この星の格闘技を追いかける

【on this day in】3月10日──2011年

10 03 11【写真】マッチョと真優ちゃん、最高の笑顔。そして、この取材の翌日、東日本大震災が起こった……(C)MMAPALNET

Yuki & Mayu Ishikawa in TRIFORCE AOYAMA
@東京都港区、トライフォース青山(現CARPE DIEM AOYAMA)
「もう、彼のことをマッチョと呼ぶ人間は殆どいなくなったそうだ。でも、僕は相変わらずマッチョと呼んでいる。記者生活の第4コーナーも終え、最後の直線に入った今となっては、その姿勢も徐々に緩んできてはいるが、マッチョがムンジアル紫帯ペナ級で3位入賞を果たした頃など、選手との距離感には人一倍気を遣っていた。だから、僕が石川祐樹君のことをマッチョと呼ぶのは、周囲もそういう風に呼んでいたのと、ただ単に僕の方が年長だったからだろう。ジムを開き、35歳までに現役として最後の勝負に出たいと言っていたマッチョは、34歳の時にパン柔術選手権に出場する予定だった。しかし、彼がパン柔術に出ることはなかった。その1カ月半前に生を受けた長女・真優ちゃんの心臓に問題が見つかり、肺動脈閉鎖症と診断されたからだ。真優ちゃんの小さな心臓と小さな肺をつなぐ血管が塞がり、心臓には6カ所も疾患が見つかったという。小さな命を守る──育む、畳の上よりも大切な戦いの日々が始まった。それから2年、真優ちゃんはバレンタインデー生まれの本領を発揮、肩車されこれ以上ない甘い笑顔を振りまいてくれた。この日、僕はマクドナルド・ハウス(大病を患った子供たちの付き添いの親御さんたちの負担を軽減するための宿泊施設。運営費は寄付金でまかなわれている)建設の寄付金を募るチャリティセミナーを主宰するマッチョの取材を行い、真優ちゃんの闘病生活の話を訊き、記事にした。人様の目に触れる場所で、僕が打ち込んだ文字に私信はない。自分の言葉を文字にして生活をしている。だから、SNSなどでの発言も長年避けてきた。こんなことを書くと、本当に失礼な話だけど、その姿勢を緩めたのはこのサイトの宣伝のため。同時に時代はメディアが一方的にモノごとを伝えるのではなく、読者が意見を書き綴るよう変わった。そんな変化を感じ、今後のメディアの在り方を模索している。言葉の怖さを知っている──つもりだ。だから、軽はずみなコメントは書けない。信じている──、頑張って──、忘れません。そういう言葉の持つ力で、救われる人もいるだろう。でも、僕にはできない。苦労自慢、寝てない自慢──重い、重い言葉を軽く使うことはできない。これで喰っているので、書き記した言葉を引きずる。世の中に氾濫した──目に見える私信に対し、軽はずみだという印象すら持つことがある。だから、マッチョの話に涙した──自分の軽薄さを今も恥じる。たかだか1時間ほどの取材で、彼の言葉を聞き、その経験を疑似体験でもしたつもりになっていたのか。あれから、4年。世の中は変わり続けるし、メディアの価値は暴落している。それでも、この仕事を続けるうえで言葉の重みは忘れないようにしたい(口から出る言葉は、めっちゃ軽いですが……)」

on this day in──記者生活20年を終えた当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。

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