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【New Era APmma】フィリピン&KL、エリック・ケリー(01)

Erik Kelly

【写真】躍進フィリピンMMAファイターにあって、スムーズな流れでMMAを戦うことが最もできるのがエリック・ケリーだ(C)MMAPLANET

急激に成長を遂げるアジア太平洋のMMA。MMAPLANETでは、「New Era APmma」としてアジア太平洋地区のファイター、関係者のファイターを紹介していきたい。

第3弾はマレーシアのクアラルンプール在住、フィリピン人ファイターのエリック・ケリー。昨年8月にジェンス・パルバーを下したものの、今年2月のOFC世界フェザー級王座決定戦では同朋のホノリオ・バナリオに敗れたケリー。あの敗北の裏に存在した負傷、そしてこれまでのキャリアを語ってもらった。

――OFCやPXCだけでなくフィリピン・ドメスティック大会のURCCなどの試合を見ていると、フィジカルの強さやハングリーさから、フィリピンは数年後にはアジアのブラジルのような地位を築くのではないかという期待が持てる国です。

「ポテンシャルという部分では、フィリピンは間違いなくアジア・ナンバーワンといってもおかしくない。でも、スポンサー・マネーなど経済条件でいえば、厳しいといわざるをえない。仮に僕が独身だったら、フィリピンで試合をし、練習をするという日々を送ることができただろう。でも、僕には子供もいるし、フィリピンを出てマレーシアで指導をする必要があったんだ」

――家族と一緒にKL(クアランプール)へ?

「いや、家族はフィリピンに残っているよ。凄く会いたいね」

――ところでエリックはいつ頃からMMAの練習を始めるようになったのですか。

「MMAを始めたのは2006年だよ。僕はフィリピンの散打のチャンピオンだったけど、2005年にケガをしてしまい散打から引退したんだ。十分な蹴りを使うことができなかったから、1年間休んだ。また思うように蹴られるようになったんだけど、1年間休んだ間に随分とMMA人気が高まっていた。なら、MMAでどれだけやれるか試したくなったんだ」

――MMAはマニラで始めたのでしょうか。

「違う。僕はバギオ・シティで生まれ育った。マニラからバスで8時間、高原の寒い街だ。そのバギオ・シティでMMAの練習をするようになった。マニラみたいに暑くないから、人々は平和を望んで生活していて、治安もマニラみたいに悪くない(笑)。気温が熱くなると、働かずに人のモノを取ろうとする人間たちがでてくる」

――なるほど(笑)。バギオ・シティといえば、チーム・ラカイが有名です。

「実はMMAの練習はチーム・ラカイで始めたんだ。URCCで初めて試合に出たとき、ジム側がパーセンテージを求めてきたけど、僕には僕でマネージャーがいた。で、僕はジムよりもお金を選んだ。そう、パーセンテージを払えないから、チーム・ラカイを離れたんだ……。

マーク・サンジアオは10パーセントをジムに収めて欲しいということだったし、何も無茶を言われたわけじゃない。でも、そのお金を支払うと、僕の手元にはいくらも残らないのが現実だった。そして、パーセンテージを支払う必要のないジムで練習するようになった。バギオには他にMMAジムが複数あったからね」

――その後、URCCで活躍が認められ、OFCと契約を果たしました。

「URCCで5連勝し、OFCの旗揚げ戦に出場機会を得たんだけど、対戦相手がミッチ・チルソンだったのが良かった。彼はイヴォルブ所属だったから、僕の勝利はシンガポールのファンにより強い印象を残すことになった。

しかも、チルソンに勝ったことで、このムエフィットのオーナーのポール・テオからクアラルンプールで指導をしないかという話も届いた。最初の予定では2年間、ここでインストラクターをし、同時に練習をするという契約だったけど、もう1年間、こっちにいることになりそうだ。

ただし、次の試合が決まったら、練習はフィリピンに戻ってやろうかと思っている。どうしても、フィリピンの方が良いスパーリング・パートナーがいるからね」

――いずれせよ、ホノリオ・バナリオとのOFC世界フェザー級王座決定戦に敗れ、次の試合はとても大切になります。ただ、あの敗戦はエリックの力が発揮された結果とは思えません。昨年12月にURCCで逆転勝ちを収めたブラット・テリー戦で、右目を大きく腫らしていて、僅か2カ月のインターバルでは傷の影響が残っていたのではないでしょうか。

「あの試合では顔面骨を骨折し、手術が必要になった。同時にOFCからタイトル挑戦のオファーが届き、スポンサー・マネーも入る。手術をすると半年間は試合ができなくなる。なら、この申し出を受けるしかない。

テリーとの試合が12月1日で、23日にはここクアランプールで記者会見があった。その時はまだ右目の視界は十分でなかったんだ。試合の2週間前になって、ようやく全てがクリアになった」

――つまり、2週間前まで視界も遮られている状態だったわけですね。どうりでこれまでの試合とエリックの動きが違うと感じたわけです。フィニッシュにしても、目の影響があるんだろうなと思いました。

「これまでやって来たことを信じて、試合に出たんだ。チャレンジ精神を忘れたくなかったし。もちろん、ファイトマネーが欲しかったこともある。試合は3Rぐらいまで距離をとって様子を見て、一発何か当たれば一気に攻めこもうと思っていた。だから、思い切り蹴りも打っていない。しっかりと準備できていないから、自分にスタミナがないことも分かっていた。

バナリオが跳び込んで来たとき、ブロックしたんたけど、爪が右目の付近に当たり、どこか神経を刺激したのか、目が開かなくなった。10秒ぐらいたって、ようやく目が見えるようになった時、もう試合は終わっていたんだ……」

<この項続く>

【Bio】
1982年4月30日、フィリピン・バギオシティ出身。
MMA戦績10戦9勝1敗。ムエフィット所属、フェザー級

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