【on this day in】5月28日──2009年
【写真】鏡仕様のクローゼットの扉に写る第1回UFCのポスターの前で、右ジャブでポーズを取るアート・デイビー。サウスポーだったのか…… (C)MMAPLANET
Art Davie in LA
@カリフォルニア州ロサンゼルス、ビバリーヒルズ
「ビバリーヒルズにある白亜の豪邸──ではなく、歴史を感じさせる高級アパートメントにアート・デイビーはオフィスを構えていた。ホリオン・グレイシーと共にUFCを開いた人物だが、MMA史=ZUFA史のような今、ホリオンはともかくとして、デイビーやSEG代表のボブ・メロウィッツの名前と顔が一致する人は本当に少なくなってしまっただろう。6年前の今日、UFC100を前にし、歴史の証人として彼の話を聞く機会を得た。するとUFC創世記の秘話が次々と聞かれた。ホリオンはグレイシー・イン・アクションを道場生向けに販売しようとしていたが、デイビーの薦めで一般への販売へ転換し12万ドルも儲けが出た。第1回大会にSEG代表のメロウィッツは会場に姿も見せず、資金も投入していなかった。ホリオンはブラジルのグレイシーチャレンジのようにワンマッチを行うつもりで、トーナメントという考えはなかった。メロウィッツは『日本のヤクザに誘拐されたエリオを息子たちが救援する』という映画を創ろうとしていたこと。第5回大会以降、デイビーとホリオンはそれぞれ100万ドルでSEGにUFCを売却した。しかし、3週間後にデイビーがSEGで雇われたことで、ホリオンはデイビーとホロウィッツに密約があったと疑い、激怒したなどなど──。その時、その場にいた人物ならでは数々の話題の裏には、彼の『UFCを創ったのはホリオンでもSEGでもない、自分だ』と自己主張が伝わってきた。当時、彼が関わっていたXARMが成功していれば、その主張も受け入れやすいモノになっていただろう。XARM? 知らない?? エクストリーム・アームレスリングは腕相撲をしている2人の体を台に固定し、殴り&蹴り有りから腕十字などサブミッションもOKという斬新すぎる戦い……、でした」
on this day in──記者生活20年を終えた当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。