過ごすことができた。一つのスポーツ、競技の成り立ちに立ち会えるという幸運に巡り合えたのだから。僕の場合は記者として、まるでパラレルワールドのようにこの惑星のいろんな場所で、その特別な「これからだ!!」という空気に触れることができた。今から10年の今日、スウェーデンの南端、エール海峡の向こうにはデンマークの首都コペンハーゲンが控えるマルメの柔術会場にも、そんな空気が満ち溢れていた。300名ほどが出場したスカンジナビアBJJオープン、うち200人以上が白帯の部に参加し、茶や黒帯の出場選手はヨーロッパ在住ブラジリアンがほとんど。スカンジナビアの精鋭、トップは紫帯だった。こんな時代が日本にもあったと頷く柔術関係者がいるに違いない。ちなみにこの年にパラエストラ主宰で行われたカンペオナート・ジャポネーゼ・ジ・ジウジツ・アベウトの参加者は960名。紫帯だけで160人を超えていた。出場選手300人の時代の紫帯が、その地域、国の柔術を担っていく。何より300人から1000人、こういう時期にその場に居た柔術家達は、1000人移行にはない高揚感を一人一人が抱いていたように思う。上の写真は紫帯無差別級の表彰台。中央に立つフィンランド人柔術家のトニー・バックマンとはヨーロピアン、パンナム、ムンジアル、そしてアジアチコで顔を合わせたことがある。消防士をしながら柔術の稽古に励んでいた。なぜ僕が各大会にいるのかを不思議がっていた彼に、生業を説明したら「日本は柔術の記事を書いて生活できるんだ。凄いね」と目をパチクリとさせていた。バックマンは今、黒帯になり自らのアカデミーを持っているようだ。SNSで連絡が取れる世の中になった。でも、どこかの柔術会場でばったり会う、そんな再会を期する方が僕らには相応しいと思う」

on this day in──記者生活20年を終えた当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。

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