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【Pancrase323】初メイン=Ryo戦を控えた中田大貴のトンデモ人生─01─「空道、スイス、ヒマラヤ」

【写真】最後まで相手の攻撃が見ることができているという中田(C)MMAPLANET

12日(日)、東京都江東区のUSENスタジオコーストで開催されるPancrase323のメインイベントで、中田大貴がRyoと対戦する。
Text by Shojiro Kameike

今年5月に元キング・オブ・パンクラシストの田村一聖をKOし、フェザー級ランキング3位に浮上した中田が、プロデビューから僅か2年でメインイベントという舞台に立つこととなった。そんな中田に、試合で見せる激しい打ち合いについて訊くと、MMAに辿り着くまでのトンデモ人生が浮かび上がってきた。


――中田選手といえば、田村一聖戦で見せた激しい打ち合いが印象的です。

「そうですね。あの打ち合いには、理由があるんですよ。もともと僕は大道塾出身で打撃が得意だったんですけど、MMAでは打撃でいくことができなかったんです」

――というと?

「大道塾だと、スーパーセーフがあるじゃないですか。でもMMAはプロだとヘッドギアなしで、薄いMMAグローブで殴り合うのは……と行きあぐねていたんですよね」

――それが一転、あれだけの打撃戦をするようになったキッカケは何だったのでしょうか。

「去年のネオブラッド決勝(昨年9月、狩野優に判定負け)ですね。あの試合では負けてしまいましたけど、パンチに対して恐怖心がなくなりました。これからは前に出ることができるかもしれない、むしろ前に出なかったから負けたんじゃないか、と思ったんです。だから、次からは前に出て打っていこうと」

――もともと打撃で攻めたい気持ちは強かったのですね。狩野戦の次の試合、今年2月のRoad to ONEでも、激しい打ち合いから岩本達彦選手をKOしています。

「フラストレーションが溜まっていたなかで、ネオブラ王者の岩本選手と対戦することになって、『これはチャンスだな』と思いました。自分には、打撃でガンガン行く戦い方が合っていると感じています」

――ただ、打ち合いでは当然、相手の攻撃も被弾するリスクがあります。岩本戦でも田村戦でも、顔面にパンチを受けていました。

「田村戦では、普通の人だと倒れるパンチを何発も食らいました。でも倒れなくて、自分は丈夫だなって思ったんです。だから逆に無双状態になっちゃって……」

――無双状態……ですか。

「パンチをもらって倒れることはない、という自信を得て前に出ることができる。そういうタイプは、日本のMMAファイターには珍しいと思います」

――試合中は効かされることがなくても、試合後に何か影響が出る可能性もあります。それは怖くはないですか。

「もちろん、そういうリスクはあります。だからディフェンスの練習も、しっかりやっています。実は僕、パンチをもらう瞬間まで、しっかり見ているんですよ。パンチが当たる瞬間だけ顔を引いたり、急所は外したり。そういったディフェンスは、大道塾にいる頃から教わっていました」

――大道塾で打撃を学んでいたからこそ、可能な打ち合いなのですね。

「これは大沢(ケンジ和術慧舟會HEARTS代表)さんにも言われたんですけど、効くパンチって、自分が見えていないパンチなんですよ。フェイントをかけられたりして、自分が見えていない状態、力が入っていない状態でパンチを食らったら、その力が伝わりやすい、と」

――確かに、そういった面はあるでしょうね。

「でも僕の場合は、最後まで相手のパンチが見えています。だから前に出つつ、急所には当てさせないで攻め続けることができるんじゃないか、と思っていますね」

――なるほど。その打撃を学んだ大道塾に入ったキッカケは何だったのですか。

「最初は中学の時にラグビーをやっていて、ラグビーの練習の一環でレスリングをやったことがあるんです。その時に『格闘技って面白いな』と思ったのが最初ですね。それで中3の時に、家の近所にあった大道塾の道場に入門しました」

――大道塾、空道の大会での実績を教えてください。

「2013年に北斗旗の関東地区ジュニア予選、アンダー19の男子240未満で優勝しています。といっても、1回か2回勝っての優勝でしたけど……。2017年には北斗旗の体力別にも出場しています(1回戦負け)」

――空道で得意だった動きなどはありますか。

「打撃はもちろん、あとは組み打撃ですね」

――組み打撃といえば、相手の道衣を掴みながら打撃を打ち込むという、空道ならではのルールですよね。

「掴みからのパンチ、ヒジ、頭突きが好きで、よく使っていました」

――今、MMAをやるうえで空道の動きは生かされていると思いますか。

「組み打撃は、たとえばMMAだとリストコントロールの時に役立つんですよ。組み手争いですね。僕は相手の手首を取ってアームドラッグを狙ったり、手首をコントロールしながら下に移ってテイクダウンを仕掛けたりとか。そういう動きは、大道塾で教わった組み打撃の動きが生かされていると思います」

――全日本体力別まで出場するようになった空道を、そのまま続けようとは思わなかったのですか。

「え~と……、まず私立の中高一貫校に通っていたんですが、勉強を疎かにしていたために内部進学できなくなりまして(苦笑)。それでスイスの高校を受験したんですが、格闘技への熱がドラムに移りました。でもスイスの高校も退学になったんですね」

――えっ!?

「親に申し訳ないなと思って、帰国してから通信制で高卒の資格を取り、大学に入りました。でも入学したのはいいんですが、結局は学校に行くのが面倒になり――」

――……。

「帰国してから空道の練習を再開していたのですが、それが唯一の救いでした。ずっと遊んでいたり、ちゃらんぽらんにやっていたなかで、空道だけは唯一、ちゃんと向き合うことができていたんです。でも練習でヒザを怪我して、空道からも離れてしまいました」

――いろいろ起こりすぎて、お話を聞きながら整理できてないのですが……まず大学は卒業できたのでしょうか。

「大学は5年通いました。単位が取れなくて4年で卒業できなくなった時、もともと親からは『4年間だけはお金を出す』と言われていたので、残りの1年間は自分で学費を稼いで通っていました。その5年目ですね。バイトで貯めたお金で、ヒマラヤに行ったんですよ」

――なぜ、いきなりヒマラヤ!?

「富士山の近くにあったレストランでバイトをしていて、富士山を見ていたらヒマラヤに登りたくなったんです。突発的ですね」

――突発的すぎます(苦笑)。

「ヒマラヤに行って、それこそ魂が震えるような景色を見ることができました。そして初めてUFCを見た時、ヒマラヤに登った時と同じぐらい魂が震える感覚をおぼえたんです」

<この項、続く

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