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【NEXUS23】25日、MMA初陣世界級レスラーは not only 中村倫也 but also 河名マスト!! 初インタビュー!!!

【写真】マスト(真寿斗)という名はヨット好きのお父さんがつけたという話も…… (C)MASUTO NAKAMURA

25日(日)、東京都新宿区のGENスポーツパレスで開催されるNEXUS23で、2017年U-23世界選手権グレコローマン59キロ級優勝の河名マストが、プロデビュー戦を迎える。

河名マストは幼少期からレスリングを始め、大学ではABEMA『格闘DREAMERS』を経て、同じく25日に修斗でプロデビューする中村倫也と同期だった。中村同様にジュニア五輪、世界ジュニア、専修大学時代に全日本学生選手権、全日本大学グレコローマン選手権を制し、2017年に前述したように中村がフリー61キロを制したU23世界大会を制するなど華々しい実績を誇る。

今回ネクサスで、2019年の全日本アマチュア修斗ライト級優勝のジェイク・ウィルキンスを相手に、いきなりプロデビュー戦を行う河名マストとは、どのようなファイターなのか。インタビュー前編では、そのレスリング時代について訊いた。


――ネクサスでジェイク・ウィリアムス選手とのプロデビュー戦を控える河名マスト選手です。河名選手は、もともとレスリングをされていたのですよね。

「レスリングは――インターネットでは『4歳の時に始めた』とあるのですが――正確には6~7歳ですね。小学校に入る時に、地元のキッズレスリングのクラブに入りました」

――キッズレスリングを始めるキッカケは何だったのでしょうか。

「父親が、子供が生まれたらレスリングをやらせたかったそうなんです」

――お父さんもレスリングをされていたのですか。

「いえ、両親ともに野球とソフトボール経験者でした(笑)。子供の頃に基礎体力やバランス、体の柔軟性をつけさせるために……とレスリングを選んだようです」

――では、当時からレスリングで世界を目指すといったような考えではなかった、と。

「はい。別にレスリングで大成してほしいとか、そういう考えはなかったみたいです」

――河名選手はご兄弟もレスリングをやっているのですよね。

「僕は4人兄弟の2番目で、兄も僕と同じ頃に、レスリングクラブに入っています。あとは弟も妹も全員レスリングをやっていました」

――完全にレスリング一家ではないですか。

「小学校の時、全国大会で優勝したことがあるのですが、子供が勝てるようになってくると、親も気合いが入るんでしょうね(笑)」

――確かに、親御さんの気持ちも分かります。しかし、中学では陸上部に入られたとのことですが……。

「中学校にレスリング部がなかったからです。レスリングって中体連(全国中学生体育連盟)に加盟していないから部活がなくて、みんな小学生の頃と同じレスリングクラブで続けることが多いんですよ」

――河名選手は、その時レスリングから離れたのですか。

「いえ、僕はクラブでレスリングを続けながら、中学校ではまず野球部に入りました」

――最初は野球部だったのですね。

「ただ、中学校に入った頃は体が小さかったから、そんなに野球も上手くならなかったんです。先に兄が陸上部に入っていたので、僕も中学1年生で野球をやめて、陸上部に入りました」

――陸上部ではどの種目をやっていたのでしょうか。

「長距離です。部活の先生が長距離の指導者で、短距離はやっていないぐらい、長距離に特化した陸上部でした」

――陸上部時代の実績を教えてください。

「3000メートルで県大会の決勝に進みました。あと、いつも練習している会場で年に1回、競歩の大会が行われていたので、1回だけ出たことがあります」

――さらに競歩ですか。その大会の結果は?

「その時に出した記録が、当時の全国ベスト8でした」

――すごいですね! レスリング、長距離、競歩と何でもこなせてしまうとは……。

「いえいえ、そんなことはないです(苦笑)」

――それで野球は上手くならなかったということは、体格もあって階級制の競技が向いていたのかもしれないですね。

「親もそう言っていました。もともと体が小さいけど、サイズが同じならケガもしにくいのでレスリングを始めさせたんだ、と。それで高校に入ってから身長も伸びました」

――高校ではレスリング部に入っていますよね。そのまま陸上を続けようとは思わなかったのですか。

「兄が陸上の強豪校に進学していて、僕も陸上を続けるか、レスリング部のある高校に行くか迷いました。ちょうどそんな折、高校1年の時のインターハイが、沖縄の石垣島で開催されることになっていたんです」

――えっ、まさか……。

「陸上の個人戦でインターハイに出るのは難しい。でもレスリングは、強い高校なら団体戦でインターハイに出られる可能性があるじゃないですか」

――……はい。

「石垣島に行ってみたくて、レスリングを選びました(笑)」

――ハハハ! 石垣島ありきだったのですね(笑)。

「おかげで、その年はレスリング部が全国大会に出場し、石垣島に行きました。大会は1回戦で負けましたが、そのぶん石垣島を堪能することができています(笑)」

――アハハハハ。動機はどうであれ、それでレスリングを続けることになったのも、何かの縁かもしれません。

「そう思います。そこから大学でもレスリングをやりたいと考えるようになったので。レスリングで専修大学に進み、そこでは中村倫也と同期でした」

――ABEMA『格闘DREAMES』を経て修斗でプロデビューする、LDH所属の中村倫也選手ですか。

「はい。中村倫也とはキッズレスリングでも試合をしたことがあります(本人の記憶では2戦2敗とのこと)」

――大学では、中村選手はフリースタイルに。そして河名選手はグレコローマンを選び、全日本大学グレコローマン選手権で優勝しています。

「実は最初のレスリングの先生がグレコ出身で、小学校の頃からグレコの技術も教えてもらっていました」

――日本だと、そういったケースは珍しいのではないでしょうか。

「ヨーロッパではグレコのほうが盛んですけど、日本ではインターハイがフリースタイルだけで、国体のグレコで勝ったら大学でもグレコをやるか……という選手が多いんです。僕も本格的にグレコをやるようになったのは高2からでしたが、昔からグレコの技術を学んでいたことは大きかったです」

――実績としては、オリンピック出場も視野には入ってくるかと思います。

「高校の時に世界ジュニアで3位になり、大学生の時にリオ予選で倉本一真選手に勝ってから、オリンピックに出たいと思うようになりました」

――現在、MMAをやっている倉本一真選手ですか。

「はい、2015年の全日本選手権で倉本選手に勝って3位になりました」

――それまでオリンピック出場は視野になかった?

「そうなんです。大学3年生までは、ただ漠然と『強くなりたい』と思ってレスリングをやっていました(苦笑)」

――大学3年からオリンピックを目指すというのは、レスリング界では遅いほうなのでしょうか。

「もちろん、もっと若い時から目指していったほうが良いとは思います。若いうちに経験を積んでいれば、その勢いでオリンピックに行ける可能性も高まりますし」

――結果、大学卒業も社会人としてレスリングを続け、2017年にはU23世界選手権のグレコローマン59キロ級で優勝しています。オリンピック出場も近づいてきますよね。

「当時のグレコ59キロ級は、国内で勝てば世界でも勝てる、という階級でした。その中で僕は、文田健一郎選手(東京五輪代表)と太田忍選手(リオ五輪銀メダリスト)に続いて3番手につけて‥‥…2020年、東京オリンピックを目指していました」

<この項、続く

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