この星の格闘技を追いかける

【a DECADE 08】10年ひと昔、2003年7月18~20日 Copa do Mundo

2013.07.21

Maia vs Napao

【写真】無差別級の決勝でデミアン・マイアがガブリエル・ナパォンを送り襟締めで破った。

MMAPLANET執筆陣の高島学が、デジカメにカメラを変更し取材するようになってから10年が過ぎた。そこでMMAPLANETでは、10年周期ということで高島が実際に足を運んだ大会を振り返るコラムを掲載することとなった。a DECADE、第8回は、10年前の7月18 ~20日。ブラジル、リオデジャネイロ州ニテロイのジナーシオ・カイオ・マルチンスで行われたブラジリアン柔術ワールドカップ、Copa do Mundo を1日遅れ、MMA視線で振り返りたい。
Text & Photo by Manabu Takashima

1980年代まではブラジル国内でも、ほぼリオデジャネイロ周辺にしか普及していなかった柔術は、その後国内に広まり、UFCの開始に付随するホイス・グレイシーの活躍により、1993年11月以降、瞬く間に世界中に広がった。ホリオンがUFCを開き、ホイスが米国、ヒクソンが日本でトップファイターの地位を確立したことで、エリオ・グレイシーの息子たちの活躍が目立っていたが、彼らの母国ブラジルではエリオの兄カーロスの血を継ぐカーロスJrとその血族が、総本山グレイシーバッハと、コンフェデラッソンを纏め上げ、競技柔術界をリードしていた。

現在のようにIBJJF=国際ブラジリアン柔術連盟でなく、CBJJ(ブラジリアン柔術連盟)というカリーニョス率いるブラジル国内の柔術連盟が1996年よりブラジリアン柔術世界選手権=Mundialを開催し、世界を統べていた。1990年代のブラジル格闘技界は、今では考えられないほど閉鎖的で、技術の流出を極端に警戒され、練習中にカメラを持つ記者が道場に足を踏み入れること自体が、非常に憚れる雰囲気だった。

2000年より毎年7月に行われる柔術界の頂点、ムンジアルの取材を行うようになった僕は、当時のアカデミー同士の異様なライバル意識を忘れることはできない。著名な柔術家や指導者が、まるでガラの悪いチンピラ、あるいは聞き分けのない駄々っ子のように執拗に審判団にクレームし続ける姿に、本当に驚かされた。そんな柔術界にはCBJJ=グレイシーバッハ系が大会を仕切ることで、レフェリングや大会運営に関して、ライバル・アカデミーたちは大きな不満を持っていた。

2002年、ついにカーウソン・グレイシーの教え子アンドレ・ペデネイラス率いるノヴァウニオンが反旗を翻し、CBJJO(ブラジリアン柔術オリンピック連盟)を発足させ、優勝者に賞金が与えられるコパドムンドを主催するようになった。活動初年はムンジアルと同日開催としたことで、大きな混乱が見られた。賞金目当てにムンジアルから、コパドムンドに戦場を移す現金なアカデミーも、当然のように出てきた。

そして迎えた2003年のコパドムンドは、グアナバラ湾を挟みリオの対岸ニテロイでムンジアルの1週間前に開催されることとなった。結果、多くの強豪柔術家が両世界大会を掛け持ちして出場することとなり、皮肉なことに柔術界は二つの頂点が存在するようになった。ただし、ムンジアルには軽量級ナンバーワンのノヴァウニオン勢が出場せず、コパドムンドにはグレイシーバッハ勢と多くの主力が抜けたファビオ・グージェウ率いるアリアンシの主力が参加せず(離脱組はマスター所属として両大会に出場している)、二つの頂点は真の世界チャンピオンが存在しないことも意味していた。

コパドムンドとムンジアル、二つの世界大会が開かれる7月のリオは、一年で最も過ごしやすい季節だ。気温は30度に達することもあるが、湿気が少ないため日陰だと快適に感じることができる。ドア・トゥ・ドアで40時間、到着翌日からコパドムンドが始まる。僕はリオ滞在中は、旧知のマルセーロ・アロンソ記者が撮影+暗室用にコパカバーナに借りていた古いアパートを使わせてもらい、ニテロイには3日間ともマルセラォンのドライブで通わせてもらった。

今から振り返っても、コパドムンドの会場の熱気はムンジアルのソレとは比較にならないほど間延びしていた。それが10年に満たないとはいえ伝統の差なのか、とにかく世界の頂点が争われるような空気を持っていなかった。同門対決による勝利の譲り合いも、ムンジアルより横行した。そんななか、今でもMMA界でその活躍が確認できる柔術家たちの若き日の姿を、このコパドムンドで見ることができた。

Werdum【写真】ヴェウドゥムも5月のADCCで99キロ超級で準優勝し、グラップリング界で名前が一気に浸透した時期。1週間後のムンジアルでレオ・レイチにリベンジを果たし、優勝を遂げている。

無差別級優勝はデミアン・マイア。前年は同門のフェルナンド・テレレに優勝を譲ったが、この日はマカオ・ゴールドに所属していたガブリエル・ナパォンを破り、コパドムンドの頂点に立っている。ちなみにナパォンはスペルペサード級でも準優勝に終わっている。惜しくも頂点を逃した選手のなかには、ファブリシオ・ヴェウドゥムも含まれていた。ペサディシモ級決勝で柔道の国際強化選手でもあったレオ・レイチにパスを許し、表彰台の一番上を逃している。ペナ級ではベラトールや修斗ブラジルで活躍中のマルコ・ロウロが緒戦で、ポイントなし、アドバンテージなしのレフェリー判定の末、UFCファイターのホドリゴ・ダムを下しているが、準決勝でノヴァの同門相手に勝利を譲っている。

Lolo vs Damm【写真】マルコ・ロウロもホドリゴ・ダムもMMAファイターとして活躍している。レフェリーはレオ・サントスのセコンドも務めるヴァンデウ・アレッシャンドリだ。

決勝戦は同門対決になると10分間、緩いスパーのようなフレンドリーマッチが行われるのも、悪しきとはいえ柔術界の習慣。アカデミー別の順位争いに加え、コパドムンドでは優勝賞金を分け合うという要素も増えたこともあり、決勝戦では3階級で同門決勝が見られた。グレイシーバッハという全階級で優勝候補を揃えているアカデミーの不在も影響しているだろう。レーヴィ級のレオ・サントス×ホドリゴ・フェイジャオンがノヴァ勢同士、メイオペサード級はジバニウド・サンタナ×ファビオ・ナシメントのロータス勢、そしてメジオ級決勝のテレレ×ジェメラォン戦が同門フレンドリー対戦で優勝者が決まり、場内には白けムードが漂っていた。

Leo Santos【写真】アカデミーの事情があったにせよ、レオほどムンジアルに出てほしいノヴァ勢はいなかった。前年にプロ修斗でMMAデビューを果たしていたレオが、MMAで本当の意味で脚光を浴びるまで、この年から10年の年月が必要だった。

「ムンジアルはメダルだけで、利益の多くはカリーニョスが持っていく。選手に還元がない」という主張が今となっては、どれだけ的確だったかは、『今』を柔術関係者が見て、判断すれば良いことだが、当時と今で決定的に状況が違ったのは、現役選手としてはビジネスにならない柔術を続けてもなお、簡単にMMAに活躍の場を移すことは――とりわけブラジル国内では――簡単なことではなかった。なんせ、2003年は6年振りにリオデジャネイロでMMAが解禁されたばかり。ブラジル国内のMMA市場は開けておらず、一部のトップファイターがPRIDEやUFCで戦うのが、MMA王国の現状だった。

加えていうなら、PRIDE武士道も始まっておらず、UFCではライト級は重要視されていなかった状況で、軽量級の実力者が多いノヴァ勢には、柔術で生きていくという選択を取らざるを得ない。そんなコパドムンドの会場で圧倒的な存在感を見せていたのが、黒帯の並み居る強豪たちではなく、茶帯ながらメイオペサード級と無差別級の二冠を制したホナウド・ジャカレ・ソウザだった。

Jacare【写真】当時はノーギでグラップリングの練習をしていなかったジャカレ。ボクシングと柔術のみの練習で挑んだ、1ヵ月半後のVTデビュー戦ではジョルジ・マカコに敗れている。

前年のムンジアルで茶帯の無差別でホジャーに惜敗していたジャカレは茶帯に留まり、5月のADCCで88キロ級準優勝という結果を残してなお、当大会も茶帯で出場。圧倒的な強さを見せつけた。1週間後のムンジアルも同じ二階級を制し、4つの金メダルを獲得したジャカレ。2週間で21試合戦いもちろん全勝、17試合で一本勝ちを果たした彼が「一本勝ちよりも勝つことを優先している。一本勝ちにこだわってポイントを失い『僕は負けていない』なんていうのはフェアじゃない」といった言葉が、どの金メダリストよりも印象に残っている。

あれから10年が過ぎ、コパドムンドはなくなり、ブラジルのMMA市場は急激な右肩上がりを続けている。レオはTUFブラジル02で涙の優勝を果たし、その大会のメインではヴェウドゥムがアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを破った。マイアもナパォンも、ジャカレもUFCで活躍しており、彼らに声援をおくるブラジルのファンですら、10年前に彼らが閑散とした体育館で柔術を戦っていたことなど知らないかもしれない。それでも、10年前のジャカレの言葉が忘れられない僕は、未だにジャカレにメタモリス柔術に出場してもらい、ヒーロン・グレイシーとの一騎打ちを実現してほしい――なんて思ってしまう。

■2003年7月18~20日コパドムンド@ジナーシオ・カイオ・マルチンス、ニテロイ:ブラジル 黒帯優勝者

ガロ級/アリソン・キキ・メーロ(ノヴァウニオン)
プルーマ級/ヒカルド・ヴィエイラ(マスター)
ペナ級/マリオ・ヘイス(ベーリンギ)
レーヴィ級/レオ・サントス(ノヴァウニオン)
メジオ級/フェルナンド・テレレ(マスター)
メイオペサード級/ジヴァウニド・サンタナ(ロータス)
ペサード級/フェルナンド・バラディーダ(BTT)
スペルペサード級/ビクター・ヴィアナ(マスター)
ペサディシモ級/レオ・レイチ(アリアンシ)
アブソルート級/デミアン・マイア(マスター)

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