この星の格闘技を追いかける

【on this day in】3月20日──1999年

My beautiful picture【写真】ゴールデン・トロフィーの存在よりも、このジャケットに見覚えのあるファンの方が多いかもしれない (C)MMAPLANET

Golden Trophy
@フランス・オルレアン、パレ・デ・スポール
「懐かしいジャケット姿だ。フランスの道着着用格闘技ゴールデン・トロフィー(トロフェ)に桜井マッハ速人が挑み、それから数年間マッハはこのジャケットを着てリングに向かうようになった。今もMMAが許されていない〝おフランス″で、ゴールデン・トロフィーはリングでも、もちろんケージでもない舞台の上で袖なし道着を着用、寝技の打撃は全面禁止、顔面へのヒザ蹴りも禁止、関節技だとなぜかヒザ十字のみが反則というルールで行われていた。勝敗は5カウントでKO、関節&絞めによる一本。判定では柔道の一本にあたる投げ技が、打撃や寝技の攻勢よりも重きを置かれていた。キックが強く、柔道も強い。僕が取材で訪れただけでもペンチャクシラット、シュワイジャオ、詠春拳、ヴィエボーダオ(ベトナム拳法)、ブトクカイ柔術などなど、アジア諸国の武道に触れ合う場も少なくないフランスには、このルールに適応できる選手は相当数存在した。加えて、いくら禁止されていようが、電波は地球を駆け巡りMMAの情報はいくらでも入ってくる。パスポートの提示がなくても隣国へ移動できるのだから、MMAに傾倒するファイターも当然いた。が、打撃と組みが混ざった競技会で戦う経験が圧倒的に不足していた。76キロ級トーナメントに出場したマッハは準決勝のダミアン・リチオ(すでに日本で修斗にも出場)とは5分間で取りきれず判定勝ちとなったが、初戦は僅か24秒で立った状態で場外に落ちそうな相手をアンクルに極め。決勝はキックだけなら相当強そうだったジャンルイ・アルベルシュを内股から腕十字、30秒で一蹴した。『ソンゴクー』と、オルレアンの子供たちの声援を受けていたマッハだが、時差ボケが試合当日も続いており、表彰台に上がってなお『眠い』を連呼。あるがままの姿をオルレアンで披露し、気分よく帰国したマッハは、『高島さん、優勝したんだから○○○ぐらい奢ってよ』とありのままの感情を成田空港でぶつけてきた。いや……なぜ俺がマッハの4回戦をおぜん立てしないといけないのか……丁重に辞退させてもらった」

on this day in──記者生活20年を終えた当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします

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