この星の格闘技を追いかける

【Column 01】レミーガに関して……

remiga【写真】2004年11月20日のヤコブ・サップ戦。レミーガがそのポテンシャルをフルに発揮した試合として記憶に強く残る(C)MMAPLANET

最近──SNSでちょっとした格闘技観を語ってしまうことがある現状を自ら顧み、釈然としないでいました。正直なところ、現実問題として格闘技雑誌には記者の意見を直接的に記事にするという役割を編集部サイドからも、読者のニーズからも求められていません。それならMMAPLANETを通して記者として、自らの格闘技に対する気持ちを記事にしようかという想いを抱きつつ、記事にすると堅くなるからという気持ちで躊躇していました。ただ、先日──MMAPLANETを支えてくださるマーシャルワールドの担当者さんとミーティングをさせていただいた際、そういう自分の記事を読みたいと言ってもらえました。ならばエッセーというかより気軽なコラムで何か2017年より、何か気になったことを書き記そうと思っていた矢先、ショッキングなニュースが飛び込んできました。

レミーガが亡くなったという知らせを聞き、まだ新年を迎えていないですが、今の気持ちを書かせていただこうと思います(ここからは『です・ます調』は止めさせていただきます)。

昨日よりSNSでチラホラと情報が挙がって来ていたレミギウス・モリカビュチス逝去の報。個人的にその悲しい知らせを正式な形で日本に伝えるのはZSTであるべきだと思っていた。もっと個人的なことをいえば、上原譲さんこそ伝えるべきに相応しい人だけど、現体制のZSTが伝えるというのも、また時の流れを否応なしに感じることができる。

レミーガは自分にとってZSTが発掘したリトアニアMMA界にあって、ダリウス・スクリアウディス、ラミュナス・コマス、エリカス・ペトライティスと並び、最もワクワクさせられた選手だった。

そしてペトライティスを除いた他の3選手は現代MMAでもっと実績を残して然りのファイターだったはずだ。ZSTというリトアニア格闘技界が、日本とは違い──経済的に冷え切ったので独自路線を進むのではなく、繁栄したガラパゴスだからこそ、彼らはUFCを頂点としたMMA界でワールドワイドなバリューを持たずに今に至った。

2003年や2004年のMMA界にはあれだけ強力な、蹴りを含んだ打撃の持ち主はそうそう存在していなかった。彼らがスプロール&スクランブルを身につけていれば、どれだけそのストライキングの威力を発揮できただろうか。

RINGS、ZST、修斗を経てHERO’S、DREAM、現在のRIZINとビジネスをし、母国ばかりかバルト三国、旧ソ連からの独立国に巨大王国を築いたドナタス・シマナイティスの強力なリーダーシップの下、発展したリトアニア・ブシドーMMA。

そこにはドナタスの絶妙なバランス感覚が存在し、そのバランス感覚の庇護下にあったレミーガは世界的な名声を得ること機会を逸し格闘家人生だけでなく、人生を終えてしまった。非常に残念だ。

彼の精神面や私生活云々は知る由もない。ここでいう機会を逃したというのは、その技術面において、だ。

ZSTとのパイプに於いて存在感を露わにした未知の格闘技王国の軽量級ファイター達は、2003年のプロ修斗公式戦の導入により、パウンドが許された総合格闘技を戦うことが可能になった。ただし、レミーガはZSTにとっても看板選手。今より、ずっとプロモーション間の行き来が難しかった時代。レミーガはパウンド無し、一本重視のZSTルールで戦う必要があった。

2004年の9月の終わりから10月にかけて、リトアニアとスカンジナビアを取材で訪れた。この時、格闘技通信で執筆していた松浦俊秀君が自分に同行したいと申し出てくれた。松浦君はそれ以前に韓国で一緒になったり、積極的に自身のフィールドを広めようとアグレッシブな活動をしていたライターだ。

ホント、そういう若い子、出て来いよ──と声を大にして言いたい。閑話休題。

松浦君がレミーガのインタビューを格闘技通信へのお土産として持ち返りたいということで、松浦君~自分~リトアニア人の女性~レミーガというように日本語~英語~リトアニア語~英語~日本語という非常に回りくどい取材を行った。

あの時、松浦君の問いかけに対しレミーガは「パウンド有りが戦いたい」とかなり強めの語調で語っていた。「エルボーだって、僕は使えるんだ」と目を輝かせていた。そんな彼の言葉が英語から日本語に変換されたころ、ドナタスがリトアニア語でレミーガと話し始めた。

人間って面白いモノで、言葉が通じない状況でも相手にとって都合の悪い話をするときは小声になる(皆さんも気を付けて)。ドナタスとの話を終えたレミーガは、通訳を通して「今の話はなしにしてほしい。僕はパウンドなしのZSTでトップになる。パウンドなしの試合が大好きだ」的な言葉を棒読みの台詞のようにし始めた。

俯き、顔を上げて笑顔になった彼が気の毒だった。でも、ドナタスとすれば致し方ない。そして、それがレミーガの生きてきた道であり、それを創ったのはドナタスだ。そんな松浦君のインタビューから約2カ月後、リトアニア・ブシドー創立5周年記念のビッグショーを取材するために単身でリトアニアを訪れた。

同大会でレミーガはオランダ人のヤコブ・サップとZST特別ルールという名のパウンドが解禁された試合で戦った。そして、ついに強烈な勢いのパウンドを披露し、勢い余ってマウントからエルボーまで落としていた。レミーガの本能が解放されたようにリングサイドで感じた。こういうレミーガが見たかったんだ──と。

その試合、レミーガは三角絞めで勝った。ホント、彼のポテンシャルの全てが見られた戦い、自分にとってはレミーガのベストファイトとして記憶に強く残っている。

もう、クドクドとは言うまい。それでも薬物検査が当然のように行われるようになった現代北米MMA──スクランブルを軸に打撃の強さが絶対的に求められる戦い──にレミーガが足を踏み入れることができていれば、という風に思う。成功を収めていたに違いないなんて、口が裂けても言えない。ただ、そんな世界にトライするレミーガを見てみたかっただけ。

あの時の輝きの先に何があったのか……。そんなことを考えてもしょうがない、けど今になってやっぱり考えてしまう。

アチュウ、レミーガ。合掌。


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