この星の格闘技を追いかける

【Interview】流浪のフランス人ファイター、アルナウド・ルポン

2013.08.20

Lepont

【写真】奇抜なルックスで計量や入場通路に現れることでも、ファンに認知されているルポン (C)MMAPLANET

昨年10月、青木真也と戦ったフランス人ファイターは、所属がマレーシアのジムだった。アルナウド・ルポン、松濤館空手から格闘技との付き合いが始まった彼は、MMAが今も解禁されていない祖国を後にして、東南アジアにやってきた。

タイやベトナム、ラオスやカンボジアを渡り歩いた流浪のグラップラー、東南アジア在住の欧米人らしいメンタルを持つ彼にMMA辺境の地を歩んできた過去を尋ねた。

※ここで紹介したアルナウド・ルポンが所属するムエフィットを始め、土着武術シラットなどを紹介した「Fight&Life 格闘紀行=KL、マレーシア編」が掲載されているFight&Life Vol.38は23日より全国の書店で発売となります。

――アルナウドはなぜ、MMAと関わり合いを持つようになったのですか。

「5歳の時、松濤館空手を北フランスの小さな街で始めたんだ。ちょっとやんちゃ坊主だったから、従兄弟が『空手を始める』ように勧めてくれてね。もっと落ち着くようにってね。結局、松濤館空手は14年間稽古したよ。19歳のときにパリに引っ越し、2001年にマチュー・ニコルに出会った。マチューはフランスのMMA第一世代といえる人間なんだ」

――おお、パンクラスにも来日経験のある選手ですね。日本軍からイタリアに伝えられたというブトクカイ柔術をパリ在住のイタリア人師範に習い、MMAへ活躍の場を移していった。

「そんなこと、よく知っているね(笑)マチューは僕にとって父親のような存在で、自分の知っている全てのことを指導してくれた。フランスではMMAは今も禁じられているぐらいだから、僕がマチューと練習していたころなんて、MMAのことは、人々からドッグファイトって呼ばれていたからね。僕の家族だって、今もケージで戦うことを嫌っているよ。

マチューに背中を押されて、パンクレーションのフランス選手権に出場して優勝できた。パウンドなしのMMAルール、アマチュアのトーナメントだったけど、決勝はプロの選手と戦い勝った。それでフランスで戦うことに区切りをつけて、ドイツを主戦場にするようにしたんだ。ベルギーやドイツで戦い、アジアにやってくることを決めた。人生を変えたかったんだ。

いつだってアジアの人、特に日本人の精神的な部分に憧れを持っていた。マーシャルアーツを志したなら、アジアにやってこないと嘘だ。2007年に初めてアジアにやってきて、最初は2週間。フランスに戻って3カ月後に、またやってきて1カ月滞在した。半年後、またまたやってきて、そこからフランスには戻っていない。

タイ、ベトナム、カンボジア、ラオスと回り、タイとベトナムには住んでいたこともある。そして、今、マレーシアにいるというわけさ。でも、まだ日本に行くチャンスがない(笑)。マサカツ(上田将勝)と仲よくなったし、日本にいきたいね」

――カンボジアやラオス、ベトナムでもトレーニングができたのですか。

「ベトナムでは自分でジムを開いたよ(笑)。ハノイでね。K-1フィットネス・ファイター・ジムっていう名前で、ベトナム政府の協力もあって開くことができた。でも、難しい国だ。政治家はほんとうに分からない。半年後にジムを閉められた。だからタイに戻り、DAREで試合をして、視察に訪れていたビクター・クイにスカウトされ、OFCで戦うことになった。

DAREは地下ファイトのような雰囲気で、凄く面白かったよ。ムエタイの圧力に屈した形だけど、しっかりと再興できたら、またDAREで戦いたい。DAREでは2試合戦い、その間にムエフィットで練習するようになったんだ。友人の一人がここでトレーナーをやっていて、セミナーに誘われた。その時に『なんなら、ムエフィットの所属になって指導と練習をしないか』という申し出をされてね。

ワイフもOKだったから、マレーシアにやってきた。マレーシアのことは気に入っているよ。今日はとんでもないスコールだけど、普段は気候も良いからね……って、それはベトナムとかと比較した場合だけどね(笑)」

<この項、続く>
<Bio>
Arnaud Lepont
1980年5月13日、フランス出身。
MMA戦績9勝3敗

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