この星の格闘技を追いかける

【a DECADE 03】10年ひと昔、2003年4月5日Lithuania Bushido

2013.04.05

Lithuania Bushido

【写真】これぞ当時のLithuania Bushidoを象徴するシーン。今成の三角絞めを持ち上げたペトライティスが、そのままコーナーのレミーガにタッチを求める。

MMAPLANET執筆陣の高島学が、デジカメにカメラを変更し取材するようになってから10年が過ぎた。そこでMMAPLANETでは、10年周期ということで高島が実際に足を運んだ大会を振り返るコラムを掲載することとなった。a DECADE、第3 回は、10年前の4月5日。リトアニアはヴィリニュスで行われたリトアニアBUSHIDO「ADRENALINAS」を振り返りたい。
Text & Photo by Manabu Takashima

リトアニアというバルト三国の一番南にある国を訪れようなど、それまで一切、頭を過ることはなかった。2002年11月に旗揚げ興業を行なったZSTで、ミンダウガス・ローリネイティス、レミギウス・モリカビュチス、ミンダウガス・スタンコスという3人のファイターを見るまでは。ZST以前にも本家RINGS終盤にエギリウス・ヴァラビューチェスというファイターが来日を果たしていたが、当時も今も僕は日本人ファイターの活躍が、それほど見込めない重量級のファイターを見て、食指が動くことは滅多にない。

その分、日本人階級といって良い70キロ以下のファイターへの興味は尽きることがない。レベル云々ではない、軽量級のファイターに活躍の余地が与えられる国に足を伸ばしてみたい。MMAが世界に広まる以前だからこそ、持つことができた欲望だ。ZST3月大会を前に有名格闘技ビデオ会社=Q社のK社長を介して、リトアニアを訪問したいという意思を、現地のプロモーターでZSTに選手を送るドナタス・シマナイティスに伝えさせてもらった。

ちなみにK社長は、ヴォルク・ハンがロシアで出した自伝に写真つきで感謝の言葉を残している――日本とロシア格闘技界の隠れた架け橋だ。表だって人前に出ることはないが、K社長がいなければRINGSロシアという組織も存在しなかったはず。そのRINGSロシアから、格闘技イベント開催の道を開いたドナタスにとって、K社長は恩人中の恩人といえる人でもあった。ドナタスが開く4月のイベントは、僕が思った以上に規模が大きなものであることが、訪問前に徐々に分かってきた。PRIDEでミノタウロを倒したばかりのエメリヤーエンコ・ヒョードルや、日本からも所英男、今成正和、矢野卓見、小谷直之も出場するということで、僕以外にも日本からメディアが訪れる大会となっていた。

これには正直なところ、少々ガッカリした。僕の記者としての信条は、日本の他のメディアが存在するなら、自分は必要ない――というもの。誰も行かないような土地やイベントに足を運ぶからこそ、自分のような記者に存在価値が生まれる。僕以外の2人の記者は、日本人チームと同じ日程でリトアニア入りしており、言ってみれば同行取材だ。当初、僕のリトアニア訪問に対してさほど興味を示さなかったK通信編集部からも、現地でヒョードルのインタビューができないかと――打診された。僕にとってはヒョードルも日本人ファイターも後付の取材対象であったが、ある意味、KOKルールで戦う最後の皇帝の姿をこの目で見ることができたのは、ラッキーだったと思う。

日本人チームは、アムステルダム経由8時間ほどのトランジットを経て、ヴィリニュスに到着していた。一方、僕はスカンジナビア航空を使い、トランジットのためにコペンハーゲンで一泊。ヴィリニュスへの飛行機は、東京~コペンハーゲン便よりも前にしかなく、どうしても宿泊が必要になる。この18時間の滞在時間を使って、エーレ海峡の海底に掘られた鉄道を利用し、対岸のスウェーデン・マルメにあるMMAアライアンスというジムを訪ねた。ここで、明日、アレクサンダー・グスタフソンの代役でゲガール・ムサシと対戦するイリル・ラティフィや兄アルベンと落ちあい、柔術の練習を見学した。

そんなマルメやコペンハーゲンを経たことで、初のヴィリニュス入りはややドラマチックなモノとなった。午前中まで目にしていた風景と、リトアニアのソレは同じ欧州でも明らかに違う。大げさでなく、劇的に違った。空港を出るとポツポツと見られた民家は、やはり旧ソ連を連想しないわけにはいかない灰色、くすんだ雰囲気を隠せない。旧市街地といえるヴィリニュスの古い石創りの街並みは例外として、郊外のアパート群も当然、ソ連色の強い共産主義を香りがするものだった。

今では随分と様子も違って来たそうだが、当時はまだ簡単に英語が通じる街ではなかった。ロシア語は当然として、それ以外の外国語だとポーランド語やドイツ語を話す人が多いように感じられた。お年寄りがドイツ語やポーランド語に堪能なのは、彼の国々とソ連がこの土地を奪い合っていた歴史を思わずにはいられない。

Donatas's car【写真】ドナタスの愛車にはSHOOTO、BUSHIDO、RINGSというステッカーが。日本で絶対に見ることができない相乗りだ。

空港まで迎えに来てくれたドナタス、日本でもらった名刺にはRINGSリトアニアという肩書が記されていたが、彼の新たなビジネスカードには、修斗リトアニア代表という肩書がしっかりとプリントされていた。そのドナタスのドライブで、日本チーム&取材陣と合流すると、すぐに軍の施設に連れて行かれ、軍服を着た兵士たちのサブミッション・レスリングの試合を見学することとなった。レスリングやサンボはできる――でもブラジリアン柔術のエッセンスは感じられない。それがソ連邦時代にボクシングや柔道、そしてサンボを修得したドナタスのMMA道、打撃と投げ&関節技の融合が、ブシドー・リトアニアのMMAだった。

Sub-wrestle in armyドナタスはブシドーと総称されるリトアニアの格闘技イベント、キックでもMMAでも、あるいはサブミッション・レスリングだろうが、その全てを牛耳っていた。1991年に独立を果たしばかりの若い国で、ロシア・ルートとリトアニア軍、そしてメディアを結びつけた彼こそ、バスケットボールに次ぐ新興スポーツの首領だったわけだ。一面の銀世界に覆われたヴィリニュス、スポルト・ロミで開催されたBushido RINGSであり、Bushido Shootoであり、Bushido MMAの大会には、ひな壇の席の一面を軍服姿の集団が占めており、その光景は1997年にロシアで取材をしたMMAイベントを思い起こさせた。

【写真】リトアニア軍施設内で見たサブミッションレスリングの試合。

Army第1試合は修斗ルール(非公式戦)で、パウンド有り。それ以外はKOKルール。ロープエスケープ有り、アンクルホールド、そしてヒールフックも反則で、パウンドもない戦いは今ではMMAには見えないかもしれない。それでも、いやだからこそMMA歴でいえば先輩に当たる日本勢と打撃を織り交ぜ、互角以上の展開をリトアニア勢は見せることができた。

【写真】列をなして軍人達が観客席に歩を進めていた。

Hido Tokoro【写真】まさかのロストポイント、判定負けを喫した所英男。大会後のフェアウェル・パーティでは主役の座を射止めていた。

所はアンタナス・ジャズビタスに不可解なパウンドの減点があったとはいえ、腕を通さない三角のような絞めでエスケープを喫し、ロストポイント(懐かしい響きだ)1-2で敗れた。小谷はミンダウガス・スミルノヴァスと延長ドロー。平気でショーツを掴むスミルノヴァスに注意が与えられることはなかった。

kotani vs Smirnovas【写真】パンチをブンブン振り回していたミンダウガス・スミルノヴァス。小谷と引き分け、面白いファイターに育つという期待もあったが……。

タッグマッチでレミギウスとエリカス・ペトライティスと対戦した今成と矢野のコンビは、MMAグローブを装着せずに掌底で戦った。打撃戦に付き合わない二人に場内の観客も、リトアニア勢のセコンドもヒートアップの度を増していく。矢野がレミーガがパウンドを放ったと抗議すると、今成の掌底が指を曲げて拳になっているとリトアニア陣営が猛烈にアピール。ここで、今成がセコンドに向かって中指を立ててしまった。その瞬間、セコンドはリングに上がって今成に猛ダッシュ、リトアニア勢と日本勢、主催者、そしてセキュリティの軍人さんでリングが占拠されてしまった。

騒然とする場内、とてもじゃないが観客席に背中を見せてリングに集中するようなことはできなかった。実際、セキュリティは僕の肩を踏んづけてリングに駆け上がっていったぐらいだ。そんな非常事態に陥りながら、タイムアップになると観客席からは大きな声援が両チームに送られる。いや、ホントに何だかんだと言ってもリトアニアは親日国家だということが分かった。大会はヒョードルが、母国のエースであるヴァラビーチェスを極めても大歓声が送られ、とにかくこの国の人は頑張った選手には国籍に関係なく声援を送ってくれることが理解できた。

大会の翌日、日本勢はみな、日本に帰って行った。一人リトアニアに残った僕は、ドナタスの運転でカウナスというこの国で2番目に大きな街を訪れ、レミーガが所属するティターナス・ジムを訪問。そこにはティターナス所属ファイターだけでなく、リトアニア中から集められた選手が合同トレーニングを行なっていた。30名近いファイターが立ち技から寝技のスパーリングを繰り返す、その姿は本当に明日の影響を掴むリトアニアMMA界の第一歩のように思うようになった。

Lithuania Bushido team【写真】カウナスのティターナスに集まったリトアニア・ブシドーの精鋭たち。

固くて、粗くて、強い――リトアニア勢。柔術の要素を取り入れ、技術そのものよりもメンタル、プリンシパルを注入できたとき、彼らはとんでもなく強くなる……と思われたが――。ドナタス帝国はあれから10年を経てなお、MMA内独立国家的な足跡をたどり、世界を舞台に戦うリトアニアのMMAファイターは、帝国を抜け出し英国、そして帝国のマネージメントを受けつつAKAでトレーニングを積んだマリウス・ザロムスキーぐらいしか見当たらない。僕はこの後も、3度、4度とパウンドを取り入れたリトアニア=ドナタス帝国のMMAに触れる機会を得ていくのだが、その度に素質は抜群、だけど何か足りないというクエスチョンマーク――まるでカウナスで食したトルコ人シェフの作った日本料理のように、何か釈然としない気持ちを持ち続けることになる。

■2003年4月5日Lithuania Bushido「ADRENALINAS」@ スポルト・ロミ、ヴィリニュス:リトアニア 試合結果

<RINGSルール/5分2R>
エメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア)
Def.2R2分13秒by キムラアームロック
エギリウス・ヴァラビューチェス(リトアニア)

<RIGSルール・タッグマッチ/5分2R>
矢野卓見&今成正和(日本)
Def.1R0分14秒by KO
レミギウス・モリカビュチス&エリカス・ペトライティス(リトアニア)

<RIGSルール・リトアニア選手権試合/5分2R>
ミンダウガス・クリカウスカス(リトアニア)
Def. ex-R by Judge
タデウサス・リロディンスキス(リトアニア)

<RIGSルール/5分2R>
小谷直之(日本)
draw.
ミンダウガス・スミルノヴァス

<修斗ルール/5分2R>
ケスタティス・スミルノヴァス(リトアニア)
Def.1R2分45秒by キムラアームロック
マリウス・ラグジンスキー(ポーランド)

<RINGSルール/5分2R>
アンタナス・ジャズビタス(リトアニア)
Def. lost point 2-1
所英男(日本)

<RINGS ルール/5分2R>
パベル・ドルコフ(ラトヴィア)
Def. extra round by Judge
ロカス・スタンプラウカス(リトアニア)

<修斗ルール/5分2R>
ペトラス・モリカビュチュス(リトアニア)
Def. Judge
ヴァルダス・ボチェビチュス(リトアニア)

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