この星の格闘技を追いかける

【Column】Keep Walking 01

2012.02.29

Caol Uno【写真】いつまでも諸先輩方に囲まれ、ペイペイのつもりで自由奔放な記者生活を送らせてもらっていたある日、一人のファイターの真摯な姿勢が、僕の記者人生にちょっとした変化が起こした。

※本コラムは「格闘技ESPN」で隔週連載中の『10K mile Dreamer』2012年2月掲載分に加筆・修正を加えてお届けしております

文・写真/高島学

08年の12月、ディファ有明の駐車スペースに止めてあった車に乗ろうとした時、「高島さん」という声に呼び止められた。振り返ると──、『俺を殴ろうっていうのか。止めてや』と言いたくなるほど、真剣な眼差しが我が目に突き刺さった。

「こんど、いつ海外へ取材に行かれますか? 僕も一緒に行って向こうで練習できないでしょうか?」。いつまで経っても、初めて取材用のレコーダーを向けた11年と5カ月前と同じような、真っ直ぐな瞳の持ち主が、そう尋ねてきた。

僕は記者とは、自らの体験を下に文章を綴る限り、公私の境目などない仕事だと捉えている。故に取材対象、特に現役の選手と近しく付き合うことは、避けてきた。その分、試合レポートやインタビューで、人間として、常に自分の思うことを書き記し、尋ねてきた(つもりだ)。

この世界、本音はプライベートな付き合いのなかにあり、そこで食っているにも関わらず、ビジネスとして、問題のない範疇の記事が氾濫している。

例え問題定義というタイトルがつけられていたとしても、分別のある言葉を綴るのが、記者の仕事と課している。


共存共栄という部分を軽視してならないことは、重々に承知しているが、ある時期を境に、専門誌で仕事をする限り、そういう原稿を書くことをあまりしなくなった(もちろん、編集部や取材対象の校正で、ザックリと原稿が削られてしまう事態も増えた)。

実生活で子どもを育てるようになって、『大人の判断』という言葉は、ただの逃げ台詞だと気付かされたからだ。

そんな言葉では、子供を導くことはできない。己に正直に生きる背中を見せて、あとは子供が、そういう生き方の是非を自分で判断すればいいと思うようになった。

そして、この世界に客観的な記事なんてないと気付かされた。客観的になろうという主観を持つ――人間がそこにいるだけだ。そして、読者に向けて書くという(当然の)真理と向かいあうことができるようになった。

取材拒否を受けたり、理由の説明なく取材を固辞されたり、個人的には嫌な経験もしたが、記者として当然のように受け入れるようにしてきた。なんせ、こっちはこっちで、選手が本当に嫌な想いをする可能性のある記事を書いているのだから、信頼関係など構築できなくても仕方がない。僕の記事には、正義も正当性もないのだから。

加えて、プロモーション・サイドの意向を組むばかりの記事を書き、『中立を守る』という言葉でごまかすことだけはしたくなかった。

そういう考えの下、一つ一つの記事に取り組むようになって以来、不思議なもので、読者、関係者からは、その取材対象と近しい距離にあると思われるようになっていった。時にはファイターから、直球勝負で『相談相手になってください』と言われたこともあった。

「申し訳ない。選手と個人的な付き合いはできない」と返答をすると、本当に意外そうな顔をされた。僕の本音は記事にある。本音でない言葉で、いくら着飾った文章を並べても、文字に力は籠められない。読者には届かない。

読者の皆さんが、僕の書いた記事にどんな意見を持とうと、それは読み手の自由だし、反論されることも至極当然。もちろん、パンフレットやオフィシャル・マガジン的なモノは、ニーズに沿ったモノを書く。つまり、『専門誌』とは取材対象の顔色を窺って書くモノではない――という、教えられたことと真逆の人生を今世紀に入ってから、歩むようになった。

そんな記者人生を7~8年ほど送り、インターネットという媒体で仕事をするようになった。そして、自分の知っている世界をより理解してもらうには、無味無臭の記事が必要だと理解できるようになっている。

同時に、そろそろ選手との距離を考え直しても良いかと考えるようにも。ちょうど、40歳になった頃を契機に、記者・高島学という部分と、人間・高島学という部分の比重に、少し変化を加えようと思った。過去の取材から生まれた人間関係を下に、本来は選手の商売道具である技術の部分にズケズケと立ち入るようになったのも、この頃からだ。

新たなスタンスを持つようになった頃に、ディファ有明の駐車場で宇野薫に話し掛けられた。記者でなく、人間として、彼の想いに背を向けることはできないと、瞬時にして答が出ていた。
この項。続く

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