【OCTAGONAL EYES】リアル・アメリカン・ヒーロー
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※本コラムは「UFC日本語公式モバイルサイト」で隔週連載中『OCTAGONAL EYES 八角形の視線』2009年6月掲載号に加筆・修正を加えてお届けしております
文・写真=高島学
リアル・アメリカン・ヒーローなんて、異名をつけたことがありました。
1997年1月にブラジルのサンパウロで行われたワールド・バーリトゥード・チャンピオンシップという大会でMMAデビューを果たした彼は、8人制ワンナイトトーナメントでUFCベテランのポール・ヴァレランス、カポエイラ界のバーリトゥードファイター=メストレ・フッキ、そしてブラジリアン柔術界の強豪ファービオ・グージェウを破り、すぐに注目のファイターとして専門誌等に取り扱われるようになりました。
マッチョボディと米国レスリング界で活躍した身体能力、甘いマスクにもっと甘い笑顔の持ち主、それがマーク・ケアーというファイターでした。
デビュー戦で、ファービオ・グージェウを破った事実、今では考えらない事態ですが、柔術家がMMAで敗れることが信じられなかった時代――、ケアーは柔術の巨匠を破ることで、すぐに注目を浴びるようになったのです。その一方で彼のベースがレスリングにある――という点についても、業界関係者から熱視線を集めることとなりました。
ホイス・グレイシーなきあとのUFCも、またそんなケアーに最大の注意を払っていました。
柔術家でない、アメリカン・レスラーの台頭、ベビーフェイスが必要な状況下、大きくて力持ち、そしてソフトなイメージを持つケアーは、イベントの軸をなくしたUFCにとって喉から手が出るほど欲しい存在だったのです。
この年の7月にUFCデビューを果たしたケアーですが、私はその1カ月ほど前にマーク・コールマンの紹介で、彼を地元のアリゾナ州フェニックスに訪ね、取材を行ったことがあります。
彼と会う前日に宿泊したモーテルに、ピックアップ・トラックで現れたケアーは、その独特の優しい口調で、私を自宅に招き、宿泊まで勧めてくれたものです。
彼の自宅に向かう途中に、ガールフレンドと合流し、イタリアンで昼食を済ませました。おススメのエンジェルヘアーという細いパスタが、パスタというよりも、ソーメンのように感じたことが、今も思い出されます。
モデルのような美しいガールフレンドと、たった3試合しか経験していないのに、手に入れたプール付きの一軒家。彼女がキティと呼んでいたペルシャ猫、セレブなんて言葉もなかった12年も昔の話ですが、彼の未来は前途洋々たるものだと、記者生活3年目の私は思ったものです。
リビングでお茶をごちそうになり、「この部屋を使ってね。クローゼットに服をしまえばいいからさ」というケアーの言葉に甘え、ベッドルームへ向かい、クローゼットの引き出しを開けたときに、それを見てしまったのです。
未使用、使用済み、入り混ざった注射器と、何やら液体とタブレットの薬品が、乱雑に棚のなかにまき散らされていました。
「見なかったことにしよう」。あの肉体を見れば、そういう疑問を抱くのは普通のことですが、薬に対する知識のない私には、これらの薬物が何で、どういう作用を体内に起こすのが、断定も論じることもできません。加えていうなら、注射器は他の使用目的があったかもしれない。
しかし、その筋肉量と反比例するような薄い髪の毛に、突きでているアゴのライン――、ステロイド使用を疑うには十分すぎる、薬と注射器ではありました。
【写真】ウェイト・トレーニングに精を出すケアーでしたが、スタミナは驚くほどなくコンディションはすぐに崩れてしまった……
UFC二大会で活躍したのち、ホイス戦の実現を目指し、PRIDEへ戦場を移したケアー。とにかく人気者になりたいという願望が強かった霊長類最強の男は、日本でさらなる成功を収めるように思えたのですが、勝利の女神が彼にそっぽを向くのにそれほど時間は掛りませんでした。
異様に早くスタミナを切らし、ピタリとも動かなくなるという欠点、そして頭突きなど彼が得意とした攻撃が、原始的なバーリトゥードから、MMAへと成長を遂げるなか使用禁止となったことで、表舞台から姿を消していきました。
その後、薬物使用を告白し、ドキュメンタリーの主人公として名を馳せたケアー。全くもって、とんだアメリカンヒーローでしたが、リアルな部分で、米国のスポーツ、そして若者の文化を誰よりも表現していたファイターだったかもしれません。