この星の格闘技を追いかける

【Column】Keep Walking 02

2012.03.01

Hioki, Goono, Velasquez, Uematsu and Mori-san
【写真】左から日沖発、郷野聡寛、ケイン・ベラスケス、植松直哉、AKAを訪れた際の写真。この練習後、サンノゼから活動のベースとしていたLAまで、途中でステーキを詰め込んだけで、約500キロを一気に南下した。

※本コラムは「格闘技ESPN」で隔週連載中の『10K mile Dreamer』2012年2月掲載分に加筆・修正を加えてお届けしております

文・写真/高島学

Keep Walking 01はコチラから

「海外の事情を教えてほしい」、そんな風に話しかけられることは、幾度となくあった。ただし、その場だけ。社交辞令的な会話が殆どだ。

宇野薫に本当に真剣な、どちらかというと思い詰めたような表情で、同行取材ならぬ「取材同行」を請われた時、自分のキャリアを別の意味でも生かさないといけないと瞬時にして、判断していた。

「JZ・カルバン(カバウカンチ)と戦った時、完全に打撃ムードになっていたのに、虚を突くようにテイクダウンを狙われて、全く予想ができなかったんです。あの時、アレって思うようになった」という宇野は再びUFCに挑戦するには、今の北米を知る必要があると感じていた。

日本のリング上で感じたことを、実際に米国のジムで汗を流し、確認したい――と。寝るのは雑魚寝でもいいし、車の運転も手伝う。そこまで、宇野は言ってきた。

そして、2009年1月22日から2月1日まで、11日間、宇野薫と行動を共にした。もともと、この11日の間にPFC、アフリクション、WEC、そしてUFCと取材する予定で、その合間にジムを回ろうと思っていたのだが、宇野の『参戦』により、少しでも練習のバリエーションが増えるよう訪問先を増やした。


時差ボケのままPFCを観戦した宇野が、「メインよりも、アンダーカードに出ているファイターの強さが印象に残りました。『勝てるかな?』って、正直に思います」と言ったファイターは、エヴァン・ダナムだった。

サンディエゴでWECを観戦した翌日、KJ・ヌーンのボディでダウンを喫した宇野は、「UFCで戦いたいなんて、おこがましいことを言ってしまったようで……」とこぼし、その表情はこれ以上ないほど、悲壮感が漂っていた。

これは……、大変な取材になってしまったと、コトの重大さを身に沁みて感じ、脂汗が出てきた。

宇野に少しでも経験を積んでほしいという取材だが、記者一人でジムを回るよりも、ファイターと回ることで、そこで得られる情報量、知識の量は比較にならない――という、皮算用は存在していた。同時に、常に負傷の心配がついて回ることは理解していたが、メンタルという部分に関しては、ほとほと無頓着だった。

リング上しか知らないファイターと、長く行動を共にすることでストレスを感じないかと危惧していたが、それは取りこし苦労に終わった。ファイターを尊敬し、礼儀は欠いてはならないけど、本音で向き合うコト。つまり、専門誌の原稿と同じスタンスで宇野に接すれば良かった。

そんな僕の仕事に対する姿勢に理解を示してくれる相手でないと、この手の取材はできないと悟った。その後、何度となく宇野との旅のようなジム巡りをしたいとファイターに相談されたが、重い腰を上げることはできなかった。

2度目の同行取材を慣行したのは、1年半後の2010年6月。郷野聡寛、日沖発、植松直哉とカリフォルニア縦断の取材旅行に出かけた。

郷野と日沖の強くなることに対しての本気度が、凄まじかった。

宇野が一人で回り、これ以上ないプレッシャーのなかに身を置いていた時に、何も助けられなかった反省点を生かし、選手の気持ちが理解できる=同じファイターが一緒に回れるならと条件を出し、挨拶程度しか会話をしたことがない二人が、カリフォルニアを回ることになった。

それでも不安を感じていたので、同じ時期にムンジアルに出場することになっていた植松直哉に、ガードマン役をお願いした。ヤバい相手が出てくると、植松がその矢面に立つ。そのためにツアーに参加してくれた植松は、強さへの欲求と同じく、指導という面にも興味を持っていた。

それにしても、柔術世界大会の翌朝6時に起きて、まずは200キロの移動なんていうスケジュールを、よく引き受けてくれたと思う。帰国後、郷野が植松に組技の指導を受けるようになったのは本当に嬉しかった。

ファイターとのジム巡りは、記者という立場だけでは、知りえなかった世界の深淵に触れることを許してくれる。同時に記者が間に立つことで、訪問がスムーズになる。そんな非常に貴重な機会となった。が、こういう取材旅行は、『これで最後にしよう』と心に決めた。

強くなりたい一心のファイターに役立ちたい気持ちと、それを原稿にして収入を得る自分。ハードな日程を組み、よりタフな練習相手を求めるのは彼らのためなのか、自分のためなのか? 二人の自分、つまり記者・高島学と人間・高島学に整合性を見いだせなかったからだ。
この項、続く

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