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【Nagoya Fight Fes】坪井淳浩GSB代表に訊く中部MMAの現在「長い間、通常運転を続けてきた」

【写真】イベント当日は主催者、セコンドと大忙しの坪井代表(C)TAKESHI SATO

8日(日)、愛知県名古屋市中区の若宮大通公園若宮広場で野外格闘技イベント「Nagoya Fight Fes.19」が開催される。
Text by Shojiro Kameike

この大会で開催される種目は多岐にわたる。ストライキングチャレンジ(アマチュアキックボクシング)、アマチュアDEEP(MMA)、MMA甲子園ワンマッチ、アマチュアシュートボクシング、そしてジュニアの試合まで――まさに名古屋におけるアマチュア格闘技の祭典だ。Nagoya Fight Fesの主催者である坪井淳浩氏は、SBとMMAで戦いながら自身のジム「グラップリング・シュートボクサーズ」を運営し、さらに大会開催にも携わってきた。2011年の現役引退後も裏方として活躍する坪井氏に、中部格闘技界の現在と今後について訊いた。


――現在、坪井さんが中部の格闘技界で担っている役割は多いです。プロ&アマを含めたDEEP、シュートボクシング、そしてMMA甲子園と……。

「あとは韓国キックボクシングのMAX FCですか」

――体は大丈夫ですか。MMA甲子園の設立記者会見の時、明らかに疲れ果てた様子で会場入りしていました。

「アハハハ! あの時が一番疲れていましたね」

――そのうち、どれか一つを誰かに任せるわけにはいかないのでしょうか。


リングを使用した勝川大会とケージの刈谷大会(C)TAKESHI SATO

「もともと全て他の人に任せているものであったり、皆と連携しているものですよ。僕が独り占めしているわけではなく、たまたま今は僕が上の立場で動かないといけない状況にあって」

――今は坪井さんが統括して、そこにスタッフや協力してくれる方々がいると。

「そうですね。一緒に協力しているのは今、ネックススポーツ(梅村寛代表)とスプラッシュ(木部亮代表)、新しくファイトサイエンス(野田カズヤ代表)が出来たりとか。いろんな方たちが手伝ってくれて回すことができている状態です」

――なるほど。坪井さんが現役時代を含めて格闘技界に携わって何年が経ちますか。

「もう30年ぐらい経ちました。現役を引退したのが2011年で、そこからは完全に裏方としてやってきています」

――その30年間で、中部の格闘技界はどのように変化してきたのでしょうか。

「まず競技人口が増えましたよね。もともと僕が裏方もやるようになった目的だし、その点は良かったです。最近は少し飽和状態といえるぐらい、ジムも急激に増えました。僕と同じ世代の人たちが現役を続けながらジムを開いて、今は僕たちの次の次ぐらいの世代がジムをやっていますから。それはMMA、キックボクシングを問わず。もうすぐ、その次の世代が入ってくるでしょう」

――それだけジムも競技人口も増え、これまで愛知県内で数多くのMMAイベントが行われてきました。そのなかでDEEP NAGOYAが定着し、愛知県内で定期的にイベントを開催し続けることができているのか。その理由を知りたいと思っています。

「一番は愛知県内だけでなく東海地区の皆さんが協力してくれること。まぁ定着というか……DEEP NAGOYAはもともとネックスの梅村さんが主催していて、僕のシュートボクシング中部大会と提携して一緒にやっていたんですよね。でも梅村さんが体調を崩して興行から離れることになり、開催を止めないために僕が引き継いだという形で。重要なのは、どれだけ長い間、通常運転を続けてきたかということだと思うんです」

――通常運転からDEEPやシュートボクシングの冠を外し、自身で独立した大会を開催しようとは考えませんでしたか。

坪井氏はシュートボクシング協会中部事務局も担っている(C)TAKESHI SATO

「ないです。それが一番大事なところなんですよ。DEEPがどう、SBがどうということではなく、まずコンセプトが何なのか。僕はストライキングチャレンジやアマチュアDEEPをはじめ、底辺拡大をコンセプトにやってきました。この点は何も変わっていなくて。底辺拡大をしつつ、育った選手のために次のステージを用意したい。

興行を開催します、というと最初は皆の協力を得ます。でも自分のジムの選手が増えて、そこからチャンピオンが出ると、たとえばマッチメイクの片側が全て自分のジムの選手にすることもできる。これは格闘技の興行あるあるですよね。ただ、自分のジムの選手は増える時もあれば減る時もあるから、いずれ衰退してきます。僕は最初から自分のジムの選手だけで大会をやるつもりはなくて」

――はい。

「まず底辺拡大のために、アマチュア大会を始める前に月2回、格闘技練習会を開いていました。打撃のスパーリングを3時間ぐらい。まだストライキングチャレンジを始める前ですね。『どのジムから参加してもOKで、ぜひ声をかけてください』と。ストチャレを行うことで、さらに練習会の参加者も増えていきました。同じように他の地域でも開催するようになって――基本的に『自分だけ潤えば良い』という考えはないです。

これはね、お金じゃないんです。もちろんお金は残さなきゃいけないけど、お金だけの話ではない。練習会、アマチュア大会を開催して、選手が増えてきたらプロ興行に出られるよう声を掛けていきます。どのジムであろうと一生懸命、頑張っている選手が東京や大阪のDEEP、SBの大会にも出られるよう協力する。これって格闘技の底辺を拡大していくために、当たり前のことだと思うんですよ」

自分たちは何のために始めたのか――常に自分に対して問い正していかないといけない

――坪井さんの中でプロモーターとしての自分と、ジム運営から選手を育てていく自分との間にビシッと線引きはできているのですか。

「仕事としては完全に分けていますよ。でも中部の格闘技界で底辺を広げ、選手を育てていくコンセプトとしては、どちらも変わらないんです。

たとえばプロモーターとして、愛知県をはじめ中部の選手を中心に興行を開催する。その相手を探して、他のエリアのジムにお願いすることはあります。でも、チケットが売れるからという理由で他のエリアの選手を中心に試合を組むことはない。チケットが売れさえすれば良い、という話ではないですから。

このコンセプトが崩れないかぎり、僕は今のまま続けることができる。コンセプトが崩れるようになったら、僕はやらないです。それじゃ意味がないんですよ」

――だとすれば、坪井さんが開催しているDEEP NAGOYAは、東京や大阪、浜松などで開催されているDEEPとも違うものですか。

「違います。でもDEEPに還元できるよう選手を育てていく、というコンセプトで開催しています。立ち技に関しても、ウチの興行でどんなルールの試合をしようと、必ずSBに還元できるように話を進めていますね」

――もう一つ、MMA甲子園が設立された時、坪井さんが真っ先にNagoya Fight Fesでプレマッチ開催を決めました。

初のMMA甲子園プレマッチはNagoya Fight Fesで行われた(C)MMA KOUSHIEN

「MMA甲子園というコンテンツが、ゆくゆく伸びているだろうと思いました。そのあとRIZINがRIZIN甲子園を発表したじゃないですか。でも高校生の大会について、MMA甲子園とRIZIN甲子園が出場者を取り合うとは考えていないので。それこそRIZINが高校生の大会をやってくれれば、このジャンルにもっと注目が集まる。我々もMMA甲子園を続けていくことで、中部に選手が集まってくるはずですし。

このMMA甲子園の中部地区についても、別に僕がやらなければいけないことはない。今アマチュアDEEPを担当してもらっている木部君に、そのまま引き継いでもらってもいいです。まず形が出来ていれば、他の誰かが引き継ぐことができる。MMA甲子園については早く形をつくるために、プレマッチをやらせてもらいました」

――Nagoya Fight Fesは、どのような経緯で始まったのでしょうか。

「まず僕たちはずっと大会会場を探しているんですよ。もともとは公武堂MACSのリングで大会を行っていたけれど、参加者も増えて会場に入りきらなくなった。で、『これを屋外で開催したら、どうなるだろう?』と思って場所(若宮広場)を抑えたんですよね」

――若宮広場は高速道路の高架下にあります。こちらはどこの管轄になるのですか。

「名古屋市です。毎年必ず抽選で抑えています」

――最初に申請する時、格闘技イベントを開催することで何か懸念はありませんでしたか。

「何もないですよ。別にコンテンツは何でも良くて、大切なのはその場所を正しく使うこと。近隣に迷惑をかけず、大会が終わったらキチンと清掃する。そうしていけば、ずっと続けることができますし、何よりも続けることが大事ですから。そのためには大会を開催するためのプランニングも重要で」

――先ほど独立した大会を……という点について訊きましたが、多くの場合は続けることよりも大きくすることを優先しますよね。

「結局、理想が先に走ってしまうことが多いじゃないですか。たとえば自分のジムにチャンピオンが生まれたから、大きな会場で大会を開催する。それは一度ぐらいならできます。でも僕たちがやってきたことは違いますから。自分たちは何のために始めたのか――どれだけ盛り上がっても、常に自分に対して問い正していかないといけない。周りに何を言われようとも、それは変えませんよ」

結局、自分はオタクなんだと思いますよ

――坪井さんの中で「今後こうしていきたい」といった目標はありますか。

アマチュアDEEP大会は公武堂ファイトから始まった(C)TAKESHI SATO

「アマチュアについては、また新しいプランを立てていることがあります。今のところは企業秘密ですけど(笑)。どれくらいの年月が掛かるか分からないですけど、ハマれば大きなものになると思うので」

――そう考えると、アマチュアDEEPは名古屋発信のものでしたよね。

「いろいろやってきましたね。グラップリングツアーとか」

――グラップリングツアー! 年間を通して優勝者と優勝アカデミーを決める、当時としては斬新な大会でした。

「あれはグラップリングツアーの前に、柔術の団体戦を開催していて。あれは梅村さんが全てやっていましたけど、早すぎました(苦笑)」

――柔術団体戦、ストライキングチャレンジ、アマチュアDEEP、グラップリングツアー、そしてMMA甲子園と、坪井さんが携わってきたことは今のNagoya Fight Fesに詰まっています。ちなみに野外イベントですが、雨が降った時はどうするのですか。

青空イベントのNagoya Fight Fes。会場の目の前に格闘技ショップ公武堂、その先には日本最大の商店街「大須商店街」がある(C)TAKESHI SATO

「屋根(高架)があるので、それほど激しい雨風でなければ大丈夫です。まぁ我々の念が強いのか日頃の良いのか、そんな天候に見舞われたことはないですね。たぶん僕以外のスタッフの徳が高いのだとは思います」

――アハハハ。

「今はこのNagoya Fight Fesが年4回、プロは勝川で年3回と刈谷で年1回——今は来年のスケジュールをどうしようか考えているところですね。結局、自分はオタクなんだと思いますよ。格闘技の仕事オタク、かな」

――格闘技の仕事オタク!

「先日の大会(8月26日、DEEP Nagoya Impact#03&04)でいえば、まず空手出身の寺崎昇龍は強かったですよね。北陸の選手だけど、刈谷市の大会でも応援団が多く来ていて。負けた脇田仁も強い選手ですから。第3部のメインで勝った畠山祐輔も強かった。

大野さん(マユミ・グラップリングシュートボクサーズ)もそうですけど、『この選手がどうやったら成長し、輝いていくかな』とマッチメイクなどを考えるのが凄く楽しいです。別にウチで育ったあと、どこで試合をしてくれても構わないですしね。大切なのは自分のコンセプトを変えないし、曲げないことですよ」

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