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“最後のIFLウェルター級王者”ジェイ・ヒエロン インタビュー

2008.07.26

8878bff1.jpg2008年7月31日をもって、2年3ヶ月の活動に終止符を打ったIFL。チーム対抗戦に加え、4分×3R、エルボー禁止などの独自ルールを採用し、北米MMAワールドで良質な大会を提供してきた同プロモーション、その最後のウェルター級王者となったジェイ・ヒエロンに話を聞いた――。

【写真】IFL世界ウェルター級王者ジェイ・ヒエロン。エクストリーム・クートゥアー所属の実力者 (C) MMAPLANET

「とにかく強い奴と戦いたい」
Interview by Manabu Takashima

――ヒエロン選手がMMAを始めたのは、いつのことですか。

「俺は14歳からレスリングを始め、ずっとレスリング一筋、ハイスクール、カレッジとレスリング一本槍の生活を送ってきた。カレッジを卒業後、何もせずにフラフラして、ちょっとした悪さから警察の厄介になるような生活に陥った時『こんなこと、していちゃダメだ。人生を変えないといけない』と思い、MMAの扉を開くことにした」

――なぜ、MMAだったのでしょうか。

「レスリングをやめた直後に、レスリング時代の同僚だったフィル・バローニが、『ジェイ、お前もやってみろよ。絶対、お前に合っているから』って勧めてくれたんだけど、その時は興味を持てなかった。でも、人生をやり直そうと思った時に彼の言葉を思い出したんだ」


――ニューヨークで、MMAの練習ができる環境は整っていたのですか。

「ベルモア・キックボクシング・アカデミーでまずは始めた。ホドリゴ・グレイシーが柔術の指導をしてくれた。最初はファイターになるつもりはなかった。とにかくグッドシェイプを維持して、頭をクリアにしようと思ってトレーニングを始めたんだ。

そのうち、どんどん本気になった。ニューヨークでは素晴らしいトレーナーには恵まれていたけど、練習相手がいなかった。UFCに出る機会にも恵まれ、そしてGSPに負けた。あの敗北後、もっとしっかりしたトレーニング環境が必要だと実感し、俺にMMAを勧めたフィルが、こっちに来ていたので、俺もラスベガスに移ってきたんだ。

最初はマーク・レイモンのコブラカイでグラップリングの練習をし、打撃はフィルがトレーニングしていたワンキック・ニック・ジムでやっていた。その後、ランディに一緒にやろうと誘われて以来、ずっと素晴らしいトレーニングバートナーと共に練習できている。

UFCではジョナサン・グーレーと戦い、カットで負けてしまい。それ以降、チャンスがない。だけども素晴らしいチームメイトに囲まれて、俺はIFLの王者になれたんだ。その機会を与えてくれた、IFLに感謝している」

――IFLは活動の継続について、不透明な部分が多いですが不安はないですか。

「IFLが活動停止するかどうか、俺には分からない。IFLが終われば、他で戦うしかないけど、今、その決定が下されていなければ、何をいってもしょうがない。

IFLは1Rが4分だったり、エキサイティングにしようという試みは買えたし、俺はエルボーがあったほうが戦いやすけど、使わない戦いを経験したことで、より強くなれた。ガードからの攻撃が上手くなったからね。IFCやWECで相手をカットしてきたし、今後、エルボーを使う機会があれば、その威力は見せたいとは思っている」

――IFLでは世界王者になりましたが、またキャリアの再構築が必要かもしれません。

「IFL世界王座を獲得したときもアンダードッグだったから、全く問題ない。プレッシャーがあるほうが、よりハングルーになって良い試合になる。特にモヒガンサンやニュージャージーという地元に近い会場での試合は、緊張もしたけど本当に燃えたよ。

こんな俺をずっと支えてくれた母の前でIFL王座につけたことは本当に嬉しかった。彼女は俺を信じ続けてくれた。父はタイトル戦の前に亡くなったけど、父に勝利を捧げるために戦い、そして王者になれたことは最高の思い出だよ。

俺は実の親を知らない。2ヶ月で両親が俺を引き取り、育ててくれた。俺は母のことを想えば、どんなハードトレーニングもこなせる。そして、ハードトレーニングが勝利を導いてくれる。必死に練習して、楽勝するのがベストだよ。エクストリーム・クートゥアーでは、切磋琢磨してネクストレベルへ皆が突き進んでいるんだ」

――プロモーションの枠を取り外したところで、次の試合は誰と戦ってみたいですか。

「ポカをして負けてしまったブラッド・ブラックバーンにリベンジしたいと気持ちもあるけど、とにかく強い奴と戦いたい。自分がベストであるために、トレーニングを続けていく。以前はUFCで戦えなければ、ファイターとして将来は閉ざされていたけど、今は違う。

そういえば、マイク・パイルの試合でセンゴクにも行ったけど、素晴らしい受け入れ態勢で驚いた。日本で戦うことも、僕のなかでアナザー・オプションとして浮かび上がってきたよ。なんせ、空港まで迎えに来てくれるプロモーションなんて初めてだったんだ。IFLか他になるのか、日本なのか、次の戦いがどこで行われるのか、俺自身が分かっていないけど、とにかく自分の存在価値を理解してもらえるような試合をしたいと思っている」

■ジェイ・ヒエロン
1976年7月29日 ニューヨークのブルックリン出身。ラスベガス在住。MMA戦績19戦15勝4敗。IFL世界ウェルター級王者。

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