【Road to ONE02】Road to ONEを欠場した鈴木祐子─01─「私の考えが記事になり伝わればと」
【写真】欠場理由を説明し、伝えたいと鈴木祐子からアクションがあった(C)MMAPLANET
17日に開催されたRoad to ONE02。同大会は元々12日(日)に東京都港区のニューピアホールで行われる予定だった。
そこでSARAMIと対戦予定だった鈴木祐子は、無観客で17日に場所も変更されて開かれることが発表されたプレスリリースで欠場が明らかになった。3月30日、MMAPLANETではSARAMIの取材をABEMAとの共同で行うことが決まっており、約束の時間に映像スタッフとともにパンクラスイズム横浜に到着するや──。その雰囲気がどんよりと曇っているのは明らかで、SARAMIに鈴木の欠場が伝えられた直後であった。
SARAMIは鈴木への不満を素直に口にし、当サイトでは欠場決定の方を待って彼女の言葉を掲載した。
そしてRoad to ONE02の翌日、鈴木からMMAPLANETに同大会の欠場に関して、彼女の意見を聞いてほしいと連絡が入った……。
──今回、鈴木選手から連絡があり、Road to ONEの欠場に関してファンに伝えて欲しいことあると。
「ハイ。最初にMMAPLANETでSARAMI選手のインタビューを読んで、欠場理由が『練習環境なら旦那と練習すれば良いじゃないですか。家で』という発言があって、欠場理由は練習環境じゃないのに、なぜなんだろうと思っていて。
そこが気になりはしたのですが、特にSARAMI選手に思うことはそれほどなかったんです。でも、それからことあるごとにコメントをつけてリツイートしているのを見てから気になるようになりました。
なぜ、そこまでする必要があるのかなっていうのが自分のなかで感じるようになって。大会の前日には動画まで挙げていて。私も見なきゃ良いんですけど、見てしまったので……私の方の言い分もMMAPLANETに載せて欲しいと思って連絡させていただいたんです」
──SNSで反論を述べるということは考えなかったですか。
「それは格好悪いですし。このまま放置しても、分かってくれる人は分かってくれるのですが、私の考えが記事になり伝わればと考えたからです。SNSではファンとか、他の人を巻き込むことになるので。そういうことはしたくなかったです。SARAMI選手と喧嘩をしたいわけではなく、私の考えが伝わって欲しかったので」
──なるほど。まず、今回の試合ですが、オファーはいつ頃だったのですか。
「3月3日です。それはすぐに『出ます』って返答しました。私も4月のウォリアーシリーズに出ることになっていたのですが、大会がなくなってしまってので……」
──鈴木選手は10月の日本大会で見事な逆転一本勝ちをして、すぐにでも試合が組まれるかと思っていました。
「ハイ、あの試合後もマッチメイカーの方はすぐに組むよと言ってくれたのですが……12月には組まれなくて。でも2月の大会でナイリーン・クローリーとやるという話になっていたんです」
──2月にウォリアーシリーズでなく、本戦で平田樹選手と戦った?
「ハイ。あの時、1カ月あったのにクローリーは『準備ができない』という理由で断られたんです」
──えっ? 準備が?!
「そうなんです(苦笑)。で、本戦のオファーだったら出て……『どうなってるの、この人』って思いました。でも彼女は樹ちゃんに勝てなかったから、またウォリアーに戻ってくることになったんです」
──それはONEもシビアですね。
「それで4月にクローリーとやる方向になっていたら、大会自体がなくなってしまって」
──そんな背景があったのですね。ならばRoad to ONEのオファーに即答でYESを言いますね。その時にSARAMI選手が相手という要請ではなかったのですか。
「いえ、相手はまだ決まっていない状況で試合はできますかということでした。10日ぐらいしてSARAMI選手もウォリアーがなくなったので、Road to ONEに出場することになったのでどうか?という連絡をもらいました」
──正直なところSARAMI選手は同じウォリアーシリーズで試合をしていても、国内での実績などは鈴木選手とはかなり差があります。いわば工藤諒司選手と椿飛鳥選手のマッチアップのようです。
「ハイ、日本のなかでもトップクラスの選手だったので、実は返事をするのに2日ぐらい掛かりました。キャリアも違うし、自信もなかったです。SARAMI選手が言われていた『戦う相手じゃない』というのは分かります。逆の立場の私がそう思っていたので。でも、周囲に説得されました。宮田先生は『自分で決めなさい』って(笑)」
──ぶっちゃけて言っていただき、ありがとうございます。
「いえ……その間も練習して、行けるかなとか考えて。やるって決めました。それが3月の中旬ぐらいで、そこから世の中が変わったというか。感染者が増えて、土日の自粛が呼びかけられるようになりました」
──ハイ。
「3月も終盤になってきても大会があるのか、ないのか。そういうことがハッキリしないなかで練習を続けていました。それで……3月29日の修斗の大会で、実はケージから挨拶をすることになっていたんです。
でも結果的に2日前とかに大会がなくなって。その時ですね。大会まで2週間を切って、あるのかないのか分からない。コロナの感染者もどんどん増えている。急激に状況は悪くなっているので、不安でいっぱいになっていったんです。
1度は戦うと言ったのですが、そこからの社会の変わりようが早くて……。キッズ・クラスでの指導もしていて、子供たちに感染させるようなことがあればと、考えるようになりました。
私だけなら指導を止めれば良いのですが、旦那と一緒にやっていて。彼は指導を続けるわけだし、私から彼、彼から子供たちに感染とか考えると、大会をやらない方が良いんじゃないかと願うようになっていました。
旦那も試合をすることは反対気味でしたし、家族は大反対で。これはもう世の中の状況もあるし、家族の反対を押し切ってまで試合はできないと決断しました」
<この項、続く>
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