【Special】Fight & Life#82で引退インタビュー、朴光哲。誌面からこぼれた──あの大乱闘劇を振り返る
【写真】穏やかな微笑みを浮かべ、世にも恐ろしい乱闘劇を語ってくれた (C)MMAPLANET
11月21日、RIZIN.25で白川DARK陸斗にサッカーボールキックでTKO負けをし、現役引退を決意した朴光哲。
2001年11月26日にプロ修斗でデビューしてから、まる19年のMMAファイター人生は競技MMA、TV MMA、北米志向のMMA、そしてアジアンMMAと背景、成り立ち、目指すところが違う多種多様のMMAを経験してきた。
そんな朴光学がキャリアを振り返るインタビューが、12月23日(水)発売のFight&Life#82に掲載されている。
ここでは誌面で掲載しきれなかった──プロデビューから10カ月、今や伝説となった横浜文化体育館で開催されたプロ修斗公式戦、山本KID徳郁✖勝田哲夫戦の大乱闘劇を振り替えてもらった。
J-MMA史上、最恐&最大のガチ乱闘劇の一面を朴光哲目線で覗かせてもらおう。
──2002年9月、横浜文体大会でK’z Factory勢とピュアブレッド勢の大乱闘がありました。
「アレはガチでしたからね(笑)。やっぱし、よくある茶番じゃない(笑)。あの時、俺は勝田のセコンドやっていたんです。で、郁さんがストップが掛かっても殴り続けて。まずルミナさんが止めに入り。で、菊池(昭)君が続いて」
──あの時、J-Sportsのライブ中継中で、私も実況解説を直付けでやっていたんです。で、カメラが引きの画面になり、試合の終盤を流し直すというような状況になっていて、唖然としてしまいましたね。その時、カンチョルはどうしていたのですか。私の記憶ではエンセンに菊池君がリング下に突き落とされたという印象があって、エンセン暴れてんなぁと。
「それ、俺ッスよ。俺は止めにでるのが遅れて、リングに上がったらエンセンさんに突き落とされて……。2、3メートル跳んで、ケツから下に落ちて。未だに左のケツが座骨神経痛なんですよ(苦笑)。アレ、頭から落ちていたら俺のキャリアはなかったスよ」
──まさにあっという間の出来事でした。
「あの時はまずは勝田の安全確保で。菊池君は冷静っていうか、頭が良いというか。菊池君と巽宇宙さんが勝田の安全確保に行って。ルミナさんは郁さんを止めに行っていましたね。そうしたら、郁さんの応援団が流れ込んで来て」
──ではピュアブレッド大宮というよりも、KID選手の取り巻きがなだれ込んできたということだったのですね。
「きっと、『アッ、これ今、暴れてイィんだ』という号令と勘違いしたんでしょうね(笑)」
──今やセキュリティ会社代表のISEこと、伊勢野寿一さんも本領発揮していましたよね。
「あの時は分かっていなかったんですけど、あとからビデオを見たら俺がエンセンさんに突き飛ばされてケツから落ちた時、伊勢野が来て踏んづけられていたんです(笑)」
──アハハハハ。笑いごとではないのですが……。
「しかも、俺のアマ修斗のデビュー戦の相手が伊勢野で。修斗のフレッシュマン・トーナメントで戦って判定負けしてんスよ。『朴、優勝するだろう』ってK’zで言われているなかで、1回戦で伊勢野に負けて。それでも、試合をしたモン同士の友情って芽生えるじゃないですか?」
──そんなマンガみたいなことあるのですか!!
「あるんスよ(笑)」
──死線を彷徨う様な締め切りを乗り切った編集者と友情が芽生えるようなものですね(笑)。
「それ、それ、それ。それッスよ。試合が終わって、『おお、お疲れ。ありがと』みたいな。それから挨拶とかするようになって、仲良くなったはずなのに……一番最初に俺のところに来て、フットスタンプですからね。未だに忘れられないッスよ(笑)」
──アハハハハ。
「俺、もう悔しくてたまらなくて。あれは5、6人にリンチですからね。痛いとかじゃなくて、勝田は試合に負けて落ち込んでいるし。控室に戻る時、俺は人目をはばかることなく泣いちゃってましたからね。悔しくて、悔しくて。
まぁ今となっちゃ笑い話。伊勢野がやっている五反田のKIZUNA BASEジムも練習で使わせてもらってるぐらいだし(笑)」
──ということは、あの大乱闘劇はカンチョル的にはK’zの負けだったのですか。
「負けたっていうか、こっちはさすがに格闘技をやっているからケガをしている人間はいなかったです。で、ファンジン(孫煌進)が3、4人、鼻とか折っちゃっているんで(苦笑)」
──大活躍というか、大暴れでしたね。リングサイドで……(苦笑)。
「ブンブン丸でした。後は青学ッスかね。青学はアマチュアだったんですけど、両手を広げてK’zと相手を分けていて。今は出世しちゃって社長になっていますよ(笑)。でも、ホントにアレはガチだったから」
──その後も乱闘撃っぽいことをリング上でやっているのを見ると……『イイから、そういうの。俺らホンマモンを見たから』といつも白けていました(笑)。アレを見せられると、もう柔術✖ルタリーブリの大乱闘ぐらいにしか、怖くないです。
「でもガチだったからこそ、悔しくて。理不尽で……。で、後日、ルミナさんが相手側と話し合って調停してくれたんですよね。あの頃は、ルミナさんもギラついていましたね(笑)。しっかりと収めて、手打ちにしてくれましたよ。まぁ、俺的には乱闘劇のMVPはファンジンで、乱闘後のMVPはルミナさんですね」
──そしてカンチョルは、その後はK’zを離れてKID選手のKILLER BEEに合流したと。
「あんな乱闘をして、数カ月後には出稽古に行っていました(笑)。遊んでいる先が同じで。渋谷で郁さんにあった時に、一番ムチャクチャだった頃なのに真っ先に『あの時は悪かったね』って言ってくれて。それで話していると『出稽古、来なよ』という風に誘ってくれたんですよね。
で、俺に足らないのはレスリングだと分かって第2章が始まったんです。最初の練習で郁さんにボッコボコにされて、2R目をお願いしたら『おっ、やるね。練習終わったら、飲みに行く?』って──仲間入りです」
※その後、HERO’S、ケージフォースからONE、そしてRIZINと続いた朴光哲のキャリア、さらにはこれからの格闘家人生については12月23日発売のFight & Life vol.82に掲載されているので、ご拝読お願いします。