【a DECADE 09】10年ひと昔、2003年7月23日 K-Nock
【写真】KOされてから、かなり時間が経って体を起こしたグラジアドール。最初は首にコルセットが巻かれたが、それが取られ酸素吸入が行われるなど、ドタバタが見られた。
MMAPLANET執筆陣の高島学が、デジカメにカメラを変更し取材するようになってから10年が過ぎた。そこでMMAPLANETでは、10年周期ということで高島が実際に足を運んだ大会を振り返るコラムを掲載することとなった。a DECADE、第9回は、10年前の7月23日。ブラジルはリオデジャネイロのボタフォゴ、エブライカ体育館で行われたK-Nockを4日遅れで振り返りたい。
Text & Photo by Manabu Takashima
K-Nockというイベントがリオで開かれたのは、コパドムンドとムンジアルというブラジリアン柔術世界大会が開催される週末の合間。当時、ブラジルではこの手の戦いは、MMAという名称よりもポルトガル語で何でも有りを意味するバーリトゥードという言葉の方が、通りが良かった。ただし、バーリトゥードには常に暴力的なイメージが付きまとい、90年代終盤まで見られた柔術家とルタリーブリ勢のストリートファイトなどは、柔術界にも多大な悪影響を及ぼし、柔術家=ギャングというイメージで見られるようなこともあった。
そんなリオでは1997年9月にペンタゴン・コンバッチという大々的なバーリトゥードが行われ、メインでヘンゾ・グレイシーとエウジェニオ・タデウが戦った際、柔術家とルタドールの大規模な乱闘劇に繋がり、警察が介入するという事件に発展した。イベントはメインの途中で取りやめとなり、リオデジャネイロでは以来、5年10ヵ月に渡りバーリトゥードの開催が実現しなかった。
そんな状況で、MMAを名乗り、あくまでもバーリトゥードのような暴力的なイメージを払拭するために、寝技30秒制限というブラジルでは考えられないルールを採用し、K-Nockは新しいスポーツとして開かれることとなった。同大会を主催したアルトゥル・マリアーノは、ブラジル・ムエタイ&ルタリーブリ界の名門アカデミア・ボクセタイで、今は亡きルイス・アウベスに師事していた元ファイターで、当時はサウロ・ヒベイロとともにチャンピオンズ・ファクトリーというアカデミーを運営していた。
【写真】ジョニー・エドゥアウドは後ろ回し蹴りから、組みつくなど独特のリズムを持つ選手。試合展開としては、既にテイクダウン→立ちの攻防が始まっていた米国と違い、ガードワークを取る選手がまだまだ多かった。
前半戦はキック5試合、ただでさえ夜の10時という遅いスタート時間は、ラテンの極みブラジルのイベントらしく、2時間近く遅れ、MMAが始まったのはもう日付が変わろうかという時間だった。MMAオープニングファイトに出場したのは、現在もUFCバンタム級戦線で1勝1敗の戦績を残すジョニー・エドゥアウド。マルセーロ・コブラに判定勝ちを収めている。続く第2試合で勝利したアンジェロ・セウジオらは、アカデミア・ボクセタイ所属選手で、マリアーノの弟弟子でもあった。
【写真】フォンチュネリはロープを掴んでパウンドを落す。レフェリーを務めていたホウケウ・グレイシーはそのまま流していた。
第4試合の勝者、「試合前夜にはSEXをする」と豪語していた性豪、いや強豪クラウジノール・フォンチュネリと同様に、メイン出場のエヴァンゲリスタ・サイボーグはアカデミア・ブドーカンから移籍し、チャンピオンズ・ファクトリー所属ファイターだった。他の出場ファイターはフアスVTから2人と、バックボーンはムエタイ&ルタリーブリ勢が多くを占めていたK-Nock。柔術サイドからはパウロ・ボイコ、そしてアロウド・ビクトリアーノ・キャベリーニョというBTTのファイターがリングに上がっていた。
【写真】何かあれば、これだけの関係者が乱闘直前になる。これがブラジルのバーリトゥードだ……。
バーリトゥードではなくMMAという新しいコンバットスポーツとしてリオに上陸を果たしたK-Nockだが、相変わらずセコンド勢はコーナーに陣取ることなく、ファイターの移動に合わせてリング下を民族大移動――何のことはないバーリトゥード時代と変わらない光景が見られた。極めつけはセミのビクトリアーノ×ホドリゴ・フアス戦、いうならば柔術×ルタリーブリの対抗戦は、両者が絡み合ってロープの間から転落すると早速、両陣営がもみ合いを始めてしまい、結果はノーコンテストに終わっている。
【写真】ショーマンシップでもなんでもなく、この表情に。スポーツとして敗北を想定するMMAではなく、バーリトゥードの敗北はファイターの人格を否定し、アカデミーの看板を傷つけるという背景が、存在していた。
エヴァンゲリスタ・サイボーグ×ガブリエル・グラジアドール。メインのサントス対戦は、ヒザ蹴りでダウンを奪ったサイボーグが、思い切り左右の蹴りをグラジアドールに見舞い、171秒でサイボーグのKO勝ちとなった。ただ、勝負を決めた蹴りは、グラジアドールが四点ポジションの状態にあるなか、サイボーグは蹴りの動作に入っていた。グラジアドールといえば、反射的に顔面を守りにいったが、間に合わず後頭部へ右の蹴りに続き、顔面に左の回し蹴りを食らって完全に気を失ってしまった。
無防備な顔面を守るために、グラジエアドールはマットから手を放すしかなかったが、それゆえにグラウンド状態ではないという判断がなされ、サイボーグのKO勝ちが決まった。酸素吸入器があてがわれたグラジアドール陣営は、この蹴りを反則だと声高にアピールするも、とある大会関係者は「バーリトゥードなら、当然、あそこで蹴られてしまうから何も文句は言えない」と発言するなど、結局のところはお咎めなしに。MMAと名乗ることで、イメージチェンジに懸命だったK-Nockという『バーリトゥード』のイベントは、夜中の3時過ぎに撤収となったが、その後、第2回大会が開かれることはなかった。ライオンを猫と呼んでも、猫は猫。いくらMMAという言葉を使っても、当時の出場選手たちの戦いに挑むモラルが変わるわけもなかった――そんな10年前の復活MMAイベントだった。
■2003年7月23日K-Nock@ エブライカ体育館、リオデジャネイロ:ブラジル 試合結果
<5分3R>
エヴァンゲリスタ・サイボーグ(ブラジル)
Def.1R2分51 秒by KO
ガブリエル・グラジアドール(ブラジル)
<5分3R>
アロウド・ビクトリアーノ(ブラジル)
NC 1R2分40秒
ホドリゴ・フアス(ブラジル)
<5分3R>
クラウジノール・ファンチュネリ(ブラジル)
Def.1 R0分42秒by KO
アロイジオ・バロス(ブラジル)
<5分3R>
アンジェロ・セウジオ(ブラジル)
Def.3-0
ヒカルド・ペトルッシオ(ブラジル)
<5分3R>
ジョニー・エドゥアウド(ブラジル)
Def. 2R2分37秒by TKO
マルセーロ・コブラ(ブラジル)