【OCTAGONAL EYES】Ironman & Oyaji
【写真】1999年5月のUFCより、約2週間後。モーリス・スミスとの王座防衛戦のために母校オハイオ州立大のレスリング場でトレーニングするマーク・コールマン
※本コラムは「格闘技ESPN(旧UFC日本語モバイルサイト)」で隔週連載中『OCTAGONAL EYES 八角形の視線』2009年10月掲載号に加筆・修正を加えてお届けしております
文・写真=高島学
97年の5月29日に日本を出て、確か6月23日まで、家内と長めの海外旅行をしたことがあります。成田からアトランタへ、レンタカーを借りて途中で名前も知らない町のモーテルで一泊、翌朝オーガスタに着きました。その日の夜に、現地で行なわれたUFC13を観戦しました。
翌31日にアトランタへ戻り空路パリへ。6月1日、シャルルドゴール空港に迎えに来てくれた旧友の車でパリ北駅へドライブ。
僅か30分ほど、束の間の再会に目を丸めている友人の子供たちと別れを告げ、欧州超特急タリスでアムステルダムに向かいました。アムスに到着したらしたで、格闘技通信のオランダ通信員・遠藤文康さん宅に身を寄せその足で、スポーツホール・サウドで行なわれたWPKLを取材。
【写真】WPKLの大会で、カスタム・ダグを逆転で下したモハメッド・オワリ。もの凄くスリムだ
ATTの打撃コーチとして名を馳せるモハメッド・オワリやラモン・デッカーの試合の模様を、まだポジフィルムの一眼レフで撮っていました。
アムステルダムからパリと、4日ほど時折格闘技関係者に取材をしつつ、比較的ゆっくりと過ごした後、家内をパリの友人宅に預け、私はスイスのチューリッヒへ単独行動を取りました。
【写真】パリで取材をした一人。柔道フランス軍王者で散打も経験、道衣着用+パウンド無しのコンバッツリュブリの確立に燃えていたマルク・マリールィーズ
7日に行なわれた故アンディ・フグがメインのK-1スイスを訪れるためでした(同大会ではUFC2に出ていたオーランド・ウィットが日本の金泰泳選手と激戦を繰り広げています)。その後、夜行でパリへ戻り、家内と合流、再び空路・米国へ。
シアトルではAMCのマット・ヒュームとモーリス・スミス、フェニックスでマーク・ケアー、コロンバスでマーク・コールマン、そしてテキサス州アリゾナへ向かい、6月20日開催されたUSWF(ユニファイド・シュートレスリング・フェデレーション)という掌底ルールのイベントの取材をしました。
【写真】エリック・バルデスというローカルファイターを相手に51秒で勝利。この直後に新日本プロレスのリングに上がることが決まっていた彼は「UFCでヴィトー戦? 条件次第だね。プロレスのリングに上がることができるようになったんだから」と語っていた
先ごろ現役引退を発表したドン・フライが、日本でプロレスデビューを果たす直前に、彼の地で無名のファイターをリアネイキドチョークで破っています。
USWFの取材を最後に、日本に戻った次第です。2月に挙式を挙げた私自身は新婚旅行として、この旅のことを記憶に留めているのですが、家内は今も「お母さんたちは新婚旅行には行かなかったの」と、3人の娘に話しているようです。
私より英語に堪能な家内は旅行中、随時、取材をサポートしてくれました。内助の功は、最初の大会となったUFC13の打ち上げパーティーの席で、すぐに必要となりました。
同大会でエンセン井上の腕十字で敗れたロイス・アルジャー、彼をUFCに誘いセコンドを務めたマーク・コールマンのコメントと貰おうとしたのですが、コールマンはもの凄い勢いでビールを煽り、空き瓶すら手放すことがない状態でした。
早口のネイティブの英語が理解できない私にとって、呂律の回っていない彼の言葉は、まるっきり理解不能でした。
『ロイスは他のどんなファイターにもひけを取らない。彼を誇りに思っている。エンセンはロイスに勝っても、怪我をして次の試合に出られなかった。チャンピオンはここにいるんだ。適当なことを言っているんじゃない。私は思ったことをそのまま言っているだけなんだ』。適当なことではないが、酒に酔って思ったことをそのまま口にしているコールマン。
家内は「もう、同じことを4度も5度も言っているけど、訳さなくていいよね」と、耳打ちしてきました。
【写真】オハイオ州立大のレスリング場に飾られたいてカレッジレスラー時代のコールマンのポートレイト
コールマンは酩酊状態で、何度も同じことを繰り返し、アルジャーをかばい続けていました。社会性は疑われるかもしれないですが、その姿を実直な人柄として捉え、真っすぐな彼に惹かれた私のコールマンに対する感情は今も変わりません。
この夜、パーティー会場でMMAデビューを飾った一人のファイターとも、初めて言葉をかわしました。
1週間前にプエルトリコのサンファンで開かれたパンナム・レスリング大会で3位入賞を果たしたばかりの彼は、ブラジリアン柔術家のヒカルド・モラエスの代役として、急遽UFCデビューを迎え、ヘビー級トーナメントで優勝しました。
コールマンとは対照的に、非常に分かりやすい英語を日本人の私に使ってくれたため、家内の助けは不要でした。
「9月の全米レスリングに出場し、2000年のシドニー五輪を目指したい。UFCでも並行して戦っていくつもりだ」と語ったのは、ランディ・クートゥアー、その人でした。
当時既に33歳だったランディと、32歳のコールマン。12年と9カ月の歳月を経て、この二人が2月6日、UFC109のメインで対決します。
拙い英語を操るキャリア3年目の記者に、ゆっくりと丁寧なコメントをしてくれたランディは、そのスマートな印象のまま、このスポーツの頂点に立ちました。
一方、初めて話す日本人に、バカ正直に自分をさらけ出し、その後もいつも真っすぐな姿勢を貫いたコールマンも紆余曲折を経た後、人々に愛され続けたまま、UFCに戻ってきました。
二人の殿堂入りを果たしたファイター。鉄人とオヤジの対戦する夜、私はきっと感傷的になり、目の前で戦う両者だけでなく、あの“新婚旅行”で出合った二人とも向き合っているに違いありません――。