この星の格闘技を追いかける

【on this day in】1月28日──2007年

01 28  07【写真】八隅孝平、北岡悟らが優勝したADCC JAPAN関東大会、ADCC JAPANにとって、2度目の公式戦開催だった。あれから8年、2月&3月の南日本、東日本大会に続き5月にアジア予選を開く(C)MMAPLANET

ADCC JAPAN Kanto Championship
@東京都新宿区、新宿スポーツセンター
「フィンランド人n格闘技関係者から『日本のADCCをなんとかできないか』という相談をスウェーデンで受けた。アブダビ・コンバットクラブ──。MMAが世に認められていない時代、トップファイターがこぞって出場したサブミッション・レスリング世界大会を主宰、砂漠の王族が司る組織。王子の英国留学時代のルームメイトが右腕となり、米国、欧州、ブラジル、豪州、そして日本で予選を開いていた。スキンヘッドのフィンランド人は、ADCC本隊では日本予選が公共の体育館、畳の上で行われるのを非常に嫌っている。そして、予選だけでなくサブミッション・レスリングを競技として普及させたいので、連盟のような組織をしっかりと創りたいので協力してほしいと言ってきた。僕はMMA界となるべく剥離した、ブラジリアン柔術寄りのグループを作ることを提言し、その代表にハマジーニョを推薦させてもらった。ハマジーニョにしてみれば、寝耳に水の話だったが、競技化という部分に賛同しADCCの要請を受け入れてくれた。八隅孝平、北岡悟らが優勝したADCC JAPAN関東大会はADCC JAPANにとって、2度目の公式戦だった。この後、第一次予選、最終予選とジャパン・トライアルを開催するなかで、日本格闘技界ではく、日本国の通例、常識を王子様の右腕が一切、顧みないことが分かってきた。かのフィンランド人は権力者の出現に、2枚舌どころか、20枚舌を持っているのかと思うほど態度を豹変させた。ADCCの描いた競技としての普及は、それこそ砂漠の楼上に過ぎなかった。それでも世界大会の予選を開く組織として、ADCC JAPANは今も活動を続けている。本当にハマジーニョと安井祐太さんに足を向けて眠ることはできない」

on this day in──記者生活20年を終えようという当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。

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